R.E.M.『Murmur』──カレッジロックの貧弱さに宿った、アメリカの地下水脈
80年代、MTVが時代を席巻する中、大学生が夢中になったのはUKの革新的ロックたちだった。
そして佐野元春や東京ロッカーズ、RCサクセションなど日本でもロックは開花し、当時のロック好き高校生大学生たちを虜にした。
そんな中、アメリカではカレッジロックの花が各地で咲き始めていた。
中でも私はR.E.M.に密かに惹かれていた。
きっかけはミュージックマガジンのレビュー。なぜかわからないが彼らに興味を持ち、アルバムを購入した。
当時愛読していたロッキンオンで彼らの名を目にすることはほとんどなく、ミュージックマガジンが丁寧にフィーチャーするのを横目に、その音楽的背景には興味を持った。
ただ、あの「学生らしい貧弱さ」──それが魅力でもあり、弱点にも感じられて、どこか距離を置いていた。彼らがカレッジラジオのアイドルであることは分かっていたが、そのサウンドは当時の日本の音楽シーンからは半歩外れた場所に浮かんでいるように感じられ、なかなか積極的に手が伸びなかった。
見え方が変わったのは、20代になって、音楽を感覚や理屈だけではなく、歴史と背景で語るようになってからだ。
ひとつのバンドの「なぜ」が見えてくると、音の聴こえ方はまるで別物になる。そして何より、あの貧弱だったバンドが、やがて世界中のスタジアムを埋め尽くす屈強なアメリカンロックの象徴へと変貌を遂げた事実が、改めて驚くべきことに思えてきた。
その変容の軌跡を遡ると、必ずたどり着くのがこのデビューアルバム『Murmur』である。
1983年──プラスチックの光の中で
1983年、ポップミュージックはMTVの台頭によって視覚的な派手さを競う時代に入っていた。
シンセポップ、グラムメタル──サウンドは機械的に磨き上げられ、メッセージは分かりやすく消費されることを求められていた。
マイケル・ジャクソンの『Thriller』がチャートを制覇し、大仰なギターソロが鼓膜を支配し、スターたちはMTVの画面の中でひたすら輝きを競い合っていた。プラスチックのような人工的な光に満ちた時代だったと、今となっては思う。そんな喧騒の中、ジョージア州アテネからひっそりと現れた『Murmur』は、まさにその対極にあった。

B-52'sなどを生んだ南部の小さな大学町アテネのパンク/ニューウェーブ・シーンから産声を上げた典型的なカレッジバンドが、なぜ後のオルタナティヴ・ロックの聖典を生み出せたのか。
答えはその「対極性」そのものにある。
ピーター・バックが爪弾くリッケンバッカーのギターは、まるでザ・バーズを思わせる鐘のように響いていた。
──のちにジャングル・ポップと呼ばれるそのサウンドは、60年代フォークロックの瑞々しさを持ちながら、同時代のポストパンクの鋭利なエッジを内側に忍ばせていた。これ見よがしなギターソロは徹底して排除され、マイク・ミルズの歌うような対位法的なベースラインと、ビル・ベリーのタイトで無駄のないドラムスが絡み合い、4人が平等に機能する民主的なアンサンブルを形成していた。
懐かしくもあり、どこか異質でもある──そのアンビヴァレントな質感こそが彼らの最大の武器だった。
マイケル・スタイプのボーカルは、意図的に前に出ず楽器の奥へと沈み込み、言葉は断片的で詩的であり、意味よりも一語一語の「響き」が優先された。
歌詞カードのないレコード盤を前に、聴き手は自ら意味を探るしかない──その能動的な参加こそが、このアルバムの最大の仕掛けだった。
プロデューサーのドン・ディクソンとミッチ・イースターは、流行のゲート・リバーブを排し、湿り気を帯びたアナログな残響を丁寧に重ねることで、過去のようでも未来のようでもある、時代から浮遊した音響空間を生み出した。
アルバムジャケットは、葛に覆われた朽ちた高架橋のセピア色の写真だ。
サザン・ゴシック的な南部の廃墟の風景が、そのまま音楽の佇まいと重なっている。
一曲目"Radio Free Europe"は疾走するジャングルギターとともにカレッジロックの誕生を宣言し、
"Sitting Still"ではミルズのベースが旋律を牽引する。
中盤の"Perfect Circle"では一転してアコースティックな楽器が静かに重なり、後のスタジアム規模のバラードへとつながるスケール感を予感させる。粗削りでありながら、その奥に確かな深みが宿っている。
ロッキンオンが取り上げなかった理由
正確に言うと取り上げていたと思うが、そんなに推してはいなかったロッキンオンの、その編集理由も、今なら分かる。
UKポストパンクの文脈では語りにくく、かといって典型的なアメリカンロックでもない──日本の音楽メディアにとって、彼らは扱いに困る存在だったはずだ。
ミュージックマガジンがフィーチャーし続けたのは、ルーツ・ミュージックへの深い目配りがあったからだろう。
ローリング・ストーン誌が本作を1983年の年間最優秀アルバムに選出し、批評家たちが「アメリカン・ロックの新たな希望」と見なした事実も、当時の日本には大きく伝わっていなかった。
そして今思えば、あの「学生らしい貧弱さ」こそは、メインストリームのどの文法にも収まらない自律性の表れだったのだ。
インディー・レーベル(I.R.S. Records)から美学を一切妥協せずに世に問うたそのストイックな姿勢は、レーガン政権下の過剰な物質主義に静かに抗うカウンターカルチャーとして機能していたのだ。
その自律性が、後に『Out of Time』や『Automatic for the People』での世界的ブレイクを支える土台となり、やがて90年代のニルヴァーナへと受け継がれるオルタナティヴ精神の地下水脈を形成していく。スタジアムを満員にする力は、最初からこの「貧弱さ」の奥底に潜んでいたのだ。
『Murmur』は完璧なアルバムではない。
録音は粗く、ボーカルは聴き取りにくく、バンドはまだ手探りだ。しかし、すべてが説明され尽くしたものは消費されるのも早い。
このアルバムが持っていた「完璧すぎない曖昧さ」は、40年以上を経た今もなお聴き手に何かを問いかけてくる。
情報が過剰で解像度が高すぎる現代において、あの不明瞭な神秘性は色褪せるどころか、むしろ際立ってきているようにさえ感じる。
密かに惹かれながら距離を置いていた頃の自分に、今さらながら言ってやりたい。──もっと早く、じっくり向き合っておけばよかったと。
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