発展の足元に刻まれた記憶〜サラエボ🇧🇦| 40女のヨーロッパ乗り鉄旅 | #21-4
【Day74: サラエボ/ボスニア・ヘルツェゴビナ】
10時間バスに揺られて到着したボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボ、僅かな滞在時間の中、駆け足で散策した街は驚きでいっぱい
🚊96日間の旅エッセイ。前回のお話はこちら↓
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##サラエボ到着
2時間遅れで到着した長距離バスを降り、さっそくダウンロードしておいた地図を見ながら行動を開始する。
バスターミナルからすぐの場所に列車の駅があるのだが、ここがなかなか味わいのある簡素な建物で、はっきりいってボロい。

ボスニアヘルツェゴビナはスマホ圏外なのでドキドキ
駅舎の中に入るもがらんどうで、ATMも両替所も見つからないし本当に営業しているのかさえ怪しい雰囲気が漂っている。


本当に首都の駅なのか??
明日の朝、最南端の駅まで向かう列車の時間を確認し、さっそく駅から5分程度と思われる今夜の宿に向かうことにした。
##宿探しでいきなりのピンチ
今夜の民泊の方向は結構な坂道になっていて、重い荷物が一段と肩に食い込む中、坂を上って目的の街に辿り着いた。
ここからは住所番号を見ながら目的の家探し。
各家には結構大きめの番号プレートが貼られているので楽勝と思いつつ順番に歩いていくのだが、目的の番号22だけがなぜだか見当たらない。
町内を往復し、一軒一軒慎重に見ながら歩いてみても見当たらない。
インターネットもつながらない中、焦った私は家の敷地内で庭仕事をしている女性に声をかけて聞いてみたけれど、「この番号ならあっちのほうよー」と指差すばかりでお話にならない。
仕方なく急坂を下って駅ロータリーに戻りWi-Fiを探すのだが、Wi-Fiマークがある場所でも全くつながらずイライラMAXでウロウロしていると、階段に腰掛けてたむろする若者達が
「ニーハオ~、ニーハオ~」とからかってくる。
クソガキめ!と腹をたてつつも、
「Wi-Fiつながるとこないかな?」と聞くと、一斉に彼らが指差したのは駅前唯一のカフェ。
まだ現地通貨を持っていないのに大丈夫かな…と思いながら店主にジェスチャー混じりで訴えかけると、勝手に使っていきな、と言っているように見えたので?ずうずうしく店の一角に座らせてもらい、さっそくホストとのやりとりを開始する。
まずはメッセージを送って次に電話をかけてみるが、電話は英語も何も分からないおばあさんが出ているようで話しにならない。
イライラして待っているとホストから返信があり、通りから階段に上っていく必要があること、別の家の前を突っ切って中に入ると22番が現れることが説明されたので、またもや重い荷物を背負って急な坂道を上って家探しに向かうのだった。

説明されたとおり階段を上って手前の家から奥を覗くと、植栽に隠れそうな22番プレートを発見!
この分かりづらさに行き場のない怒りを感じつつインターホンを押すと、電話対応した方だろうか、英語力ゼロのおばあさんが出てきてオールジェスチャーで家の中を案内してくれたのだった。
お部屋は広いアパートの1F全部で悪くはないのだが、ここまで辿り着くのにとにかく疲れてしまって、予約時に迷ったもう一つの外資系ホテルチェーンの部屋を選ばなかったことが悔やまれた。
##サラエボ散策
焦りに焦った部屋探しからようやくひと息ついて街の散策に繰り出したのが18時過ぎ、ここから少しでもサラエボの街を見ておこうと高台の家から大通りに下りていくと、いきなり目の前に現れる最新のショッピングモールとカトリック風の教会に驚く。

駅前はあんなにさびれた感じだったのに…さっそくATMも見つかって意気揚々と歩いていくと、美しい川の向こうにも別のショッピングモールが広がっていてなかなかに発展した都市であることがうかがえる。
一方で、古い建物の壁には弾痕らしき跡がびっしりあったりするので何だか複雑な気分になる。

##イスラム風の旧市街
旧市街らしきエリアに足を踏み入れると今度は景色が一変、こちらはイスラム色の強いエリアでモスクがそこかしこに見え、北マケドニアで見たようなイスラム風の昔ながらの商店街が続くのだが、よく見るとお洒落なカフェやクラブに改装されている店もちらほらあって若者が集まるスポットにもなっているようだ。



