【小説】(仮称)桜を守る〔第三十二話(最終話)〕
【願い】
彼女は、編集担当者へ伝えたとおり、今回も、作品に真摯に、さらには、全身全霊を賭して、向き合った。
担当者とは、常に意見交換をし、アイデアを出し合い、より良い作品にするんだという大きな目標を共有し、思いを一つにできていた。
だからこそ、担当者も、編集のプロとして、彼女を、時に支え、時に叱咤激励し、時に助言をし、全力で取り組んでくれた。
新人賞を獲得した作品は、読者から好意的に受け止められ、高評価を得ていた。
そこに、今回は、プロの編集者の目やノウハウ、意見を得ていたので、彼女は書き出しから手応えを感じられたし、自分自身、充足感を得られていた。
彼女が書いたそんな原稿が編集部に持ち込まれ、編集長始め、何人もの編集部員に目を通された。
そして、原稿が持ち込まれるたび、編集部内での評価は高まり、編集部として、大々的に連載をスタートさせることが決定された。
彼女の創造力や意地、執念、努力が作品に表れ、見事、編集部全体を味方に付けることとなったのだ。
そして、彼女が描き下ろしたイラストが当該漫画雑誌の表紙を飾る、そんな華々しい形で、彼女の初の連載がスタートした。
ここからの彼女は、漫画家として、絵に描いたようなサクセスストーリーを歩んでいく。
漫画雑誌の発行部数は大きく伸び、出版社として、さらなる宣伝活動が実施された。
単行本として発行されるや、初版十万部が完売し、早々に重版が決定された。
遂には、全国ネットのTV局のメジャーな枠でドラマ化されることとなり、若手人気女優総出演といった形で実写化された。
これも、また、成功を収め、さらに、映画化されることまで決定した。
彼女は、今や、漫画界の時代の寵児となっていた。
僕は、彼女の作品が世に出るや、毎回、購入して熟読した。
彼女が成功を収めるたび、涙を流し、心から喜び、祝福した。
彼女は、完全に、手の届かない、遠い存在になってしまったけれど、僕は、彼女が夢を叶え、さらにその夢の先の未来を、数え切れないほどのファンに愛されながら、成功に輝かしく彩られ、歩んでくれていることが、心底、うれしかった。
僕は、いつの日か、彼女がこの地を訪れ、桜の名所での幸せな想い出を胸に抱きながら、僕が精魂込めて守り、育てたソメイヨシノ達を愛でてくれることを願い、“桜守”としての精進を続けた。
そんなある日、僕は、公園事務所での県庁職員達の会話から、彼女が名誉県民賞を授与されることが決まり、仙台に来訪するとのニュースを知った。
インターネットで調べると、震災から十年目の春、震災復興プロジェクトの一つである桜の名所の再生を祝うタイミングで、彼女は県庁に招かれるとのことだった。
しかし、彼女が、桜の名所を訪れるかどうかまではわからなかった。
僕は心密かに願った。
彼女が、この地を訪れ、美しく蘇ったソメイヨシノ達を愛でてくれますようにー
【帰郷】
震災から十年の時を経て、遂に、彼女が仙台へ戻る日を迎えた。
公園事務所内で点けられていたTVに、お昼のニュースが流れると、彼女が県知事から名誉県民賞の賞状を手渡されている様子が映し出された。
僕が彼女を見るのは、専門学校の入学式以来のことだった。
この間、十年近く、彼女はすっかり大人の女性として美しく成長していた。
しかし、時折見せる笑顔は、僕が愛して止まない、あの頃の彼女そのままだった。
ずっと、ずっと、会いたかった笑顔が、輝いていた。
僕はTVに映る彼女を目に焼き付けんばかりに、じっと見つめた。
いつしか、瞳が潤み、彼女の笑顔も温かい涙に包まれた。
ただ、僕の願いも虚しく、ニュースで桜の名所のことに触れられることはなく、公園事務所にも彼女が訪れるといった連絡は一切入らなかった。
【桜を守るということ】
