水は止まれど、ジョージ・クルーニー
熱は下がったが、腕がかゆい。
ちょうどワクチンを接種した場所である。
まだ少し腫れているので、筋肉隆々の人みたいにも見える。これはこれでかっこいい。しかし、あまりにもかゆいので、ギサンテに力を借りた後、ムヒを塗った。
今日は、朝から電気が止まりひと騒ぎした後(停電だった)、
何事もなかったかのような顔をして理学療法に行った。
ねずみの本を携えて。
担当のマリアさんはとても優しかった。
青空の下、赤やピンクの花がサングラス越しの目にも鮮やかだ。
これは朝から気分もよくなるなあとアパートまで帰ってきたら、
外門の真横に大きな穴があいていた。
そこから顔をのぞかせているのは、太い水道管。
これはもしかして断水、またもや茶色い水が出るのかと身構える。
工事を知らせるポスターは周囲に貼られておらず、特に事前案内も来てないぞと思いながら、アパートの鍵を持ったまま考える。
ゴーグルにしか見えないと言われたサングラスと、FFP2マスク(ヨーロッパ人の立体的な顔に合う仕様なのか、平面顔の私が着用するとどうも変である。着用時の様子をお見せできないのが残念である。あまりいろんなことを気にしない夫にも、それとなく「アジア人向けのマスクを探しましょうね」と何度か言われているが、まあいいさ、とそのままつけている)のせいか、いつもより2割増しで挙動不審に見えるためか、近くで作業をしていたらしいお兄さんがこっちにやってきた。
これはチャンス。
お兄さんに話しかける。
「すみません。ここに住んでいる者ですが、これはもしかすると水道管の工事でしょうか」
「そうだよ!」
お兄さんはきらきらの笑顔で答えてくれる。
今すぐにでも清涼飲料水のコマーシャルに出られそうなさわやかな笑顔だ。
いや、この笑顔にだまされてはならない。
「つまり、それは断水の可能性もあるということでしょうか?」
「あるかもしれないなあ! ふふん」
「えっと、それは今日でしょうか」
「今日は多分大丈夫。明日かなあ、あるとしたら」
お兄さんは顎ひげを触りながら考えている。
横顔がとても美しく、誰かに似ていると思ったら、ジョージ・クルーニーだ。
見目麗しいジョージは、顎ひげを触りながら続ける。
「そうだ、明日はね、朝の9時から11時ぐらいかな、もしかしたら水が使えないかもしれない。でも、心配しないで!」
心配しないでとは言えど、この周辺の人たちは、きっと断水のことを知らない。急に水が止まったら、びっくりしやしないだろうか。いやひょっとしたら、今回も知らないのは私だけなのだろうか。そして、断水するが心配するなとは、文字通りにとらえてよいのだろうか。マスクの下で、あんぐりと口が開いたままの私だったが、ジョージは笑顔だ。
「じ、事前に連絡は……」
「いやあ、大丈夫。心配しないで!」
「そ、そうですか。9時から11時ですね、わかりました。ありがとうございます!」
「どういたしまして。じゃあ、またね!」
じゃあ、またね、にウインクがついてきた。
「今日はこれぐらいにしといたるわ」の池乃メダカを懐かしく思い出しながら、完敗でアパートに入る。
結果的に、明日は断水、または茶色い水が出るかどうかわからず、スペイン人が「9時から11時」というならば、午前中いっぱい(9時前から彼らがお昼休憩に入るであろう午後2時ごろまで)みておいたほうがいい。
しかし、ジョージの相手が、「あの人素敵」の定義がまあまあずれているらしい私でよかった。そして、サングラス越しでよかった。これが他のスペイン人たちなら瞬殺だったかもしれない。
ということは、誰かがもし文句を言ってきたときのために、ここにいるのだろうか、麗しのジョージは。
そんなことあるわけないのだが、あのさわやかな笑顔の前では誰も何も言えなくなってしまうだろう。気が付いたら私も「ありがとうございます!」とお礼まで言っていたではないか。
「大丈夫」、とジョージが言ったから。
と書いても、何の記念日にもならない。
部屋に入り、我に返った。
やれやれと自分に呆れながら、紅茶を淹れる。
一口飲んで、考える。
きっと、この水は大丈夫だろう。
しかし、これまでの経験から、私の中で認知バイアスのようなものが働いているせいか、この水を大丈夫だと今一つ信じられない自分がいる。
コップ半分ぐらい飲んだが、途中、一口飲むたびに、これは茶色い水ではない、まだ今日はパイプになんの影響もない、と自己暗示をかけ続けた。
しかし、ジョージの魔法が切れてしまった今、それ以上はコップに手が伸びない。
そう、きっと、この水は大丈夫なのだろうけれども。
一時間後、スーパーで買ったミネラルウォーター片手にこのnoteを書いている。
腕はかゆい。
いつもにまして、めちゃくちゃのまま今日のnoteを終わる。
朝の停電から慌ただしかったが、午後は平穏に過ごせることを祈る。
そして、今日は水を多めに買っておこう。