モスクのすぐ近くに正教会らしいドーム型の教会、カトリックぽい教会とそこかしこに異なる宗教施設がちりばめられていて、今もなお複雑な民族構成であることは変わりないように見える。

セルビア正教(セルビア人)も30%ほどと多い

##サラエボに来た目的
私が一番見たかったのは、旧市街の目の前の川にかかる橋“ラテンブリッジ”で、第一次世界大戦が勃発する契機となった“サラエボ事件”が起きた場所なので、世界史の近現代史では有名なスポットなのだ。

ここでオーストリア皇太子夫妻がセルビア人青年に暗殺された。これが第一次世界大戦の口火となった

想像していたよりも小さな橋だったが、案内板の情報を読んでいると「ここで暗殺事件が起きたのか!」と感慨深く、わざわざボスニア・ヘルツェゴビナまで足を運んだ甲斐があったと満足した。

(閉館後でした😢)
##お次は撮り鉄!
このあたりは中国からの団体観光客が随分多いように感じられ、あちこちで賑やかな集団を見かける。だからやたらと“ニーハオ”と声を掛けられるんだな、と納得。
この国の人には日本人は相当レアな存在なのかもしれない。

旧市街の周辺はトラムも走っていて、ラッピングが可愛い新型車両から、見たこともない形の旧型車両までバリエーション豊か。
白と青でカラーリングされた丸っこい顔つきの旧型車両は、0系新幹線の親戚みたいでめちゃくちゃ可愛いくて、トラム撮り鉄も忙しい。


めちゃくちゃ撮れ高高くて感激。
##都市に刻まれた悲しい記憶
イスラム風の旧市街を抜けると、今度はファストファッションの店からファストフード店などが建ち並ぶ普通のヨーロッパの商店街という雰囲気に変わったのだが、異様なものが目に入り思わず足を止めてしまう。

地面に何やら赤い血のようなものが飛び散っているのだ。
よく見るとそれはペイントされたもので写真を撮っている人もいたことから、爆撃か何かで人が亡くなった跡なのではないかと想像する。
こんな街中でもやはり戦闘が繰り広げられたのだろう、他の場所でも同じようなマークをいくつか見つけたし、サラエボ一の繁華街と思しき大通りの歩道は、空爆の破片が飛んだのだろうか、あちこちにボコボコと小さな穴が空いていて20年ほど経った今も紛争の記憶がしっかりと刻まれていることがよく分かる。

サラエボローズ(薔薇)と呼ばれているそうで、爆撃で3人以上が亡くなった場所等、市内数カ所にあるらしい

他にも追悼の火がずっと灯っている場所や、公園のあちこちに建てられた白い墓標など、短い滞在ながらこの国の人達が紛争の記憶とともに歩んでいることがあちらこちらで感じられた。

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争は20万人が死亡

##サラエボグルメ探し
歩き回ること2時間ほど、そろそろお腹が空いてきたのだが、いくら観光客がたくさん歩いているとは言えファストフード以外の店に入るのはなかなか難易度が高そうなので、スーパーを覗いて今夜の食べ物を物色する。
1984年のサラエボオリンピックマークが地面に記された中心部近くの大型スーパーをウロウロしてみたのだが、どれだけ探してもお酒コーナーが見当たらず焦る。

その後の紛争で施設のほとんどは破壊されたとか
そして温めて食べられそうなものなどを見てもイマイチ何も食欲をそそられない。
パンを見ても油っこそうだし、お肉料理も何だかよく分からないし…
仕方ないので味の想像がつくポテチだけ買って帰路につき、帰り道でも数軒のマーケットを逐一チェックしてみたのだがどこも同じようなもので、家のすぐ近くの個人商店のようなお店でようやく昨夜飲んだものと同じクロアチアビールを見つけたので渋々そちらを購入する。
やはりイスラム人口が多い国だからだろうか、スーパーでアルコールは売っていないようだ。

そんな足元にもサラエボローズ
この日は長らくリュックのポケットで眠っていた日本から持参した非常食用のおにぎりとお味噌汁を食べ、ポテチとビールでささやかな晩酌をした。ボスニア・ヘルツェゴビナ産のビールかワイン、飲みたかったな。
🚊次回、ボスニア・ヘルツェゴビナ鉄道に挑戦!バスに乗り継ぎ向かったクロアチアへの道は絶景の連続。
📘この投稿は「40女のヨーロッパ乗り鉄旅」の一編です。全編はこちら↓