お昼のニュースが終わり、お昼休みを経て、僕はお花見客で賑わう園内に出て、いつもと変わらず、ソメイヨシノ達のお世話を始めた。
しばらく作業をし、少し腰を伸ばそうと立ち上がり、園内の様子を眺めるように辺りを見回した時、所長が急ぎ、公園の入口へ向かうのが見えた。
数分後、所長が待ち構える入口の前に黒塗りの車が止まった。
ドアが開き、降り立ったのは、彼女だった。
彼女に続き、フォーマルな洋服に身を包んだ女性が車を降り、助手席からもスーツをビシッと着込んだ年配の男性が現れた。
所長は、満面の笑顔で会釈をし、園内へと招く。
彼女の到着に気付いた花見客達がざわつき出す。
やがて、園路を歩んでいく彼女をひと目見ようと、周りに人垣ができた。
大人気の新進気鋭の若き漫画家と、
髪がボサボサで、無精ひげを生やし、土に汚れた作業服を着ている僕。
彼女のためにも、知り合いに僕のような男はいない方が良いのだろうー
僕は、彼女が人垣に包まれ、見えなくなると、様々な思いを抱えながらも、再び、しゃがんで、何事もなかったように、作業に戻った。
作業をしながら、あんなに会いたくて、会いたくて、どうしようもないほど、会いたかった彼女が、すぐそこにいるんだと思うと、心は穏やかではなかった。
無意識に聞き耳を立てていると、騒々しい雰囲気が近付いてくるのがわかった。
僕は、彼女の方へ目を向けたい気持ちを何とか抑えながら、黙々と作業を続けていた。
彼女を中心とする人並みが、ところどころで止まるのを感じた。
彼女は、このソメイヨシノ達を見てくれているー
そう思うと、十年を経て、ようやく、彼女に、想い出の地である桜の名所を取り戻し、届けることができた喜びが湧き上がった。
やがて、彼女と取り巻きの人達が十数メートルというところまで近付いてきた。
彼女は、両親との想い出の桜を、再び、この地で見られたことに感動を禁じ得なかった。
ソメイヨシノの一輪、一輪を、特別の感慨を持って眺めていた。
そんな中、ふと、人垣の隙間から、一本のソメイヨシノの前にいた作業服の男性が目に入った。
公園内の皆が自分に関心を寄せている中、我関せずと作業に集中している男性は、逆に目を引いた。
じっと見ていると、そのソメイヨシノへの作業を終えた男性は、立ち上がったかと思うと、幹に水平に入った筋をなぞるように、そっと優しく撫でた。
彼女はドキッとした。
“僕”と最後にすごした日、“僕”が何本もの桜に愛おしそうに行っていた行為、そのものだった。
!
次の瞬間、作業服の男性は、目を閉じて、そっと額を幹に当てたのだ。
あの人だ!
彼女は確信した。
と、同時に、“僕”が不在にした十年間の空白に、パズルのピースが一つ一つ埋まっていくのを感じた。
“僕”が、なぜ、大阪を離れたのか、
この十年、何をしてすごしていたのか、
瞬時に理解した。
彼女は、引き寄せられるように、人垣に分け入り、植樹エリアの手前、“僕”に最も近い位置に進み出た。
彼女の様子に、あれだけ騒がしかった園内が、一瞬、静まり返った。
僕は、様子の変化に気付き、思わず、顔を向けた。
先頭に、十年間、恋い焦がれた彼女が立っていた。
僕も、また、全てを理解した。
僕は、目をキラキラに潤ませながら、笑顔になり、二度、深く頷いた。
彼女も、また、瞳に涙を湛えながら、この間の様々な想いが溢れ出したような、優しい笑顔になり、僕に、ゆっくり、深々とお辞儀をした。
僕と彼女は、そのまま、見つめ合った。
物音は、何一つ、聞こえない。
視線の先には互いの姿しか見えない。
永遠に感じられた。
〔完〕
【あとがき】
この2ヶ月間、僕と彼女の物語を温かく見守って下さり、本当にありがとうございました。
生きとし生ける全ての皆さんが幸せでありますように。
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