エイルと最後の竜 #5
ラマカサ - 闘技場
一方、旅を続けているエイル一行は大陸の南北を分ける山脈に近づいていた。街道沿いの宿を出ると、次は山脈直前の大きな町ラマカサである。
分かれ道で休憩していると、隊商が通りかかった。雇われの傭兵の一人が柄悪く、シキに「あんたはそこそこ強そうだから、ラマカサの闘技場で会おう」などと言うのだった。田舎育ちの双子にとって、闘技場というのは聞いたこともない単語だ。素朴な疑問に、シキが答える。
「何というか……まあ簡単に言えば戦うところだ。一人対一人で闘い、勝った者に賞金が与えられる。俺の知っている闘技場と同じなら、の話だが。地方によっては賭けが行われるところもあるらしいな。勝ち進めばそれだけ儲かるわけだが、無論それだけの強さがなくてはな」
「それじゃ、シキが出れば絶対勝つんじゃない? 私たち、お金持ちになれるかな」
クレオが興奮気味に言うと、エイルが馬鹿にしたようにクレオを睨んだ。
「貴族が出るわけないだろう。あんなのは平民がやるものだ。まあ、見世物としては面白いけどな」
「何よ、えっらそーに。どうせあんたなんか出たって一回も勝てないから」
「なんだと」
馬上で睨み合う二人に、シキが仲裁に入る。
「貴族が出てはならんという決まりはないが、場違いというかなんというか……。我々には王宮での正式な儀式や祭典がある。腕試しはそちらでやるのが通例だな」
「そっか。……うーん、想像もできないなあ。今はこうして並んでるけど、シキもエイルも本当はお城にいてさ、俺たちなんか口も利けなくてさ……って、こういうのは外で話さない方がいいんだよね」
「まあ今はいいが、人のいるところではやめておいた方が無難だろうな」
シキはそう言って笑う。このところ、シキがよく笑うようになった気がする、とクレオは思った。レフォアの城下町やイルバで再会したころは、シキはいつも考え込んでいて辛そうだった。しかし近頃は、こうして笑うことが心なしか増えたような気がするのだった。クレオは心の中でそっと呟く。
――笑ってる方がいいな。やっぱり。
ひんやりとした夜が、密かに忍び寄ってきている。左手には広がる空に夕焼けが滲み、右を見れば地平線近くに小さな星が輝きだしていた。遥か遠くまで緩やかに続いていく丘、その間に畑や街道が見え隠れし、家々が寄り集まった小さな村もぽつんぽつんと見える。行く手には、シンジゴ山脈が黒々としたその姿を横たえていた。
「まだか。この私を寒空に放り出したままで」
天幕を張ろうとしているクリフとクレオに向かって言うが、返事が返ってこない。シキは薪を拾いに行っているし、双子は食事の準備や荷物の整理に忙しい。故意に無視されているようだ。構っている暇はないという態度が癪にさわる。しかしそういうことを口にするのもまた腹立たしい。
――別に、構って欲しいとかそういうことではない。
「まだできないのかと聞いているのだ」
クリフもクレオも、聞こえない振りを装っている。エイルは、ひときわ声高になった。
「レフォアの王子たる私が、お前たちに合わせて野宿してやるというだけでも、大変な譲歩なのだぞ。これだけお前たちに合わせてやっているのだから、私の座る場所くらいさっさと提供したらどうなんだ」
それでも双子は答えない。負けてはならじと、エイルはいよいよ早口でまくし立てた。
「まったく、王子たる私が野宿だなんて。信じられないな! 土の上に寝るだなんて。机についての食事もできぬ。ひどいものだ。ああ私は惨めだ。運命の神クタールよ、レフォアの守護神にして知恵者であるバダッフよ、こんなことが許されていいものなのだろうか」
「ちょっと!」
「なんだ」
「なんだ、じゃないでしょ。いくらなんでも言いすぎよ。辛いのはみんな同じだし、旅暮らしにもいい加減慣れてよ」
「分からん奴だな。みんな同じだと? 私とお前たちが同じでいいものか。そっちこそ、いい加減に階級というものを理解してわきまえろ。何も羽根の布団や絹の服を用意しろとは言わぬ。座る場所も用意せず、王子たる私の言葉を無視して放置するなど、言語道断だ」
「だからぁ……。何度言ったら分かるのよ。そんな暇ないの。座りたいなら、自分でやればいいでしょ。外套でもなんでも敷いて、座ればいいじゃない。大体あんたの休憩が多すぎるから結局野宿になったじゃない。こっちは食事や寝床の支度してて忙しいのよ、むしろ手伝いなさいよ」
「この私になんという口の利き方だ」
「クレオ、まあいいじゃない。エイルは本当に王子様だもの」
