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幻の迷店『麺酒房 かしわぎ』最終章


最終章 たかがそば屋、されどそば屋


 二〇〇四年、桜が咲く頃。

 僕とカミさん共通の友人であるアキラさんが、親友二〇人ほどを集めて横浜で結婚パーティを開催してくれた。

 夜九時頃。横浜みなとみらいにある超高層ビルのレストランの個室にて盛り上がっていると、柏木さんから電話が入った。僕は部屋の外に出て電話に出る。

「あっ悪いねぇ、突然電話しちゃって。今、話しても大丈夫だったかな、むふふ、思うんだけど、民宿ってさ、普通の旅館やホテルと違って、こうなんていうか、連泊できないかとずっと前からそう思ってたんだよねぇ」

 唐突な切り出しは、柏木さんが酔っている時のお決まりだ。

「はぁ、連泊ですか」

「そう、連泊。実はね、いつか全国を旅して歩きたいと思ってんだよねぇ。でさぁ民宿でって思ってたところで。まぁ、料理は豪華じゃなくていいんだよ、そりゃうまいのが良いに決まってんだけど。気楽に過ごせるところが良いんだよねぇ」

「そういえば前に四国のお遍路の話もしてましたもんね。民宿ですか」

「そう、民宿ならオリジナリティを楽しめそうな気がすんだよね。まぁ別に民宿でなくてもいいんだけど、カワムラ君が書いてるっちゅうことだから、ますます興味がわいちゃったんだよ」

 その当時、僕は大阪のとある出版社が発行する月刊誌に「馳走の民宿」という連載を書いていた。柏木さんのマガジンホーム時代の元部下である故住本さんが編集長を務めていた雑誌である。編集担当は住本編集長の秘蔵っ子なかもっちゃんだ。

「あの連載は、なかもっちゃんが企画したもので、民宿はよりその土地ならではの味が楽しめるんじゃないか、っていうことで始まったんですよ。確かにどこも個性的で、それでいて手抜きや騙しがなくどこも穴場ばかりです」

「あそう、あの民宿の連載はカワムラ君にぴったりだよ。あの調子で連泊の話題も触れてくれると嬉しんだけどなぁ。あ、余計なこと言っちゃってごめん、たかが爺の独り言だと思っといて。頭の隅っこに置いといてくれればそれでいいから。とにかくね相棒が逝っちゃったら、本当に旅に出ようと思ってんだよねぇ。ふむふむ、なんか余計なことばっか言ってんねぇ俺」

 相棒ことオカンは柏木さんより四つ年上。挙動が怪しいだけでなく、見るたびに痩せてよぼよぼになっていくことからも、オカンが先に逝くのは当然だと誰もがそう信じていた。

「いえ、そんなことないです。柏木さん直々アドバイスを頂けて嬉しいです。なかもっちゃんに話してみます」

「あ、それはそうと岡もっちゃんが昨日きたよ。ふふふ、久しぶりに」

 蕎麦変人の岡本さんはこの一年『かしわぎ』にほとんど顔を出しておらず、僕ともショートメールくらいでしか連絡がつかない状況だった。勤めていた会社が経営困難に陥り、主要戦力であり責任感の強い岡本さんはずっと駆けずり回っていたのだった。

「ふむ、なにやら群馬の温泉宿に転職が決まったとか言ってたよ。寂しくなるけど、まぁひと安心だね」

「ええ、僕も少し前に聞いたばかりです。群馬北部の豪雪地帯でしょっちゅう通行止めになるような秘境らしいです。柏木さんにもぜひ遊びに来てほしいと言ってました」

「ふふ、行く場所がまた増えて楽しみだねぇ。ま、岡もっちゃんが勤める宿は高級らしいけど。それにしてもなんで群馬なんだろうね」

「僕も詳しくはわからないんですが、少なくともあの辺りに岡本さんが大好きなそば屋があることは確かです。店は都市部の高崎らしいんですけど、その店主が大々的にそばの自家栽培をされてるらしく、畑が新潟と長野と群馬の県境にあるのだとか。なにやら昨年の秋に泊まり込みでそばの収穫を手伝いに行ったとか」

