見出し画像

幻の迷店『麺酒房 かしわぎ』第九章


第九章 ワナワンダフル東京


 二〇〇四年、一月。
 僕は再婚した。昨年に新大阪から同区内の十三へ越していたのだが、やや治安に不安があったのとカミさんの職場が大阪北部の南千里となっため、その隣町の北千里の団地に移住した。

 カミさんは東京の出身だ。二〇〇〇年の暮れ、品川に住むお互いの共通の友人であるアキラさん宅で出会った。友人といってもアキラさんは僕より歳は十歳ほど上。当時は商業空間デザインや主にインドや東南アジアの料理に精通していたため都内の数々の店のメニュー開発も手がけるなど、料理研究家としての先生みたいな人である。

 日頃から料理法や参考になる本を教えてくれたり、松阪『THALI』開業の際も泊まり込みで手伝いに来てくれたりと、アキラさんには本当にお世話になりっぱなしであった。カミさんはアキラさんとその奥さんを兄姉のように慕っていたのだ。

 一月末の入籍日。我々は『かしわぎ』でしっぽりと盃を交わす。奮発して二八〇〇円と店で最も高価な「そばのしゃぶしゃぶ鍋」を予約していた。今日も客はまばら。本来、鍋は小上り席限定なのだが、店も暇だし、柏木さんとも喋りやすいということでカウンターに準備していただいた。

「はい、これは俺からのおごり。おめでとう」

 そう言って柏木さんは瓶ビールを抜いて、二個のグラスに注いでくれる。

 カミさんは飲兵衛で僕より六歳年上である。春菊や白菜が煮えるまで、さっさと自分でお代わりを注ぎながら日本酒のメニューに目を凝らす。『かしわぎ』自慢の関西の地酒二〇種類ほどがずらり。店に連れてくるのはこれで三回目だ。

 釜の横の作業台にもたれながら柏木さんがカミさんに声をかける。

「えっとぉ奥さんは確か赤坂の生まれだって言ってたよね。どの辺なの」

「ええ、TBSのすぐそばのアパートです。あのあたりは昔ネコ山なんて言われるほどネコだらけでそこが一番の遊び場でした。当時はまだ舗装してるところも一部だけで、赤坂ん中で一度引っ越してるんですけどその時は父がリヤカーで荷物運んでもう大変で」

「ふふ、あすこは文字通り坂だらけだもんね。そういえば赤坂に溜池ってところがあるけど江戸時代は本当に池があったらしく、その周りには有力な武家屋敷が並んでいたらしいね」

「らしいですね。外堀通りに沿って日枝神社あたりから花街も生まれたとか。その先の赤坂プリンスは青春の思い出が詰まった場所です」

「赤プリといえば赤坂見附。あすこは江戸城の見張り門だもんね。いやぁほんとの華のお江戸といえばあのあたりのことだよ」

「子供の頃はわかってなかったですけど大人になってからそうだったんだなって思います。昔は芸者さんもよく見かけました。近所の稽古場から三味線の音も聞こえてきたし。でもわたしの周りは書店や料理屋の子という感じでしたけど」

「そう、赤坂って意外に個人の店が多いんだよね。奥へ入ると民家もたくさんあるしね。ご両親はあんまさんだったんだってね」

「そう、小さなマッサージ屋です。近所のお年寄りから商人、議員さんまでと客層が幅広い。父がまだ目が見えていた頃はしょっちゅう議員宿舎へ出張もして、よく政治の裏話を聞かされてたみたいです」

 大阪の郊外で生まれ育った僕からすると、どの話題もテレビで観るような華やかなお江戸物語。二人の会話に耳を傾けつつ、ひたすらシイタケや大根などをふうふうとしながら頬張る。この鍋は本枯節でとっただしが決め手。すでに薄口醤油でしっかりと味がついているのも『かしわぎ』ならではだ。

「へぇずっと赤坂にいたの、仕事はどこで」

「わたしは飯田橋の病院で勤めてましたのでずっと赤坂です。でも三〇代の時に母がぜんそくになって、弱視だった父もいよいよ目が見えないっていうんで家族は横浜の空気のいい場所へ引っ越したんです。それでわたしは三軒茶屋へ」

「よほはわ(横浜)といってもいなほがわ(港側)やなくひはがわ(北側)のゆうはくがい(住宅街)へふ、はふはふ」と僕。

「そう、港側じゃなくもっと北の方で、東急の田園都市線っていうのが走っています。元は果樹園なんかがあったようなところで、今は見渡す限り家ばかり。空気は最高なんですけどね」

「あぁ渋谷から出てる線ね。二、三〇年前にベッドタウンとして開発されたんだよね。知り合いもあっちの方へ越してったのがいるよ。半蔵門線と乗り入れてるから便利なんだっつってね」

「そうなんです。わたしも三茶の後、横浜の実家近くに越したんですけど、一時期銀座の病院に勤めてて。その際、表参道で銀座線に乗り換えるんですけど、もうとんでもなく混んでて、電車の窓が割れたのを初めてみました」

「そうでなくても東京はどこも混んでるのにね、もっと混んでるなんて大変だぁ。へぇ、銀座の病院っていうのは」

「ええ、東銀座の大挽病院っていいます」

「え、あの歌舞伎座んところの。あすこはマガジンホーム御用達でもあったんだよ。俺も大昔お世話になったことあるよ。深夜でも診てくれるっていうんでみんなふらふらになって駆け込むんだよね。むふふ。そうなの、大挽にいたんだ」

