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グローバリズムとナショナリズムの相克と相生

米国でトランプ第2期政権がスタートした。「米国第一主義」を掲げるトランプ氏は、グローバリズムと相対するナショナリズム側と見られている。グローバリズムは経済面で推進力が強い。各種技術発展は、経済におけるグローバリズムを現実化しつつある。経済におけるグローバリズムへの対応としてナショナリズムの動きが強まっている。


グローバリズムとナショナリズムは重層的に存在


2期目のトランプ米大統領が就任した。早速、「米国第一主義」を実現するための大統領令に続々と署名していると報道されている。
周囲からトランプ氏はナショナリズム側と考えられており、同じくナショナリズム側と見られているロシアのプーチン大統領、日本の故安倍首相等と相性が良いと見られている。彼らを支持する人達は、彼らがグローバリズムと戦っていると認識していることが多いようだ。では、ナショナリズム、グローバリズムとはどのようなものか。
小学館『デジタル大辞泉』では下記のようになっている。
 
グローバリズム:国家を超えて、地球全体を一つの共同体とみる考え方。汎地球主義。
ナショナリズム:国家や民族の統一・独立・繁栄を目ざす思想や運動。国家主義、民族主義、国民主義。
 
現在の国際状況は国家が基本単位となっているが、国際連合やEUなどの国際機関、APECやTPPなどの多国間の取り決めなどが重層的に存在している。ごく単純化すれば国家重視がナショナリズム、国際関係重視がグローバリズムと分けられよう。

世界平和を目指したはずのグローバリズム


一部のエキセントリックな人を除けば、平和を望まない人はいないであろう。しかしながら有史以降、人類の争いが絶えたことは無い。
集団間の武力行使を伴う争いは、近代国家成立以降は国家間の戦争という形で生じるようになり、少なくとも先進国では国内での集団間の争いが武力を伴うことは少なくなっている。近代国家が成立する前は、例えば戦国時代に典型的なように、同族意識を持っていても各地域の勢力間で武力抗争がしばしば生じていた。それが、近代国家として統一されることにより同族間での武力抗争は行われなくなり、同族意識がない集団同士、すなわち国家間の武力抗争=戦争が平和実現を阻んでいる。
近代国家成立による国内武力抗争の消滅に準えて、世界統一国家形成が世界平和実現をもたらすという発想がある。一方、諸国家間の価値観などの差異が大きく、世界統一国家を形成するのは少なくとも現状では不可能と考えるのが現実的との立場がある。前者はグローバリズムを志向し、後者はナショナリズムを援用する。
国際連合などの国際機関は、グローバリズムの実現が世界平和をもたらすとの発想に基づいている。しかし、現実には国際連合などが世界平和に貢献したことは皆無に等しく、国家間のバランス・オブ・パワー(balance of power:勢力均衡)こそが平和維持を可能とするという立場が、政治におけるリアリストと呼ばれる勢力である。
なお、裏社会やテロリストの話は次元が異なるので、本稿では対象としていない。

経済におけるグローバリズム

(1)経済におけるグローバリズムの現実化

世界平和の希求とは別次元で、経済活動の発展に伴うグローバリズム推進の動きがある。世界平和希求のグローバリズムよりも経済活動に基づくグローバリズムの方が、強力な推進力となっていると個人的には考えている。
自給自足の段階では、経済活動は一定の空間的範囲内で完結する。しかし、生産力が高まれば遠隔地との交易が生じるようになるであろう。さらに、生産-物流-販売などの分業が生じ、経済活動の空間的な範囲は拡大していく。近代に入って遠洋航海が容易になり、鉄道、自動車、航空機が発展し、物理的な移動容易性の拡大は地球単位での経済活動を可能とするようになった。さらに、インターネットなどに象徴される情報通信技術・情報処理技術の次元跳躍的な発展は、地球を一体的に運用することも不可能ではない分野を生み出しつつある。経済におけるグローバリズムの理想的状態の現実化が可能となりつつある。
 
図:グローバリゼーションの歴史

出所:経済産業省「令和2年版 通商白書」(令和2年7月)第2部第2章第1節「3つのアンバンドリングから見るグローバリゼーションの過去・現在・未来」より抜粋

(2)グローバリズムは理論経済学の桃源郷?