「ふふ、忙しくてもそば狩りに行くあたりが、やっぱり面白いね岡もっちゃんは。そんなことすんだったら早く結婚相手を探せばいいのに」

 個室から大きな笑い声が聞こえてくる。

「あ、悪いねぇ、長話しちゃって、もう切るよ」

「すみません、いま横浜で結婚パーティを開いてくれてて。ま、カミさんの友人ばかりで僕は単なるお飾りですけどね」

「ごめんごめん、俺はなにをペラペラしゃべってんだか。じゃあまたね」

 通路の窓から外を見下ろすと、無数の街灯が閑散とした街並みを照らし出していた。

 土曜のこの時間帯に酔って電話をかけてくるなんて、店は大丈夫なのだろうか。

 この頃の僕は多忙を極めており、まさに東奔西走の状態だった。そして結婚を機に大阪北部郊外の北千里の団地に入居。伊丹空港とカミさんの転職先それぞれへのアクセスが便利なことと、緑が多いことがその理由だった。一方の岡本さんはこの春から群馬の温泉宿の社宅に転居。大阪での様々なしがらみから解き放たれて、晴れていいスタートを切ることができた。

 気が付けば僕らは『かしわぎ』へ行くことが激減しており、そのことに特に違和感ももっていなかった。

 そして七月のある夜。なかもっちゃんから電話がかかってきたのだ。

 七月二十日、柏木さんが旅立ったと。

 柏木さんの唯一の弟子、脇田さんが言うように「せめてもの救いは、心配していたご次男の結婚の報告を聞き、その喜びの酩酊の中で逝ったこと」である。

 僕は群馬の岡本さんと東京の田中さん、ロハス舎の社長に訃報を伝える。

 その四〇日後の八月二十九日。柏木さんの東京のご遺族と元仕事仲間の方々数十名が集まって「納骨式と偲ぶ会」が江東区の某ホテルで開催された。

 みなさんのスピーチを聞くたび、僕の知らない柏木さんが垣間見えた。

「マガジンホームの関西進出と共に大阪へ移住したのはいいが、定年しても帰ってこない。いったいどうしているのかと心配していた」

「まさか大阪でそば屋になったとは。噂には聞いていたが」

「あの人は火宅の人。超マイペースな人」

「いつも飲んでばかりいた。ある時会社に来ないなぁと思ったら新宿の行きつけの店に住み着いていた」などなど。

 そして、僭越ながら僕もスピーチをすることになった。

「本日唯一の大阪人、カワムラと申します。みなさまのお話を聞いていると、なんだか柏木さんの大阪生活はまるで消えた魔球のようで。今から少しだけ柏木さんの大阪生活についてお話させていただきたいと思います。

 本日は東京のご遺族もいらっしゃることですので、余計な詮索や想像は抜きにしまして、あくまで僕個人が見てきた柏木さんについてお話させていただきます。

 僕は一応ライターですが、柏木さんとはお仕事でご一緒したことはなく、単にそば屋と客としての関係でした。

 ただ、僕の元同僚であり、ライターの師匠であり、蕎麦変人のサラリーマンで岡本さんという方がいて、この方が先にそば屋『かしわぎ』を紹介してくださり、柏木さんご自身も絶大な信頼を置いていて、いつしか僕らは兄弟のように、柏木さんを父のように、そんな風に店がホームになっていきました。

 で、この岡本さんという人が、実は関西における手打ちそばブームの火付け役というか、広め役の黒幕でして、僕にもかなりの知識と魅力的なそば屋をたくさん伝授してくださいました。おかげで関西メディアがこぞってそば特集をするようになり、『かしわぎ』も”酒とつまみで江戸風に粋に”なんて持て囃されるようになっていきました。

 しかし、僕に言わせていただくと実際の『かしわぎ』はそんなイメージとはかけ離れたものでした。これは常連客なら全員が頷いてくれる話だと確信しております。

 だって、まず動きが実にスロー、そして毎回釜の湯を吹きこぼす、さらに客の注文を必ず忘れる、などと、そば屋としては致命的だったからです。親子ほども歳の差がありながら生意気を言ってすみません。