「何言ってんのよ、クリフまで。偉いからって何言ってもいいってことにはならないわよ」
怒り心頭といった様子で、クレオは声を張り上げた。当のエイルはといえば、それを無視してでき上がった天幕の中にもぐりこむ始末。それを見たクレオは怒りに震えている。と、そこへシキが帰ってきた。
「クレオ」
「あ……シキ、お帰りなさい。あのね、えーっと、私」
しどろもどろに言い訳をしようとするクレオの耳に、シキは小さく囁いた。
「クレオの気持ちは分かる。実際、俺もエイル様の対応には手を焼くことがあるよ」
驚いたように目を見開くクレオに、シキは片目を素早くつむって見せた。
「だが、王子としての誇りがそうさせるのだ。エイル様にはエイル様の立場があり、それはクレオと同じではないのだ。分かってくれというのは難しいだろうが……」
シキの深い緑の目に見つめられると、どうにも落ち着かない。うつむいたクレオを覗き込み、クリフが無邪気に慰める。
「何だよ、そんなに落ち込むなよ」
「……馬鹿っ」
「何で俺が馬鹿なんだよ?」
「いいの! ほら、薪に火をつけなきゃ」
慌てて食事の支度を始めるクレオに、クリフはなんだか良く分からないといった様子で肩をすくめた。シキはその様子を見て微笑んでいる。
――サナミィで初めて出会ったころはまったく見分けがつかなかったものだが……。
サナミィでのことが、もうずっと遠い昔のような気がする。子供の成長は早いものだ。相変わらずそっくりだが、双子はそれぞれに変化の兆しを見せていた。クリフはこのところ成長期なのか、よく食べるようになり、背も伸びた。シキが毎日欠かさない訓練も、一緒にやるようになった。クレオは野宿をするときの料理担当だ。限られた食料で様々なものを作る。王宮料理に馴染んだエイルですら、感心することがあるくらいだった。また破れた服を綺麗に繕ってくれたりもした。クリフやシキも繕い物や洗濯はしたが、クレオが一番器用なのは間違いなかった。
双子とは、イルバで再会してからずっと一緒に旅をしてきた。王子であるエイルに加え、旅慣れていない二人を連れての道中は当初、なかなかに大変だった。だが、クリフもクレオも良く働き、その成長も目を見張るものがある。近頃では十分な旅の戦力として役に立つようになり、シキは二人を頼もしく思うようになっていた。
エイルは天幕の中でくつろぎ、クリフとクレオは火を焚きつけるのに夢中になっている。それを見やって、シキは再び顔をほころばせた。質素であると同時に、無駄のない生活。旅の暮らしは楽ではなかったが、シキにとってはたいして辛くもない。レフォアヘ来る前、子供のころはずっとこうして旅をしていたことを思い出す。自分にはむしろ、宮廷暮らしよりも性に合っている気がする。冬の寒さが彼らを包み、焚き火のはじける音とともに夜は更けていった。
ラマカサに着いた一行は宿を取った。クリフは、町を歩いていてぶつかった女性に「田舎者」とからかわれる。彼女は親切に町を案内してくれ、夕食後にもっと話をしてくれると言う。そしてクリフに、「シキという人に頼ってばかりでなく、あんたが妹やエイルも守ってあげなきゃ」と諭すのだった。闘技場では職業認定試験も行われているから、職業の資格を取ったらどうだとも勧められる。シキが尽きそうな資金に頭を痛めていることなど、クリフは知る由もなかった。
夕食後、クレオに行き先を言わずに出かけたクリフ。クレオは、今まで隠しごとなんかなかったのに、と少し落ち込む。ここ最近のクリフは背も伸び、体格も良くなっていて、自分が追い付けない気がしていたのである。
「ずっと、一緒だったのにな」
小さく息を吐いたら、突然悲しくなり、知らず、頬に一筋涙が伝う。
幼いころから二人は互いの半身だった。同じ顔で同じ時に生まれてきた子供など、聞いたことがない。姿も顔も声も同じで、どっちがどっちか分からなかった子供のころ。服を取り替えて親を驚かせたこともあった。きっと自分たちは一人で生まれるはずだった、これから先もずっと二人で生きていこうと話し合った。誰も自分たちの間には入り込めないし、お互いがお互いのことを一番理解している。はずだった。
「私たちは二人で一人だって言ったじゃない……お兄ちゃんのバカ……」
クリフの方が兄ということになってはいるが、普段は名前で呼んでいる。しかし今日は、クリフが自分を置いて大人になった気がしていたのだろうか。思わず口をついて出た「兄」という言葉に、彼女自身は気づいていなかった。
「いいよ、もう! 知らないからっ」
