夏だ、スペイン語だ、今日も振り回されてアンダルシア
今週は気温が41度まで上がった。
朝の9時頃から既に暑い。
最近は、毎日ガスパチョを飲んでいる。
ガスパチョとは、スペインでいうところの飲む点滴である。と、個人的に思っている。
2週間ほど前に、踵の理学療法が終了した。
全部で12回通った。
3回目ぐらいからは、通常は毎回必要である受診カードの提出も、名前を言う必要もなかった。
これが世間で言う「顔パス」かと、ちょっと得意であった。
先日は、改めて踵の状態をみるために先生の診察予約が入っていた。
その日も受診カードの提出は必要なく、待合室で待つ。
しばらくすると、名前を呼ばれた。
「25ユーロね」
受付のお姉さんが言う。
スペインでは、公的・民間医療保険の両方に加入している。基本的に診察費・検査費は保険でカバーされるため、受診時に会計をしなくてよいシステムになっている。
クリニックは歩いて10分ほどのところにある。
そのため、肩から下げていたリュックには、サングラス、本、小銭、携帯電話、飴ぐらいしか入れていなかった。
今日は、歩き方をみて、インソールを作るようだが、歩き方チェックは保険でカバーされないよ、という話をお姉さんがしている。
いくら近所までとはいえ、ここはスペインだ。もしものときに、バスぐらいには乗れるようにしておこうと、常に小銭を持ち歩いていた。迷子になったときのために携帯電話も。そんな風に、自分なりに準備していたつもりだったが、この日の25ユーロは想定していなかった。小銭入れを開けたら、3ユーロ30センティモしかない。認めたくないが、どうやら今日は私の負けのようだ。
インソールを作ることを知らなかったため、財布を持って来ていないこと、小銭入れは持っているけれど、3ユーロ30センティモしか入っていないことをお姉さんに伝えた。
「ほんとにクレジットカードも何も持ってないの?あなた、それ手ぶらできたの?」
お姉さんにピンクの小銭入れを見せ、これしかないのですと伝えた。
3ユーロ30センティモというと、400円ちょっとだ。今時、小学生でももう少しお金を持ち歩いているかもしれない。ちょっと恥ずかしかった。

3ユーロ30センティモあると、1キロ以上買える。
その後、保険では何がカバーされるかされないかという話をお姉さんがしていたが、だんだん話が難しくなってきた。
どうやらこいつはピンときていないなと察したのか、お姉さんはマスクを外し、同じ内容を同じ言い回しで同じスピードで、しかし声のボリュームだけは倍にして話してくれた。しかし、お姉さんには大変申し訳ないが、いくら声量が倍になっても、スピードと言い回しが同じであれば、私の理解度は上がらなかった。
飛沫も飛ぶよと思い、後ずさる私と、保険の内容について説明し続けるお姉さんの横では、「次、アントニオどうぞ」と呼ばれて、立ち上がる2人のおじいさんがいた。療法士さんが、そうね、2人ともアントニオだけど、今はアントニオ・フェルナンデスの方で、ロドリゲスじゃないのよ、とやんわりと諭しているのが聞こえた。待合室には、その2人と私しかいない。2人しかいないのに、まさかの2人ともアントニオマジックだった。

財布を取りに帰ったほうがいいか、お姉さんに聞く。
本当はそうなんだけど、まず先生と話してみて、とお姉さん。
「やあやあ!見せてごらん」
五本指靴下を不思議そうに見ている先生に、3ユーロしか持って来ていないことを伝える。
ほほお、と言った先生は、私の踵を触りながら、ウインクとともに続けた。
「今やっても意味ないから、9月にしよう!」
え、9月?と思っていると、先生は続ける。
「今日は比較的涼しいけど、君は来週からつま先の開いたサンダルを履く」
先生の言葉の意味するところを考える。
先生は続ける。
「夏はスニーカーを履かない。サンダルを履いたらインソールは使えない。インソールは発注してから届くまでに2週間かかる。9月に発注して、届くのは10月ぐらいかな。その頃には、またつま先の閉じた靴を履いているよね。だから、また9月に会おう、唐草!」
そうか、来週から私はつま先の開いたサンダルを履くことになっているのか。私も知らなかった。
ははは!と笑う先生の声とともに、診察なのか雑談なのかよくわからないセッションが終わった。先生には、私の五本指靴下を披露しただけであった。
受付のお姉さんに事情を話すと、そりゃそうよ、今やっても意味ないわと言う。意味ないのか。もうこのころには、何をしに来たのかよくわからなくなってしまった。
9月の予約、今から取っておこうかと聞かれる。
しかし、秋はまだ遠い。
また8月頃お電話しますと言った。
「8月はクリニック閉まってるけど」
お姉さんは真顔で言う。
この町では、クリニックにも一カ月単位で夏休みがあるらしい。
アンダルシアマスターへの道は遠い。
9月の予約をお願いし、この日負けっぱなしの私は、クリニックを後にした。
歩きながら、スペイン語のレベルアップが急務であることを痛感した。先ほどの保険の内容が全部理解できなかったことも大きい。また、例えマスクを外しても、言い回しとスピードが同じであれば、声のボリュームを上げてもわからないものはわからないことを学んだ日であった。