 本当、柏木さんて実はただの素っ頓狂か、と疑うような場面が他にも数多くありました。

 そもそも客よりも先にご自身が飲んじゃってますから。時に顔が既に赤い。酒器はぼこぼこの計量カップ。これをカウンターの裏側なんかに隠し置いてるんです。

 この酒のせいかよくわかりませんが、いつもニヤァという感じの顔をしています。店は最初、大阪一の繁華街、東心斎橋のど真ん中にあり、これがもう東京では考えられないほど自由奔放な街で、客層はちょっと危ないおじさんからコロンが鼻を劈く女性、うどん至上主義のグルメなど吉本新喜劇バリのキャラ揃い。そのうえ大阪の客はすぐに店の人間との距離を縮めてくる。でも柏木さんは誰が来ても、ぼーっとしてるかうっすらと笑みを浮かべるだけなんです。動じてないのか、わかってないのか、いまだに謎。

 またある時は、東京から移住してきた編集者の田中さんというのがいるのですが、彼曰く「柏木さんは昔美空ひばりを取材したことがあるというのでどうだったかと尋ねたら、”やっぱり歌うまいね”って、ええっ当たり前でしょ、それだけっ、と仰天したことがある」なんて話もあります。

 そんな謎だらけなんですが、柏木さんほど格好良くて尊敬できる人は他にはいません。

 僕は一時期、三重松阪へ移住し、インド料理店を開業したことがありました。ここだけの話、妻の実家が松阪にあり、まだ子供が小さかったこともあり、僕は追いかけるようにして大阪のすべてを捨てたのです。

 あまりに格好悪いことと思い、そのことは一部の親友にしか話しておらず、柏木さんにも話しづらくて。で、開業してしばらくした頃に、昆布の佃煮と祝儀をもってふらりと来てくださったのです。その後、とっとと暖簾をおろして、三重の地酒でべろべろタイムに突入。

 すべてを捨てて妻子を追いかけてやってきたと打ち明けると、そんなことだと思った、ほんと大馬鹿だ、でも男はそれくらいやっていい、などと励ましてくださり、暗闇に眩しい言葉をくださいました。

 また、僕がとある雑誌編集部の人間関係で悩んでいる時に、うまい焼肉屋があるからと誘ってくださったのはいいのですが、それが深夜一時半に『かしわぎ』集合。ついに柏木さんもボケたか、なんて思いながら騙された気分で終電に乗って心斎橋に向かうと、まずは一杯飲まされてほどよく酔ったところで本命の焼き肉屋へ。なんとその店、二時からオープンだったのです。

 それでカワムラならどんな企画をするか、雑誌を自分で立ちあげるのも面白い、などと、ためになりそうな話が続くかと思いきや、俺最近筋トレ始めたんだよね、この歳になっても筋肉ってつくんだよ、ほらすごいだろ、なんて言いながら太ももを見せたりして、もうベロベロ。真面目に考えすぎない、もっと気楽でいい、そんなことを何気なく教えてくださったのだなと後になってからそう思いました。早朝の心斎橋を共に千鳥足で歩いたのは忘れ得ぬ思い出です。

 またある時は、偉そうな言い方で恐縮ですが、あぁやっぱりエリート編集者なんだなと思わされることもしばしばありました。色んな雑誌や書物がいつもそばの延し台の横に山積みとなっているのです。そして暇さえあればそれに目を通されている。そば粉で煤ぼけた大きな眼鏡をかけて。

 中には僕の作品も挟まっていて、特にロハス舎社長自らが出向いて預けてくださった長編原稿などは赤だらけ。体験モノは一歩引いて見つめること、テーマを整理すること、自分自身が成長するほどいい言葉が出てくる、そんなことを、やさしく、かつピシャッとご指導くださったこともありました。

 そんな柏木さんも店を出して早十五年という時間が流れ、二〇〇〇年に同じミナミでも静かな島之内というところに移転。その少しあとくらいから、店を縮小したいとか、旅をしたいなどと、お一人での人生を考えるようになっていかれたように感じます。

 そして今年の七月、まさかあの世へ旅立ってしまうとは。

 さて、実は本日、偶然にも僕の三十九歳の誕生日でもあります。誕生日にこのような貴重な機会をいただくなんて、やっぱり柏木さんは僕にとってあまりに特別な存在なのだと痛感しております。