理論経済学は時間概念を捨象し、均質空間を前提としてスタートしている。そうした非現実的な時空における理論モデルを構築し、現実的な時間や空間、制度や資源制約などの条件を加えていく事によって、現実の経済現象の説明や解決策提示を試みることにより、理論経済学は人間社会に有用な学問となる。
しかし、いわゆる新自由主義と呼ばれる論者の中には、理論経済学の観点から見て不合理な制度や政策が問題であるとして、経済合理性の観点のみから現実を変更しようと試みる人々も存在する。前述した物理的な移動手段やインターネットなどの情報通信・情報処理分野の飛躍的発展は、理論経済学的時空間に近い現実を生み出すことを可能にしている側面がある。つまり、現実世界でのグローバリズムの実現は、理論経済学的経済合理性の貫徹を可能とし得る。

(3)グローバリズムの強力な推進力

広義の金融業や多国籍企業はグローバリズムと相性が良いため、グローバリズムの強力な推進力となっている。
カネは一種の記号であり、情報通信空間で取引可能である。また、広義の金融業は情報生産・情報取引・情報取扱こそが収益の本質的源泉である。多国籍企業が多国籍たる所以は、収益最大化のために生産・物流・販売の地球的最適化を図るべく活動した結果とも言える。
広義の金融業や多国籍企業にとっては、制度や政策などが世界共通である方が活動の自由度が高まり、収益機会が増加することになる。

(4)4大経営資源の移動容易性

経済におけるグローバリズムは、経営という視点では、経営資源と販売先を世界中に求め、地球規模での最適化を図ろうとする動きと言える。
会社の4大経営資源として、ヒト、モノ、カネ、情報が挙げられる。このうち、カネ、情報については、前述したような現代技術を前提とすれば、瞬時に地球のどこでも移動することが理論的には可能である。もちろん、物理的な情報通信基盤がない地域などは対象外ではあるが。
モノのうち動産については、各種の輸送機械の発展により、21世紀に入ってからでも20世紀以前に比べて移動がかなり容易になっている。ただし、『ドラえもん』の道具の一つである「どこでもドア」に類する技術が実現しない限り、カネや情報のように瞬時に移動することは不可能である。不動産については、不動産そのものは動かないが、企業の方がより最適な不動産を求めて動いてくる。

(5)ヒトの移動は容易ではない

最後にヒトであるが、他の経営資源に比べればそう簡単に移動できるものではない。出張などの一時的な移動であれば、前述の輸送機械の発展により以前よりは容易になっている。しかし、転居を伴う移動、特に国境を越える移動となると、一部の人々を除き、様々な障害があるのが通常であろう。住む場所を確保する必要があるし、天涯孤独でなければ家族間の調整も必要となる。また、国境を越えた転居の場合は、程度の差はあるものの国家によるスクリーニングが実施される。
技術的あるいは手続き上の問題以上に、転居を伴うヒトの移動は生活環境が大きく変わるし、異なる言語の国への転居は日常会話の問題もある。そもそも人は土地に根差して生きるものであり、身土不二(※)と言う言葉もある。移住ということになれば、アイデンティティの問題も出てくるであろう。従って、経営の都合に合わせて大量のヒトを移動させることは通常では容易ではない。
 
※「身土不二」とは、身体(身)と環境(土)は一体である(不二)との発想。「二つの自給率向上が生き残りの鍵(2) -輸入頼りの三大栄養素-」(2023年2月17日)もご参照。
 
従って、グローバリズムを体現して収益最大化を図る道を選択する企業は、ヒトを移動させるのではなく、新たな活動拠点でヒトを調達=雇用する。制度や政策なども含め、理論経済学が前提とする均質空間に近い状況が存在するのであれば、収益最大化が実現しやすいような人員配置になるように世界規模で雇用を調整するであろう。
しかし、ヒトの集団としての国家は、自国が有利になるような制度や政策を推進する存在である。収益最大化が企業経営の最大意義と考える経営陣がいるとしたら、グローバルに活動する金融業や多国籍企業には、地球全体を一つの共同体≒世界統一国家にする誘因が存在すると考えることも可能である。

経済におけるグローバリズムへの対応としてのナショナリズム

(1)パンのみにて生くるにあらず

様々な制度や政策は経済合理性だけを基準にしているわけではない。人々は物質的な富のみを求めているわけではないし、経済合理性だけを判断基準に生活することはできない。
「人はパンのみにて生くるにあらず」(新約聖書「マタイによる福音書」(4章4節)など)は、パン≒物理的な富と捉えれば、クリスチャンでなくても納得のいく言葉ではないだろうか。納得がいかない場合は、人外なのかもしれない。

