それはまた別の話の話
先月、スペイン語の試験を受けに行った。
よれよれになって歩いていた帰り道、携帯に画像ファイルが届いた。
バスのチケットだった。
いたずらだろうかと思った私は差出人を確認する。
え!!
エルサレムの友人じゃないか。

お正月には栗きんとんが食べたい。
エルサレムには、「友人」と呼べる人が二人いる。
一人は、ポーランド系のユダヤ人のヨシ。
生物学者でダンサーである。
どっちがメインかわからないのがおもしろい。
家にくると、彼は上半身裸で歩き回り、上半身裸のままハグをしようとする。
繊細ですぐにすねるが、心が大きくあたたかい人だ。
一度、私が使っていたとっておきの石鹸を体に直接塗りたくり、泡をもこもこたてていたことがあった。
びっくりする私に、この石鹸すごくいいね!と彼は笑顔で言った。
それ以降、ヨシがくるときは、私にできるおもてなし(という名のリスク管理)のひとつとして、彼専用に新しい石鹸を渡している。
育ってきた環境が似ているせいもあってか、気が合った。
Hi dearとかHi kuki(ヘブライ語で「ハニー」のような感じだろうか。クキと発音する)から始まる彼との電話はいつも長くなる。
もう一人は、知り合いの紹介で知り合ったユダヤ人女性。
インテリアデザイナーをしている。
本人は否定するが、アンディ・マクダウェルにめちゃくちゃ似ている。
だから、ここではアンディとする。
そこにいるだけで場が華やかになるような人だ。
娘さんが三人いる。
お母さんに似て、びっくりするような美人揃いだ。
ところで、アンディのお孫さんは、私のヘブライ語の先生だった。
「これはネックレスのようですが、実はネックレスではありません」
なぜか、会うたびにこの一文を暗唱させられ、そのたびに違うと言われていたのを思い出す。
「唐草、今日はこれを教える」と言って、いつも不思議な言葉を教えてくれた。
目線が同じぐらいなのか、子どもには割と好かれるほうではある。
というより、彼らは往往にして、どうせお前は知らないだろうから教えてやろうぐらいの感じでやってくる。
この年になっても素直だけがとりえの私は彼らの空間に入れてもらっているにすぎない。
当時確か5歳ぐらいだった彼女は、今もときどき「あの子(私)はどうしているのかしら」とアンディに聞き、私が住んでいた家を車で通るとき「ここは、唐草の家」と指さすらしい。
エルサレムに住んでいた頃、特に後半はヨシとアンディと私の三人で集まることが多かった。
その後、ヨシは2年に1回ぐらいのペースでスペインに遊びに来ていたが、ここ数年はパンデミアで会えていない。

友人に写真を送ったら、「え、これ豊水やん」と返ってきたので日本の梨であることがわかった。
アンダルシア田舎にも日本の梨が!!
その翌週、私は市場で日本の梨のおいしさについて声高に主張した。
「君、嬉しそうに話すなあ!そんなにおいしいなら、一つ買うわ!」と
おじさんが言ってくれたのは嬉しかった。
今年の10月末、アンディはスペインにいた。
フラメンコを習う目的で、アンダルシアの大きな町に滞在していたのだ。
滞在期間は3週間。
その間に会いたいと連絡をもらっていた。
エルサレムを離れて7年。
その間、一度も会えていない。
一度私が2日ほどエルサレムに行ったことがあったが、嵐のため会うことができなかった。
今度こそ。
そう思っていたら、ちょうどアンディがスペインに着いた頃に夫が流行り病に感染し、次いで私も感染した。
今回もアンディに会えないのか。
当時、感染後の自宅療養中だった私は、状況を連絡し、会いに行くのは難しいかもしれないことを伝えた。
大丈夫よ、また会えるもの。
今はまず元気になることよ!
アンディは、優しいメッセージを送ってくれた。
自宅療養を終え、初めて外に出たのは彼女のスペイン滞在が終わる数日前。私が行けないなら、この町に来てもらおうかとも思ったが、毎日フラメンコのレッスンで忙しくしている彼女に出発直前にわざわざ田舎町に来てくれというのも少し気が引けた。