そう言うと、クレオは勢いよく布団をかぶった。
酒場では、先ほど知り合った女性、アゼから職業のことなどを教えてもらったクリフが、刺激的な時間を過ごしていた。やがて酔っ払いたちが喧嘩を始め、アゼに助けてもらって悔しい思いをする。また会えるだろうかと聞いてみたが、彼女には夫がいて、もう地元へ帰ると言う。
「クリフ。こうやって人と人は出会い、そして別れていくんだね。あたし、あんたに会えて楽しかったよ。また会えるか分からないけど……」
「もし会えたら、そのときにはきっと認定書を見せるよ。俺、弓が得意なんだ」
「ん、楽しみにしてる。……じゃね」
軽く手を振ると、アゼはクリフに背を向けた。そして彼女らしく早足で、姿勢良く歩いていく。角を曲がって行ってしまうまで、振り返ることはなかった。クリフはその後ろ姿から目を逸らさずに立ち尽くしていたが、ふいに何かが胸に込み上げた。それを振り切るように走り出す。痛い腕の傷など、思い出しもしなかった。クリフはそのまま宿まで、一度も立ち止まらずに走って帰った。
貴族は出ないと言っていたシキだったが、資金稼ぎのため闘技場の勝ち抜き戦に出場し、連勝を続けていた。クリフは、ラマカサへ来る前に出会った柄の悪い傭兵との対戦を心配したが、それにもシキはあっさりと勝った。ラマカサの領主フォマーはシキの連戦連勝を知り、決勝戦でお抱えの戦士とシキが当たるようにしろ、と、部下のザッツに指示をしていた。賭けの胴元もやっているので、ご自慢の戦士に勝たせて儲けも得ようとしたのである。
一方、クリフが挑む資格認定試験の朝。クリフは寝坊して、慌てて駆け出す。相変わらずそそっかしいようだが、クレオたちの応援を背に、やる気は十分だ。太陽神ハーディスが、宿から走り出したクリフを眩しく照らす。清々しい朝の空気と、活気に満ちた町の匂いに包まれる。体のどこか奥の方から、ぞくぞくするような何かが湧き上がってきて、クリフは震えた。
――これは武者震いって奴だ。
すらりと伸びた両足が力強く石畳を蹴る。体が軽い。どれだけ走っても疲れない気がする。旅立ったころには肩までの長さだったはしばみ色の髪は、今はもう風になびく程長くなっている。背中に背負った矢筒が小さく鳴る音を聞きながら、クリフは弓を握る手に力を込めた。
この地に住むすべての人々を守り、慈しむハーディスが頭上高くに輝いている。冬の風が吹きつけ、冷たさを感じはするが、ハーディスのおかげで心地がいい。ぽかぽかとした陽気の中、クレオとシキ、それにエイルは連れ立って闘技場へとやって来た。
「まだエイルには話してないんですか?」
クレオがシキにそっと耳打ちする。
「闘技場で稼いでいることか? ああ、話していない。クリフと訓練で町の外へ行っていることになっている。まあ、明日が大会だからな。町の広報板に名前が出れば分かってしまうかもな」
「……勝てそう?」
「ん? まあ、やってみないと分からないさ」
「怪我なんか、しないでくださいね。あー、私も回復魔法くらい使えるようになりたいな」
それを聞きつけたエイルが口を挟む。
「なんだ、魔法の一つも使えないのか?」
「そんな簡単に言わないでよ、じゃああんたは使えるって言うの?」
「馬鹿にするなよ。私ほどになるとな、火の魔法だろうが水の魔法だろうがお手のものだ」
「へえ、すごいんだ。じゃ、やってみてよ」
「これだから困る。お前が考えるほどお手軽じゃないのだぞ、魔法というものは。集中力が要るし、簡単な魔法と言えど、何も準備なしにできるほど甘くはない」
「なーんだ、できないんだ」
「違う! できないんじゃない、やらないだけだ。やろうと思えば火をつけるくらい、この場でだってできる。私にはたいした手間ではない。だがな、なんで私がお前に見せなきゃいけない?」
「何よ、偉そうに。結局エイルはさ」
「そんなことより、どこの席に座るんだ? よく見える席がいいぞ、私は。シキ、有料席とやらがあるようではないか、切符を手に入れよう」
「かしこまりました」
「もう……」
快晴の空の下、技術認定試験は進められ、クリフは若いながらも合格を勝ち取った。嬉しさに握りしめたこぶしに、ぐっと力が入る。
そしていよいよ、シキの闘技場での決勝戦である。
ラマカサの武闘大会は一年に十回行われる。凍夜の月の大会は第十回目にして一年で最後の大会だ。それだけでも盛り上がるのだが、今回はいつに増して大盛況だった。客の入り方からして段違いである。