(2)収益最大化を図るグローバル企業と人の集団としての国家の相克

グローバルな経営資源としてヒトを捉えた場合、生活者としての人との軋轢が生じる。経済のグローバリズムの観点からは収益最大化を実現しやすい配置となるようにヒトを動かしたいが、前述したように生身の人間は土地に根差して生きている。土地に根差して生きている人間を前提に、国家の様々な制度や政策は実施されている。経済におけるナショナリズムはグローバリズムへの対応であり、グローバル企業と国家の相克が生じている。
国家は領土内に住む人の集団により成り立っており、通常の現代国家は国民を守り、豊かにすることを目指している。経済のグローバリズムは、交易などを通じて人々の生活を豊かにするものであり、国家と国民への恩恵は巨大である。しかし、行き過ぎれば人々の生活を破壊しかねない。グローバルな観点からの収益最大化だけを目的に経営資源を活用する企業が大半となれば、移動が容易ではないヒトは置いてきぼりとなるであろう。ヒトの側から見れば、グローバリズムに基づく経営は生活の安定を脅かしかねない事象である。
ナショナリズム的な政治家や政党に支持が集まりやすい時期は、戦争の危機が迫っている場合を除けば、こうしたグローバリズムの行き過ぎの弊害が顕著になった時が多いと考えられる。トランプ米大統領は、外国からの輸入品に課す「関税」と米国内でモノづくりをする企業への「減税」を組み合わせることによって、米国内で企業が活動することを促そうとしている。手法の是非は別にして、経済のグローバリズムの弊害から国民を守ることを意図しているのは明らかであろう。
なお、戦争の危機自体がグローバリズムと密接に関連していると考えるが、論点が拡散してしまうので、本稿では深入りしない。

(3)ナショナリズムの調整の場としての国際機関等

経済のグローバリズムの行き過ぎへの対応としてのナショナリズムと書いたが、ナショナリズムの内容は国によって異なり、ナショナリズム同士の衝突も生じる。国連やWTOなどの国際機関等は、ナショナリズム同士の衝突を調整する場として機能している側面がある。
報道によると、トランプ米大統領は就任初日に、パリ協定からの離脱、WHOからの脱退、などの大統領令に署名したとの事である。トランプ米大統領の進めるナショナリズム的政策は他国のナショナリズムと衝突しやすいものも多いと見られるが、国際機関等からの脱退はナショナリズム同士の衝突を調整する場の放棄とも考えられる。しかしながら、国際機関等では多数国の利害調整に時間が費やされることを考えれば、国同士一対一での調整の方が早く確実であるとの考え方もあり得る。今後の成り行きを見守りたい。
ついでながら、故安倍首相はナショナリストと見做されることが多かったようだが、国際機関や国際的取り決めについてはむしろ積極的に活用していたことは留意して良いであろう。

グローバリズムとナショナリズムの相生


ここまでグローバリズムとナショナリズムの相克を中心に書いてきたが、グローバリズムとナショナリズムは相生の関係にもある。相性は、五行思想で相手を生み出す関係を示す。
グローバリズムの進展がナショナリズムを高まらせる関係性は分かりやすいであろう。一方、ナショナリズムが行き過ぎるとやはり弊害が生じ、グローバリズムのメリットが見直される。ナショナリズム同士が戦火に至った第二次世界大戦の終結後、グローバリズムな体制と言えるGATT体制が構築された事例が典型的である(前掲図参照)。
トランプ米大統領の2期目就任に象徴されるように、世界はナショナリズムに傾きつつある。欧州などでもいわゆる極右政党などの躍進が注目されている。共産中国や北朝鮮などはナショナリズムを全面に押し出した外交を展開しているようにしか見えない。
経済のグローバリズムが行き過ぎると、反動としてのナショナリズムが燃え上がり、国家間の武力衝突に発展する事例は歴史上数多くある。今回のナショナリズムの盛り上がりが戦火に至る前に、グローバリズムとの適度なバランスを見出せることを願う。なお、グローバリズムとナショナリズムの適度なバランスの方策については、機会があれば論じてみたいと考えている。


20250130 執筆 主席研究員 中里幸聖


前回レポート:
ウーブン・シティなどの実証都市への期待」(2025年1月15日)


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