税率は国民の鏡だ――マルクスの問いを現代に適用する【連載第4回】
Axiom Grey|ヨーロッパビジネス哲学シリーズ 第四回
マルクスの搾取論は、当時は正しかった
現代社会において、搾取されているのは誰か。
多くの人はこう答えるだろう。労働者だ、と。賃金で働き、資本家に利益を吸い上げられる側の人間だ、と。その答えの根拠として、マルクスの搾取論が今も繰り返し引用される。
その答えは、150年前には正しかった。
19世紀の西欧資本主義の現実を直視すれば、マルクスの分析は正当だった。一日16時間労働。児童労働の常態化。安全設備のない工場で命を削り、病気になれば即座に路頭に迷う。資本家は労働者の生命維持コストすら削り取ることで利益を最大化していた。
この構造において、「労働者は搾取されている」という分析は、感情論ではなく事実の記述だった。リスクも資本も持たない労働者は、資本家が設定したルールの中でしか生きられず、その交渉力は構造的にゼロに近かった。マルクスが「団結して闘争せよ」と叫んだのは、それ以外に生存の手段がなかったからである。
搾取は実在した。マルクスはそれを正確に見ていた。
150年かけて、搾取の矢印が逆転した
しかし、ここから先が重要だ。
その後の150年間で、何が起きたか。
自由民主主義の自己修正機能が働いた。議会と法改正という平和的なプロセスによって、マルクスが理論として求めたものはほぼすべて法制度として実装された。週40時間の労働時間制限。有給休暇の義務化。病欠時の長期給与補償。不当解雇の禁止。最低賃金の保障。医療費の公的負担。万が一職を失っても、失業保険が一定期間の生活を保障し、それでも立ち行かなければ生活保護という最後の安全網が待っている。
少なくとも19世紀型の「働けなくなれば即座に路頭に迷う」という生存破綻リスクは、現代の先進国においてほぼ除去された。19世紀の労働者からすれば、これは文字通り夢のような世界だ。もしマルクスが現代の資本主義社会にタイムスリップすれば、労働環境の劇的な改善に深く満足するどころか、それでもなお搾取を叫び続ける現代のマルクス主義者たちに向かって、「これだけ恵まれているのにまだ足りないのか」と一喝するのではないか。
問題は、ここからである。
搾取という構造的問題が解消された後も、「搾取論」という言語と運動の慣性は止まらなかった。そして徐々に、ある決定的な変化が起きた。
搾取の矢印が、逆転したのである。
現代社会において、価値を生み出しているのは誰か。新しいテクノロジーを開発する者。事業を立ち上げ、雇用を創出する者。私財を投じ、失敗の恐怖に耐えながら、市場に新しいプラットフォームを作り上げる者。これらの人間に共通するのは一点だ。リスクを取ったということである。
リスクを取るとはどういうことか。失敗したとき自分が損失を被るという構造に、自らを置くことだ。事業に投じた自己資金。費やした時間と人生の選択肢。事業が傾けばそのすべてが消える。経営者はこのリスクを引き受ける代わりに、成功したときのリターンを得る。労働者はこのリスクを引き受けない代わりに、成否にかかわらず毎月一定の給与を得る。
これは搾取ではなく、リスクとリターンを対応させた合理的な等価交換である。
ところが現代の搾取論は、この構造を無視する。経営者のリターンだけを見て「不公平だ」と叫ぶ。リスクを取らなかった者が、リスクを取った者の果実の分配を要求する。これが、逆転した搾取の本質である。
彼らが見ているのは、ごく一部の風景に過ぎない
現代の搾取論者たちが「許せない」と叫ぶとき、彼らの頭の中にある「資本家」とは誰か。
答えはほぼ決まっている。アマゾン、グーグル、メタ、アップル。いわゆるGAFAMに代表される、世界規模で莫大な富を蓄積した超巨大企業の経営者たちだ。確かに彼らの富の規模は異常であり、ロビー活動や租税回避といった問題については別途議論の余地がある。
