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AIという名の奴隷は、私たちを自由にするのか?

人間がAIを手に入れたことで、労働から解放される未来をよく目にします。
今は知的作業の補助が中心ですが、やがて肉体労働までをAIが担うようになり、人間はより創造的な活動へ、そんな物語が静かに広がっていくと言われています。

何でも代わりに働いてくれる存在。極端に言えば、それは「現代の奴隷」を手に入れることに近いのかもしれません。

ただしAIには疲労も不満もありません。少なくとも、今の能力において電力が続く限りは。

ここで通常は、「従属させられる側」にフォーカスがあたるのですが、今回は、それを所有する側に何が起きていたのかという視点で考えてみたいと思います。

とはいえ、私は歴史に詳しいわけではありません。そこでAIに尋ねると、意外にも古代ローマの話を持ち出してきました。もちろん私はアメリカの話が出るものと思っていました。
古代ローマでは、農業、建設、鉱山、家内労働、さらには教育まで、大規模な従属労働が社会基盤を支えていたそうです。

大量の労働力を抱える社会は、一見すると効率的です。しかし同時に、ある変化も起きていました。安価で使える労働力が潤沢にあると、市民層が自ら働き、技術を改良し、工夫する動機が弱まっていきます。つまり社会は、「労働からの解放」ではなく、依存構造の固定化へと向かっていったという側面があったのです。

そして、もう一つ見逃せない変化があります。大量の従属労働が存在した社会では、すべての市民が平等に豊かになったわけではないという事です。労働を管理し、活用し、構造を設計できる層と、そうでない層との間には、静かな分断が生まれていきました。
いつの世も「労働からの解放」は、必ずしも能力の解放を意味せず、むしろ、主体性を維持できる者と、与えられた安定に身を委ねる者との差を拡大させることがあります。

古代ローマでは、その象徴的な政策として「パンとサーカス」があったと言われています。無料の穀物配給と、剣闘士競技や戦車競走といった娯楽の提供です。国家が生活の基盤と刺激を同時に与えることで、市民は政治から距離を取り、大きな体制の中に組み込まれていきました。
それは単なる堕落の物語ではなく、巨大化した社会を安定させるための仕組みでもあったのです。


ここでAIに話を戻して、もしAIがあらゆる作業を代替する「完全代替労働力」になったとき、私たちは創造へ向かうのでしょうか。それとも、思考そのものを外部装置に預け、判断力を静かに手放していくのでしょうか。

パンとサーカス、それは現代において議論がされているベーシックインカムに繋がるものがあります。

古代ローマは驚異的な繁栄ののち、やがて衰退へと向かいます。そこには軍事的負担、政治の不安定化、経済構造の変化など、さまざまな要因が絡み合っています。
その中の一つとして、市民層の自律的な経済活動や公共への関与が弱まっていったことも、構造的な要因の一つだったと指摘されることがあります。

安定は、人を守ります。しかし同時に、思考や責任の外部化をゆっくりと進めることもある。

賢者は歴史に学ぶと言います。
もしかしてこの一瞬、私は賢者だったのかも。


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