文章を読み書きする最大の理由
私にとっての「読み書き」の楽しさ
今回は、自分は「文章の読み書き」をどう捉え楽しんでいるか、という話です。
先日別の記事で、自分の文章の書き方についてこう述べたのですが、もうちょっと補足したくなりました。
Q. どうやって書いてるんですか?
頭から始めて最後まで行ったら終わりです。いやそうじゃない。
もう少し詳しく言うと、書きたいネタが浮かんで全体像や着地点が見えたら、書き始めます。
あくまで私の例であり他の人のことはわかりませんし、一般化する気もありません、ということだけ前置きさせてください。
書きたいことの「全体像」とは
書きたい記事の種類によって違いますが、例えば一つの物事に対して自分の中で「ああだからこうなんだな」というふうに、いくつかの点が繋がって納得がいった場合は、その「納得=オチ(着地点)」でありゴールです。
この、「いくつかの点が繋がってゴールまで到達した状態」が記事の骨格なので、それを頭から終わりまで書きます。
一歩踏み出したらもうゴール、みたいな短い記事は全体像も何もありませんが、考慮しなければならない要素(例えばお国柄とかファンダム感情とか)の多い案件は、自分の中で消化するのに時間がかかります。
直近のこの記事であれば、メキシコ関係で見聞きしてきたあれこれが1つに繋がり、自分が受けた「感動」がどこから来たのかが形にできればそれがゴールであり、そこが見えないうちは記事になりません。
最初に生まれる全体像自体はモヤッとしていて、細部まで言語化されてはいません。
自分はぼんやりしていても理解できるんですが、これを他人に理解してもらえる状態で出力するのが「書く」という作業です。
文章を書く面白さ:思考の共有
何となく理解したものを明確化し、他人と共有する。
私にとっての「文章を読み書きする面白さ」の1つが、これです。
自分が納得するだけでいいものなら、「ああそうか」と思うだけで忘れるか、誰かに喋って自分の中にしまい込んでしまいます。
大抵ここで犠牲、いや栄光ある拝聴役になるのが夫です。いつもありがとう、お礼に無料にしとくね!
この場合、書く目的は「共有」です。
私にとって文章を書くというのは、感情や経験を分かち合うだけでなく、ある意味で他人が検証するための材料だったり言語化するための踏み台になることも期待しているわけで、その結果違う意見が出ても気になりません。同じなら楽しく、違っても新しい世界が広がります。
ただ、お喋りが盛り上がるためには、前提が共有されてる必要があるんですよね。
他人の脳内は見えませんから、「萌えた!」「私も!」って言ってても本当に同じところで同じように萌えてるかはわかりません。でもそこが文章化されていれば、共有するものの精度が上がるかもしれません。
バンタンにハマった頃、彼らや先輩ARMYが共有してる暗黙の了解がわからなくて、よく「何のことだろう」と思っていたのですが、それと一緒です。「ああそのことか!」とはっきりしてれば、より深く理解や共有ができるでしょう。
文章を読む面白さ:世界の拡張
私にとって、文章を書く面白さの1つは「他人と共有する」ことですが、文章を読む面白さの1つには「他人の脳内を見せてもらえる嬉しさ」があります。
文章は書いた人の論理展開の流れが出るから、普段見えないものが見えて面白いですよね。
人間の脳みそは1つしかありませんから、自分には自分の論理展開しかわかりません。でも、文章を読むと他人の見ているものが想像できます。
自分と全く違う考え方の人の文章を読むと、読みづらかったり理解に時間がかかったりしますが、それは新しい運動をすると普段使わない筋肉が痛むようなもので、自分の脳内に新しいシナプスが繋がる手応えだと思います。
「言葉の展開=思考の順序」なので、思考の癖や言葉の使い方、論理展開が自分と合わない文章は、先読みが外れて引っ掛かることが多くなり、把握に時間がかかります。「目が滑る」が起きやすいのもここです。
結局、人が自分の理解と世界を広げ他人と繋がろうとした時、一番確実な方法が「言葉」しかないと思うんですよね。
これは実際生きていく上でもそうです。
学校の数学も、文系の自分にとっては「論理的に物を考え、他人にわかるよう証明する」訓練でした。チームでプログラム組むなら他人にわかるように書く必要がありますし、仕事の資料も自分しかわからないものを作ったら一生自分が更新しないといけなくなります。
私にとって他人にわかるように文章を書くというのは、趣味でもあり、生きていくための必須スキルでもあります。一生磨いていかなければなりません……!
最近「言語化」ブームが来てるのも、皆が同じところでつまずいてるせいなのかもしれません。
生成AIによる代筆がこの悩みを駆逐しちゃうと、シナプスが繋がる機会が消失し、他人(AI)の論理に乗っかるしかなくなるような気がしますが、今後どうなっていくんだろうと思っています。
お母さん、子どもが生きていく世界の今後が心配よ。
ネット記事の場合、誰がどこから読み始めてるのかわからないので、どこから説明していいか悩むことがありますが、記事を書き続けていると過去記事引用で説明を端折れるので楽だなと思っています。
結論:文章の読み書きは楽しい
普段からこんなことを考えつつ文章を書いているわけではありません。
ただSNSで色んな文章を読んでいるうちに、「自分との対話」として書いてる人がたくさんいることと、それに驚いてしまう自分を知ったんですよね。
驚くってことは、自分にとって「文章を書く」っていうのは「自分との対話」じゃないわけです。日記を全く書かない人間なので、そりゃそうですね。
私は、「他人に読ませられない文章を書くのはもったいない」と思うタイプなので、日記を書いたことがありません。
私にとって、「公開する」ということは他人に読ませることが前提なので、この考え方が目新しくて色々考えてるうちに、要するに自分は「共有」が好きなんだなという結論に至りました。
だから、思考プロセスを書くのも読むのも好きなんですよね。段階を追ってくれると、わかりやすいです。ナムさんのコメントなんか脳内の実況中継に近いから、大好きです!
逆に、その人独自の思考プロセスが見えないAI文章は、ものすごくつまらないから好きじゃありません。
ちなみに思考プロセスを書いた文章は、AIも大好きらしいです。効率よく学習できるから。
しかし、AIが便利になると思考プロセスをすっ飛ばせるようになるので、AIの学習ネタが相対的に減るんじゃないかという気がします。学習資源の枯渇は既に課題なのですが、解決方法はあるのか、人類とAIはどう共存していくのか、興味しかありません。長生きして見守りたい。
AIによる学習というと、コンテンツやスキルのコピペ・盗用などが取り沙汰されやすいですが、実際にはAIは人間の思考プロセスをめちゃめちゃ研究しているようだ、ということがわかります。
文章を読む楽しみには、他にも「構造を眺める」というのもあるんですが、それはまた別で書いてみたいと思います。早くゴールが見えたらいいなw
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