しかしここに、致命的な認識の歪みがある。現実世界のリスクテイカーの大多数は、GAFAMとは何の関係もない。
ヨーロッパでは創業から3年以内に約半数の企業が廃業し、長期的に事業を維持できるのは全体の約1割に過ぎない。起業家の大多数は、私財を賭け、日に日に減っていくキャッシュに怯えながら、それでも失敗する。
その厳しい競争を生き残った経営者が得ているリターンは、従業員と比べてどの程度の差か。自己資金を投じて設備を導入し、為替リスクと原材料費の高騰に毎年向き合いながら従業員数十人を抱えて事業を続けている製造業のオーナー。ゼロから会社を立ち上げ、10年かけて軌道に乗せたが、競合の台頭と市場の変化に常に緊張しながら経営しているソフトウェア会社の創業者。
彼らが手にしているのは、賃貸から持ち家になり、海外旅行に行けて、高級レストランにも足を運べる程度の余裕だ。さらにうまくいった者は、より広い家に住み、高級車に乗ることができる。GAFAMのような桁外れの成功は、その中のさらに例外中の例外だ。
にもかかわらず、搾取論者たちはGAFAMを見て形成した「資本家像」を、こうした経営者たちにも無差別に投影する。「儲けている奴は許せない」という感情論で、リスクの大きさもリターンの規模も関係なく、一括りに「搾取者」のレッテルを貼る。
しかもここには、さらに深刻な認識の歪みが潜んでいる。搾取論者たちの目に見えているのは、今この瞬間に存在している企業と経営者だけだ。リスクを取って生き残った約1割の人間だけが、彼らの「資本家像」を形成している。残りの9割――夢を持って起業し、私財を投じ、しかし失敗して消えていった人間たち――は、すでにそこにいないから見えない。
飲食店を畳んだ元オーナー。IT事業に全財産を注ぎ込んで撤退した創業者。消えたものは見えないからだ。
搾取論者たちが「あの経営者は儲けている」と指さす光景は、膨大なリスクと失敗の上にたまたま残った、ごく少数の結果に過ぎない。その背後に積み重なった9割の挫折を無視して、見えているものだけを「搾取の証拠」と呼ぶ。これを生存者バイアスと言わずして、何と呼ぶべきか。
民主主義という「合法的な収奪装置」
19世紀の搾取が露骨な暴力と強制によるものだったとすれば、21世紀の搾取はより洗練されている。民主主義という、誰もが正当と認める仕組みを通じて行われるからだ。
数の論理において、リスクを取る少数派は常に負ける。一人の起業家の票は、リスクを一切取らない百人の票と同等に数えられる。そして百人は、その起業家が生み出した果実に課税し、再分配することを、合法的に決議できる。
確かに再分配には一定の合理性がある。下位層の購買力が上がれば消費が回り、経済全体が成長する。問題はその「程度」だ。再分配が適切な範囲を超えた瞬間、話は逆転する。リスクを取る者へのインセンティブが失われ、新しいパイが生まれなくなり、分配すべきパイ自体が縮んでいく。経済を回すはずの再分配が、経済を縮小させる力に変わる。
この収奪構造の最も露骨な表現が、搾取論者たちが繰り返す「財源は富裕層や企業から取ればいい」という言葉だ。社会保障の拡充を求め、教育や医療への投資を叫ぶ。それ自体は政策論として成立しうる。しかし「財源は自分たちではなく、金持ちが出せばいい」という発想は、政策論ではなく他人の財産をあてにした要求に過ぎない。自分たちはリスクも負担も引き受けない。しかし恩恵は受けたい。民主主義の数の論理がある限り、それは合法的に実現できる。
19世紀の搾取は力による強制だった。21世紀の収奪は、正義という言葉による合法的な要求である。
そしてここに、歴史の皮肉な対称性がある。