◆
翌日、本屋さんに向かった。
ずっと放ったらかしにしていた、スペイン語の勉強を再開するためだ。前日のくやしさもあった。
そういや、B2を取って大学院になどと言っていたのは、どこの誰だっただろうか。
2年前の私であった。
先日、読書の5月、になるかは私次第、と書いた。
読書の5月になったかはわからないが、結果的に、このような感じで5月を終えた。
・ねずみの本2冊
・『細雪』の上巻
・ガルシア・マルケスの短編
・三島由紀夫の小説スペイン語翻訳版を読みかけるも挫折
もともと、読書の5月ではなく、勉強の5月にしたかったのである。
しかし、どうしたわけか、気が付いたら、5月後半あたりにはスペイン語の本は机の上にすらなかった。
◆
パンデミア前にスペイン語の勉強を始めた。
よし、試験を受けるぞと思ったら、パンデミアで試験がキャンセルになった。
その後、試験は再開されたが、外出禁止令が出ていた時期である。長めの口頭試験もある。密な空間で数時間の試験を受けるのは、もう少し先にしようと思った。
その後は、親の手術での帰国や日々のあれこれと、まあ一番の理由は自分に甘いせいで、試験のことはなかったことになっていた。つまり、勉強はしていなかった。
言ってしまった。
勉強はしていなかった。
また、最近では、仕事関係の勉強を始めてしまい、スペインに住んでいるのにスペイン語がだんだん遠くなっていった。これはまずい。
身近な目標を決めないと、がんばれませんよねと夫が言う。
そうか。
じゃあ、試験を受けようかな。
軽い気持ちで決めた。次の試験は11月らしい。
とりあえず、模擬試験をやってみよう。
そんなわけで、本屋さんに向かったのである。
本屋さんには、ねずみの本探しのときにお世話になったお姉さんがいる。
ねずみの本の感想を言うと、お姉さんはとても喜んでくれた。
今日は試験対策本を探していること、特に、読解をやりたいのだと言うと、ガルシア・マルケスの短編を用意してくれた。エレンディラだ。昔日本語で読んだので、スペイン語で読めると思うとわくわくする。問題集も買った。
「これは、ねずみのよりだいぶん難しそうですね」
お姉さんが笑う。
「大丈夫よ!、私だって日本語全然わからないし。少しずつ。試験はいつなの?」
まだ受けるかわからないが、試験は11月にあると言ってしまった。
あら、じゃあまだ時間あるじゃない!とお姉さん。
そうなんです。ただ、私には夏の浦島太郎という空白の期間があって、その期間は、いろんな意味で宇宙にいるも同然で、スペイン語0月間になること間違いないのだ。しかし、そんなことをお姉さんに言っても仕方ないので、はい、がんばりますとやる気を見せる。
お姉さんは応援の印にと、かわいい栞をくれた。中にマグネットがついていて、クリップのように挟んで留めることができる。何だか、がんばれそうな気がしてきた。

本屋さんを出て、スーパーに向かう途中、天才的にいいアイディアを思いついた。
そうだ、せっかくスペインに住んでいるのだから、何でもないことでも、お店の人に質問をしてみればよいではないか。スペイン語の練習になるどころか、苦手な接続法の練習もできる。お店の人にとっては迷惑な客であるが、今日だけ許してもらおう。
もうすぐ夫がマドリードにゆくので、ボカディージョ用にハモンなどを買っておこうと思っていた。ハモンとチーズ売り場で眠そうなお兄さんを見つけた。これとこれ、ボカディージョに入れるならどっちがいいか聞いてみる。そんなもんお前、好みによるに決まってるやんけ、朝からそんな質問あかんぞと言われ、30秒で会話は終わった。
天才的であったはずのアイディアは、早くも失敗に終わったが、まあ今日はこんなところかとスーパーを後にする。
◆
家に帰って紅茶で一息いれ、買ったばかりの問題集を開いた。
リスニングのエクササイズからだ。
この問題集は音声ファイルがダウンロード式になっている。
ウェブサイトにアクセスして、名前などを登録すると、ダウンロード用のリンクを送りますと書いてあった。
必要事項を入力して、登録ボタンを押す。
今、メールをお送りしましたので、確認のためにリンクをクリックしてくださいとある。
受信ボックスにメールはない。
数分待ったが特に何も起こらなかった。
しばらくウェブサイトを眺めるが、何も起こらなかった。
次の日まで待ったが、何も起こらなかった。
スペインだから自動送信のメールにも時差があるのかもしれない。
一週間待ったが、何も起こらなかった。
さすがにスペインでもこれは遅い。
ウェブサイトに再度アクセスすると、会社の電話番号が書いてあった。
マドリードにオフィスがあったので、電話をしてみる。
誰も出なかった。
騙されているのだろうか。
それとも、リスニング問題と見せかけて、音声を聞かずに穴埋め問題をしてみろという新しいスタイルだろうか。
もう一度ウェブサイトを確認した。
お問い合わせ用のメールアドレス宛にメッセージを送った。
翌朝の9時にメールが届いていた。
「今、新しいウェブサイトを作成中で、現状のサイトは機能していないのよ」
スペインなので、「ごめんね」の一言はない文章から始まるメールとともに、担当のアナさんは、音声ファイルを送ってくれていた。
よかった。騙されていなかった。
ずいぶん遠回りをしたように思うが、これでようやくスタートラインに立てそうである。今からだと11月の受験は無理のようにも思いはじめているが、まずは勉強してみよう。
どうしたって自分に甘い私であるから、何かとびきりの自分への褒美を用意して。
そして、暑さ対策も講じなければならない。
こんなに暑いのに、先日までエアコンを使っていなかった。室外機のところに、鳥が巣を作っていたからだ。熱い空気が出たらかわいそうだと思い、エアコンをつけるのを我慢していた私に友人が言った。
「鳥は助かるかもしれんけど、あんたらは助からんで」
ひな鳥が成長し、3日程前に旅立っていったのを確認し、エアコンをつけた。
これからは、少し涼しくなった部屋で、冷静に勉強を進めたいところである。
皆様も楽しい夏になりますように。
