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豆腐メンタルの私が競争社会のアカデミアで研究者を目指す理由 (後編)

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30歳になろうとする今、残っているもの

正直に言って、トラウマと後悔ばかりが残っている。

「あのときアカハラに立ち向かわなければよかった」
「関わらずに、自分の研究だけに集中していればよかった」

そんなことを考えてしまうときもある。

周囲を傷つけながらも自分の研究に集中し続けていたあの人は、良い論文を出し、研究者として順調なスタートを切っている。
そんな姿と自分を比べてしまう自分がいることは認めざるを得ない。結局、成果主義の世界では、どんなに理不尽な状況でも、自分のことに集中して成果を出せた人間が生き残るのだ。それが現実。

それでも研究者を目指す理由

それは、
メンタルが弱く特別優秀でもない私でも、
「研究が好き」という気持ちを持ち続けることで研究者になれる

ということを証明したいからだと思う。
綺麗ごとかもしれない。
でも、そう信じたいのだ。

一緒にアカハラの状況下で苦しんだ友人たちは、アカデミアに絶望し、企業に就職していった。自分自身は、適応障害を発症しながらも、博士卒業後もアカデミアに進んだ。

それでも私は困難を乗り越え、差別や理不尽を乗り越えて、好きなことを貫きたい。
そして、学歴や頭の良し悪しで評価されてしまう環境の中で、苦しみながらも、それでも研究がしたくて足掻いている人たちに寄り添うことのできる研究者になりたいと思う。

まとまりのない文章になってしまったが、これが今の私の思い。
「メンタルが弱いから」
「頭が切れるわけでもないから」
「要領が良くないから」
「雇用が安定しないから」
研究者を諦める理由はいくらでも挙げられる。

それでも私は、研究者を続けている。

過去の後悔やトラウマが、完全になくなることはないだろう。今でも、思い出してしまったり、眠れない夜は沢山ある。
ただ、あの辛い経験を経たからこそ見えるものがあり、同じように苦しんでいる人に、私だからかけられる言葉があるのではないと考えるようになった。

いつか、かつての自分のように、理不尽の中で苦しみながらも研究への希望を手放せずにいる誰かに、
「研究が好きなら、続けて大丈夫。」と伝えられる研究者になりたい。

以上が、今の私が研究者を目指し続ける理由である。

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