19世紀の資本家たちもまた、自分が搾取していると自覚していなかった。彼らの多くは「工場を建て、雇用を与えてやっている」「貧しい者に働く機会を提供している」という善意の自己認識を持っていた。現代の搾取論者たちも同じだ。「格差の是正」「弱者の保護」「公平な社会」という言葉で自らの行為を包み、収奪であるという認識が完全に欠落している。
150年の時を隔てて、収奪する側の構造は完全に対称である。どちらも自覚がない。どちらも自分を善意の側だと信じている。マルクスが告発したのは19世紀の自覚なき搾取者だった。しかし現代においてその構造を正確に見れば、自覚なき収奪者は搾取論者たちの側にいる。
ヨーロッパという実験場が示す末路
ヨーロッパは、この構造が最も進んだ社会である。手厚い福祉、強固な労働者保護、高率の累進課税。これらは短期的には確かに機能した。EU統合後のドイツを中心に、ヨーロッパは2000年代にかけて高い競争力を誇り、豊かさの絶頂にあるように見えた。
しかし問題は、その間に何が起きていたかだ。
リスクを取る人間が、静かに減っていった。高い税負担と規制コストの前に、新しい事業を起こそうとする動機が失われていった。その影響は10年単位では見えない。しかし20年、30年という時間軸で見たとき、社会の価値創造能力が確実に失われていく。
その結果が今、現れている。
AI、半導体、バイオテクノロジー、プラットフォームビジネス。21世紀の産業を定義する分野において、ヨーロッパ発で世界を牽引する企業は実質的に存在しない。GAFAMはアメリカで生まれた。BYDやアリババは中国で生まれた。ヨーロッパが誇る産業は20世紀に築いた自動車と製薬と金融であり、いずれも過去の遺産の上に立っている。
唯一の例外として挙げられるのが、オランダのASMLだ。半導体製造に不可欠なEUV露光装置を世界で唯一製造できる企業として、その存在は確かに際立っている。しかしその実態を見れば、これはヨーロッパが自前のリスクとイノベーションで生み出したものではない。
ASMLが自社で製造しているのは装置全体の15%に過ぎず、残りの85%はアメリカとドイツを中心とした外部サプライヤーからの調達だ。しかも重要なのは、その15%は筐体や周辺部品の組み立てであり、装置の根幹をなす技術はすべて外部から来ている。光源の心臓部はアメリカのサイマー社(現ASML傘下)とドイツのトルンプ社、精密光学系はドイツのツァイス社が担っている。ASMLの役割は本質的に、アメリカとドイツの中核技術を一台の機械として統合するシステム・インテグレーターである。その統合技術自体は高度だが、装置の根幹をなす光源と光学系はすべて外部から来ている。
そもそもASMLがこの役割を得られたのも、技術力によるものではなかった。アメリカは日本のニコンとキヤノンを安全保障上の理由で意図的に排除し、当時業界3位でありながら技術レベルでもニコン・キヤノンに大きく劣っていた弱小企業に過ぎなかったASMLを選んだ。そしてサイマーを子会社化した後も、ASMLはサイマーの商業運営をアメリカ国内の独立部門として管理し続けることを余儀なくされており、2019年にはアメリカの輸出管理規制によって中国へのEUV機器販売を禁じられた。技術を「買った」のではなく、アメリカの管理下に置かれたまま「使わせてもらっている」に過ぎない。
ASMLは「ヨーロッパが生んだ技術」ではなく、アメリカが自国の半導体覇権を維持するために仕立て上げた組み立て工場に過ぎない。これをもってヨーロッパのイノベーション力の証拠とするのは、歴史の読み違いである。
一方でヨーロッパは、GDPRやデジタル市場法といった規制を通じてGAFAMから巨額の制裁金を毟り取りながら、自分たちのイノベーション不足を補おうとしている。自らリスクを取って価値を生み出すのではなく、他者が生み出した価値に課税・規制という形で寄生する。これはある意味で極めて合理的な短期戦略だが、長期的には自らの価値創造能力をさらに失わせる構造である。