スペイン語の試験を何とか終えた後、よれよれのよろよろで帰り道を歩いていた私の元に届いたのは、アンディからのメッセージだった。
添付されていたバスのチケット。
行き先は私の町。
日付は翌日。
え!!!!
びっくりして彼女にメッセージを送ると、バスの座席を予約したから明日顔を見に行くと返ってきた。
よれよれのよろよろの私は、ひとまず深呼吸をしようと立ち止まった。
来るってか。
7年ぶりに会えるってか。
叫びたいけれどまだ声が万全でなく叫べない。
マスクの下で鼻息だけはふーふーと荒かった。
果たして、翌朝、アンディは我が町のバス停にいた。
くるくるの髪をかき上げ、まぶしそうに目を細めて空を見上げている女性、あれはアンディだ!!
手を振ると、走ってやってきた。
彼女の友人も一緒だ。
ああ、ありがとう、ありがとう。
痛いぐらいにぎゅうとアンディに抱きしめられながら、来てくれたお礼を何度も言った。
7年ぶりのハグは、とってもあたたかかった。
犬を触るように髪をぐしゃぐしゃと撫でられ、ここのところよれよれの私はさらによれよれになった。
でも、これは嬉しいよれよれだからいい。
皆で町を歩く。
何から話していいかわからない。
声があまり出ないので、主に彼女の話を聞いた。
滞在している町の話、エルサレムの話、家族の話、いろんなこと。
7年ぶりだけど、アンディはやっぱりアンディだ。
ネイルをした爪を恥ずかしそうに見せてくれ、これね、娘がやってくれたのよ、フラメンコを勉強しにいくならネイルぐらいしろって言われてと笑った。
一目見て、私がまだよれよれであることに気付いたアンディは、途中何度も座らせてくれた。
一緒に来てくれた彼女の友人はアンディの高校からの同級生で、なんとヨシと同じ病院に勤めている。
世界は狭い。
イスラエルも狭い。
後でヨシに伝えよう。

青空の下、アパートの屋上でお昼を食べた。
途中、体力が完全に戻っていないところへ歩き回ったせいか、私は眠くなってきた。
多分、少し寝たのだろう。
彼女たちの声を聞きながら、ぽかぽかの屋上でうとうとする時間は最高に幸せだった。
久しぶりに聞くヘブライ語が耳に心地よく響く。
ところで、私にとってのスペイン語とヘブライ語の響きは、それぞれクレヨンしんちゃん、セクシーなときのジョージ・クルーニーのイメージである。
イメージが伝わったら嬉しい。
前に、スペイン語をそれらしく話せるようになるにはどうしたらいいかと友人に聞かれたことがあった。
しんちゃんをイメージしたら大体大丈夫だと思うと言うと、それ以上何も聞かれなかった。
イメージはなかなか伝わらないようだ。
話がずれた。
アンディの年齢は聞いたことがない。
おそらく60代かと思われる彼女たちは、めちゃくちゃかっこよくて、この日たまたま行われていた野外コンサートのステージ横で自由に踊っていた。
私は立っているのが精いっぱいだったが、彼女たちが踊るのを見て喜んだ。
目を細めると、気のせいだろうか。
アンダルシア田舎が一瞬エルサレムの旧市街に見えた気がした。
アンディは、お土産に私の大好物のタヒナを持って来てくれた。
毎日でも食べたいタヒナ。
これでパンにタヒナを毎週塗れる。

夜8時ごろ、アンディたちをバス停まで送っていった。
バスは来ない。
よれよれのよろよろは、この頃には立ったまま寝られるようになっていた。もう今すぐタクシーで帰りなさいと言われながらも、これは7年ぶりのことなのだ、今日だけはあなたたちがバスに乗るのを見届けてから帰ると言い張った。
時間通りに来ないバスが、今回ばかりはありがたかった。
来年は絶対エルサレムに来てよ、という彼女に、首を縦に振った。
何度も何度もハグをして、"Anachnu nedaber"(また話そう)と言った。
かくしてアンディとの7年ぶりの再会が果たせた。
翌日、「ヨシに写真を送ったらすねている」とアンディから連絡があった。
翌々日、エルサレムに戻ったアンディは、私からの言付けとお土産をヨシに渡し、一緒にご飯を食べたことを教えてくれた。
ヨシからはちょっとすねた声で音声メッセージが届いた。

来年は、エルサレムでの再会を約束している。
私にとっても数年ぶりのエルサレム。
あの天下一武道会のように磁場の強い旧市街や嘆きの壁を思い出したら、武者震いがした。
今年は年末と年始納期の仕事が一つずつあり、ゆっくり年越しできなさそうな気がしているが、アンディからもらったパワーとタヒナで乗り切れるはず。
大掃除は夫に任せた!
さっき行った郵便局では、送付金額が印字されたそれはそれはもう大きくて長いシールを日本に送るポストカードに貼られた。
普通の切手の5倍ぐらい長い。
そのため、メッセージ欄の「あけましておめでとうございます」に大かぶりし、「あけ」しか見えなくなったけど、意味はきっと伝わるはず。
まあ、なんとかなる。

今日もタヒナがおいしい。
来年はエルサレムで会おう!!