「ええ、マガジンホームの方は夜遅くによく来られてました。わたしも何度か担当したことあります」

「そう、ああいう仕事は時間が無茶苦茶だからね。あすこの院長は元気でやってんのかな」

「ええ、もうご高齢ですけど達者です」

「それにしても懐かしいや、大挽病院っつったら悪いけどヤブだってことで有名だったんだけどね。むふふ」

 カミさんは大阪北部の地酒、秋鹿を燗で注文。オカンが徳利に酒を注ぎ入れ電子レンジに入れる。僕はふむふむと頷きながら、野菜の大半を平らげ、鴨肉をどっさりと鍋に投入した。

 大挽病院の話題で意気投合したカミさんと柏木さんは、ますますお江戸の奥深くへと話が進んでいく。

「大挽病院の裏道を築地の方へ向かっていくと祝橋ってのがあるでしょ。そこから二本ほど行ったところの角を左へ曲がるといい寿司屋があんだよね」

「あぁ、老舗のなんとかっていう店ですね。あのあたりはほんと寿司屋だらけですよね」

「そう、で、その道をもっと新富町の方へ行くと昔住んでた入船へいくんだよ。鰻の寝床みたいに細長くってね、ほかにもうちの店で働く従業員が住んでいたからもう狭くって。うちの家族は四畳半一間に住んでたんだよねぇ」

「あ、聖路加病院の近くですね。実はあの病院にも面接に行ったことがあります。あの辺りは通りから一本入ると古いお家が密集してますよね。独特の風情があっていいところです。私は好きだなぁ」

「ふむ、赤坂とは別世界、あのあたりは延々と下町だよ。堀じゃなく隅田川が象徴的だね。荒川区や墨田区を流れて、築地、月島に流れ出る。あすこにかかる勝鬨橋ってのがあるでしょ。あれはアーチ橋ってやつで、その昔、信号が赤になって橋が月島側と築地側と共に上がってたんだよ」

「へぇそうなんだ。小説やらドラマの舞台にもよくなっている橋ですね」

「こち亀(漫画「こちら葛飾区亀有公園前派出所」の略)にも出てくるでぇ。勝鬨橋は昔、船が通るたびに待たされるので魚が腐っちゃうなんて、河岸の人たちがよくそんなこと言ってました」と僕が入り込む。

 そこでカミさんは大阪・池田の呉春を、僕は焼酎のそば湯割りを注文。

「柏木さんのご実家は築地で野菜の仲買をされていたんだそうですね」

「そう、毎朝暗いうちから家を出て、十分ほど歩いて市場につくんだけど、魚河岸の連中がターレー(動力部が三六〇度回転する小型運搬車。ハンドルとアクセルが一緒になっている)でぶっ飛ばしてくるもんだからあぶなっかしくてね。やっちゃばの人間はおとなしいから、おそるおそる場内へ入っていくんだよ」

「大挽病院には築地の市場の方もよく来られてました。ほら、やっぱりあのお仕事は怪我が付き物みたいで」

 そうそう、河岸と怪我はセットみたいなもの、と頷いて聞いていた僕はふとあることに気づく。「そばのしゃぶ鍋のはずが、まだそばを食べてない」

「銀座や築地で遊んでいる人はもちろんだし、編集関係、それに河岸の連中だって身体を動かしてると言っても痛風や糖尿病もちが多いんだよね。やっぱあの辺はうまいもんだらけだから。ふふふ、大挽病院は儲かってんだろうなぁ」

「おそばください、柏木さん、おそば」

「あ、そうだったねぇ。ちょっと待ってて」

 今までこんな柏木さんを見たことがなかった。聞き役ではなく、ゆったりと独特の間を持ちながらも、目を輝かせながら夢中になって話す柏木さん。

 以前、何かの拍子に、柏木さんは大阪で骨を埋めるつもりですか、と聞いたことがあるのだが、その時は一言「そうだね」と言っていたことを思い出す。

 本当はやっぱり懐かしいのではないか。やはりいつかは帰りたいと。それとも懐かしむことと実際に帰郷するということは別物なのだろうか。いや、普通なら帰京するものだろう。それほどの何かがあったのか、それとも東京生まれの人間はそんなものなのか。

 江戸っ子八代の長男が、郷里東京を離れ、ここ大阪で骨を埋めるというのはどういう気持ちなのか、僕にはよくわからない。

 柏木さんという人はつくづく、付き合うほどに惚れこんでいくと同時に謎が深まっていく人だ。

「はい、おまちどうさま」

 数分でそばが出てきた。普段の盛りに使うざるより倍ほども大きなざるに載っている。どう見ても三人前はあるだろう。

 鍋の中でしゃぶしゃぶすることで仕上がるように、そばはやや早めに茹で上げられたものである。竹で編んだざるに入れて、鍋の中でしゃぶしゃぶ。塩気を含んだ本枯カツオ節のうまみが瞬時に染み込む。

 カミさんはそばをすするたびに「うぅん」と唸った。

 いつの間にか客の姿はなく、店内は僕らだけとなっていた。柏木さんはカウンターの隅っこのパイプ椅子に腰かけ、いつものように穏やかな表情で煙草を吹かす。オカンはサンダルを脱いで奥の小上りに寝てしまっている。

 黙々とそばを流し込む僕たち。

 ズズッ、ズルズルーーー

 野菜と鴨肉と本枯カツオ節のうまみが混然一体となった味わいに舌鼓を打ちながら僕は思う。

 ここから歩いて十分ほどで黒門市場、堺筋の向こうは華やかな繁華街心斎橋。そしてすぐ目の前が東横堀川。これはどう考えても築地や入船あたりとよく似た環境ではないか。そうだ、やっぱり柏木さんは島之内に望郷の念を重ねているのだろう。きっと東京が懐かしいに違いない。

 有線放送からはルイアームストロングの渋い声が聞こえていた。


いいなと思ったら応援しよう!

カワムラケンジ(河村 研二) ぜひ応援おねがいします!これからはnoteをメインホームとして考えています。