データもその構造を裏付けている。OECDの調査では、過去20年間にわたってスタートアップ率は調査対象18カ国のうち16カ国で低下が確認されており、若い企業の雇用シェアの縮小も同様に広範な傾向として現れている。規制コストの増大が新企業の誕生を抑制し、特にイノベーティブな産業でその影響が顕著であることは、複数の実証研究が示している。
ヨーロッパ各国はスタートアップ支援策を整備し、起業の入口を広げようとしている。しかし補助金や優遇税制で起業を促しておきながら、成功した途端に重税で刈り取る構造は変わっていない。入口をいくら広げても、出口の構造が変わらない限り意味はない。
考えてみてほしい。起業した者の約半数が3年以内に廃業し、長期的に事業を維持できるのは全体の約1割に過ぎない。その過酷なふるい分けを生き残った者が手にするのが、持ち家と海外旅行程度の余裕だとしたら、誰が好んでその賭けに踏み込もうとするだろうか。
むしろ合理的な選択は別にある。労働者として安定した給与を得ながら、余剰資金を株や不動産に投資する方が、9割の確率で全てを失うリスクを取るより、期待値として遥かに高い。わざわざ茨の道を選ぶ人間が減っていくのは、当然の帰結である。
新しい価値が生まれなくなる。雇用が生まれなくなる。残されるのは、分配を求める声だけが大きく、分配すべきパイが縮み続ける社会だ。そしてパイが縮み始めると、これまで見えなかったコストが可視化され、社会の分断として現れる。ヨーロッパで今起きている移民への反発や右派政党の台頭は、移民そのものが原因ではない。経済が成長していれば吸収できていたはずのコストが、パイの縮小によって「自分たちの取り分が奪われている」という感覚として噴出した症状に過ぎない。
マルクスが告発した19世紀の搾取は、労働者を貧しくした。21世紀の逆転した搾取は、社会全体を貧しくする。そしてヨーロッパは、その未来をすでに生きている。
おわりに:マルクスを正しく継承するとはどういうことか
マルクスの本質的な問いは「誰が誰を搾取しているか」だった。その問い自体は、今も有効である。
しかし答えは、150年前とは変わった。
現代社会において収奪されているのは、リスクを取って価値を生み出す少数派である。そして収奪しているのは、リスクを取らずにその果実を民主主義の数の論理で再配分させる多数派である。
一点だけ付言しておく。本稿が擁護しているのは、政治的なロビー活動や規制によって競争を排除し、リスクを取らずに富を独占する者たちではない。実際にリスクを引き受け、雇用を生み出し、価値を創造する者たちである。その区別は「リスクを取ったかどうか」という一点で明確に引かれる。
マルクスを本当に継承するとは、150年前の答えを繰り返すことではない。彼の問いを現代に適用し、現代の収奪構造を正確に記述することである。
その記述から目を背け、古い答えを繰り返す者たちこそが、現代における最大の収奪者である。そして彼らは、そのことに気づいていない。
最後に一つの問いを置いておく。資本主義と共産主義を分けるものは何か。イデオロギーではなく、税率かもしれない。完全な共産主義は国家がすべてを取り、完全な資本主義は個人がすべてを保持する。その間には無数のグラデーションがあり、税率という数字でおおよそ表すことができる。
以下は主要先進国のGDP比総税負担(社会保険料含む、2023年)だ。
デンマーク 44%/フランス 44%/イタリア 43%/オーストリア 43%/ベルギー 43%/フィンランド 42%/スウェーデン 41%/ノルウェー 41%/ドイツ 39%/EU平均 40%/イギリス 35%/日本 34%/OECD平均 34%/カナダ 33%/オーストラリア 30%/韓国 27%/スイス 27%/アメリカ 27%
資産家を尊敬する国と、搾取者と見なす国では、民主主義を通じて異なる税率が生まれる。
税率は国民の鏡だ。