『かしわぎ』とはいったい何だったのか。それは少なくとも僕にとっては”家族”を感じられる場所だったのだと思います。私事ですが、僕の父親は自分が十四歳の時に急逝しました。とても忙しい人だったので、家族の思い出は数える程度。以来、母が女手一つで育ててくれたわけですが、当時は今と違い過労死に対する社会的保証は一切なく、女性の社会進出は困難。片親の家庭は極めて少数派でした。母が頑張ってくれる一方で、僕の中の孤独感はさらに増していきました。こうして十四歳以降は”家族”の幸福感とは無縁の人生に。

 しかし、小さな飲食店で勤めるようになり、その欠落していた”家族”感というものが少しは補充できるようになっていきました。やがて独立開業も果たし、ある頃からモノを書くようになり、そして出合ったのが『かしわぎ」だったのです。

 実の父よりも少し年上ですが柏木さんには父を観ました。仕事とは、遊びとは、家族とは何か。落ちた欠片を拾い集めるように僕は夢中になりました。

 いま何となく感じているのは、家族とは、どんなことがあってもその人に寄り添う心があるかどうか、ということなのかなと思っております。血のつながりや共に住むということだけが家族の形ではないと。

 柏木さんは遠い大阪の地で、僕のような不完全過ぎる男を心から支えてくださいました。きっと岡本さん、田中さん、さらに常連客の多くの方々が同じように感じているに違いありません。父柏木、男柏木、酔っ払い柏木が与えたものはあまりにも大きい。

 そんな柏木さんがこの世を去るなんてとてつもなく寂しいことですが、それはおそらく僕たちがもう巣立つ時が来たということなのだと思います。

 ご子息のご結婚、本当におめでとうございます。この言葉で締めくくりたいと思います」


おわりに

「柏木さんを偲ぶ会」の後、この物語はロハス舎によって本となる予定だった。が、東京のご遺族から丁重に断りの意思を告げられた。「実名、固有名詞を変えれば大丈夫だろう」とロハス舎社長は意欲を見せてくださったが、担当編集者もご遺族の気持ちを尊重して中断を提案。結局、出版は断念となった。そう、あの「松阪日誌」に続き、またもやお蔵入りとなったのである。社長から僕は「大阪の難産男」と言われるようになってしまった。

 世の中、こういう実話を物語として出版されることはきっと多いと思うが、よくもまぁ問題にならないものだと感心する。みなさんはいったいどうしているのだろうと不思議で仕方がない。

 僕はすっかり自信を失ってしまい、以来、グルメや旅、その他当たり障りのないことを書く商業ライターとして身を潜めてきた。が、二〇二〇年を超えたあたりから、僕の中の熱が徐々に強大化していくのであった。それは、自分が愛してきた店のご主人たちがばたばたとこの世を去りだしたからだ。あきらめてはいけない。このままではいけない。本当に素敵な店いい店のことはちゃんと書いていかなければと。

 が、しかし、正直この「note」に書くことができたとしても、いったい誰が読んでいるというのか、誰が求めているというのか、と思ってしまい、すぐに意欲が萎えてしまう。

 そんな時である。田中さん(第八章「編集者としての血」に登場)からショートメールが届いた。

「この作品は面白い!あとは柏木さんはもっと江戸弁なまりだったのと、時事も組み入れると時代的イメージが湧きやすい。次楽しみにしてます」

 聞けばネットサーフ中にたまたまヒットしたのだそうだ。完全にジコマン作品と確信していたところだっただけに嬉しかった。

 が、それでもすっかり怠け癖がついて、だらだらとようやく一話のみ更新。その旨を田中さんにメールしたらすぐにこんな返事が来た。

「さっそく読ませてもらいます。ところで緊急入院となった。来年の春を迎えられるかどうか、だそうです。それまでに完読したいゾ」

 椅子からこけそうになり、一気に血圧上昇。冗談だろと思い、追いメールをしたら「向こうで柏木さんと一緒に読むという手もあるけど」だと。

 後日、東京の病院へお見舞いに行き、本当に車いすに腰掛ける田中さんを見て、あぁこれはちゃんと気合いを入れて書き遂げなあかん、と炎が一気にターボ化した次第である。

 たかが、されど、のそば屋物語。さてお次はどの店に行こうか。



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