今まで無名であったシキという剣士が十連勝していることに観客は熱狂しており、賭けも大いに盛り上がっていた。さらに、久々にその姿を見せた「千死将軍」ともあだ名されるヴァシーリーという大男との決勝戦は、否が応にも興奮が増す展開だった。賭けもおおいに盛り上がっているようで、領事フォマーは絶対の自信を持って試合を見守った。しかしシキはその対決で、膝に多少の怪我を負ったものの、ヴァシーリーを場外に落として勝つことができた。領主フォマーは、驚きと悔しさにまみれて口ひげをひねり上げることになったのだった。
翌日、エイルは自分だけ知らされていなかったことに怒り、宿を飛び出して街外れまでやってきた。なだらかな丘を登っていく道は、ゆるやかにシンジゴ山脈へと続いていく。エイルは短く嘆息すると、道の端、乾いたあたりを見つけて腰を下ろした。膝を抱え、もう一度、今度は大きく息を吐く。
――シキが私に黙っていたのは……私が役に立たないからだろうか。
小さなころから勉強が好きで、本もよく読んだ。第一王位継承権を持つ兄ほど厳しく王道教育を施されたわけではなかったが、とはいえエイルも第二位である。幼いころから多くの教師がやってきては外交、経済、歴史、音楽、礼法、言語など多くの学科を学んできた。エイルは乗馬や剣、水泳など運動よりも本を読む方がずっと好きだった。エイル自身が、学ぶことの楽しさを知っていたのである。城の図書館の本やジルクの部屋の大量の本など、とにかく読めるものは片っ端から読んだ。特に好きだったのは博物学で、植物には大変詳しい。その知識はなまじの大人に負けぬどころか専門の学者を唸らせることすらあった。だが、それは本を読んで得た知識にすぎない。本を読んで知ることと、実際に体験することとは、全然違う。
こちらの世界へ来てからは面食うことばかりだ。平民と王族。その暮らしは大きく違った。服も、食事も、何もかも。考え方や価値観が根本から違うのである。エイルは、王族としての誇りを持てと言われて育った。人は自分に仕えるものであり、自分はそれを上手く使う術を覚えなくてはならない。尊厳を持ち、相応の振る舞いをせよ。それがエイルに課せられた仕事であり、責任でもあった。親兄弟を失い、城を失い、国を失った今でも、エイルは王族である誇りを忘れるわけにはいかないと自分に言い聞かせていた。この旅を通して、自分が役に立たないことは痛いほど分かった。しかしそれに屈してはいけない。人の上に立つ人間として、誇りを失ってはいけない。そう思う自分は間違っていない。決して間違ってはいない……はずなのだったが。
「はぁ」
溜め息を吐いて、空を見上げる。と、その透き通った青い目に、何か影のようなものが映った。
「何だあれは? 何か……」
エイルは立ち上がると、黒い影の方へ走り出した。とても大きな、禍々しい黒いものが空で渦巻くように飛んでいる。鳥ではない。あんな飛び方をする鳥はいない。慌ててあたりを見渡したが、人の姿はなかった。エイルは再び空に目をやると、じっと目を凝らした。東の空へ飛び去るその姿をよく見定めたとき、背筋に戦慄が走った。右往左往していたが、やがて決心したように走り出す。街中へ駆け戻ったエイルは、彼にとって最高の速さで領事の館を目指した。
屋敷では、フォマーが悔しい内心を押し隠し、シキに褒美の金貨を大量に渡していた。自分に仕官しろと迫るフォマー。だがシキは旅を続けるためあっさりと断った。お気に入りのヴァシーリーが負け、賭け金も手に入らず、報奨金は取られ、仕官も断られ、フォマーは散々である。それ以上無礼な態度を取ると罪人扱いにするぞと脅していたところに、エイルが来たことが告げられる。シキはすぐに屋敷の玄関へと向かった。
フォマーの兵たちで、前日の闘技場での戦いを知らぬ者はいない。シキに睨まれ彼らは大人しく道を開ける。
「お、お前たち、何をやっとるんだ。追え、奴を行かせてはならん! 子供と一緒に捕らえて牢へぶち込め! わしを侮辱した罪で捕らえるんだっ!」
フォマーは執務机についたまま、口から唾を飛ばしてわめいた。その声で我に返った衛兵たちは、怯えながらも慌ててシキの後を追った。
宿屋にいた双子は、宿屋の老夫妻から追っ手のことを知らされ、山には夜盗や恐ろしい猛獣が出ると聞かされる。明かりさえ絶やさなければ大丈夫と火種をもらい、間一髪のところで逃げ出す双子。町の南門で合流した四人は山へと向かう。旅人は普通、朝の内に山へ入るのだが……。
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