モヤっとの正体は「抽象化」で見えてくる〜コンサル的思考で感情を整理してみた〜
モヤっとするあの瞬間、なぜか気になる
わたしはb-monsterという暗闇ボクシングジムに通っている。
そのスタジオには、パフォーマー(インストラクターをbではこう呼ぶ)が立つ「ロード」と呼ばれる場所がある。そこは一段高くなっていて、パフォーマーがレッスン中にコリオ(動き)の見本を見せながらキューイング(指示出し)をしたり、動作の説明をしたり、レッスン後のストレッチ中に話をしてくれたりする、いわば舞台のような場所である。

そんなロードの上を、ふとした瞬間にメンバー(会員)が普通に歩いてスタジオの出入りをしているのを目にすることがある。
そのたびに、なぜだかモヤっとしてしまう。
迷惑をかけられたわけでもない。
ルール違反でもない。
むしろ誰も気にしていない(のかもしれない)。
でも「そこを通る?」と、わたしの中で小さな違和感が生まれるのだ。
聖域に踏み込まれたような感覚
実はこの感覚、わたしの講師業でも似たようなことがある。
セミナー終了後に質問に来た参加者が、演台の上に置いてあるわたしのMacBookの画面をさりげなく見てくるとき。
TACの教室で、教壇に上がって質問してくる受講生。
休憩中に、教卓の裏を通っていく受講生。
もちろん、誰かに被害を与えているわけではない。
でも、モヤっとする。
その理由をじっくり考えてみた。
で、結論。
「教壇の上は講師の聖域だ」と思っているからかもしれない。

「正しくないわけじゃないけど気になる」の根本原因
ロードも教壇も、物理的にはただの「一段高い場所」でしかない。
誰が通っても、ルール上は問題ない。
でも、自分の中では「ここは特別な場所」という暗黙の認識がある。
「上がってはいけない場所」とは言っていない。
ただ、「上がろうとすら思わない場所」であってほしい、そう願ってしまう自分がいるのだ。
これは他人が悪いというより、わたしの「価値観」が勝手に発動している状態。
だからこそ、モヤっとする。
でも、「なぜモヤっとするのか?」と立ち止まって考えることに意味がある。

コンサル的に考える〜抽象化とは何か?
コンサルの世界では「抽象化」が大事だと言われる。
目の前の事象を「具体的な行動」と「抽象的な構造」に分けて捉えることで、似たような問題を整理できる。
今回の件を抽象化するとどうなるか?
・ロードの上を通るメンバー
・教壇に上がる受講生
・演台のPCをのぞく参加者
これらはすべて「無意識に他人の“見えない境界線”を越える行為」だ。
つまり「人が大切にしている“空気”を察知せず、踏み込んでしまう」行動の一種。
そしてその境界線は、明文化されていないからこそ、難しい。
わたしが取ったひとつの工夫
じゃあどうすればいいのか?
わたしは、教壇に上がってくる受講生に対しては、「ではこちらで」と声をかけて、端の方に誘導するようにしている。
スペースがあれば、一緒に下に降りて説明する。
それだけで、自分のモヤっとも減るし、相手にとっても話しやすい場になる。
聖域を守るためというより、「気持ちよくコミュニケーションをするための環境調整」だ。

「感じる力」を粗末にしないということ
わたしは、こうした「モヤっとした瞬間」をそのまま放置したくない。
なぜなら、それが自分の価値観や大切にしていることを教えてくれるヒントになるからだ。
正論で片付けてしまえば、「気にしすぎ」で終わる。
でも、コンサル的に抽象化して考えることで、「この違和感は、もっと普遍的なテーマに繋がっている」と気づくことができる。
わたしにとって、「そこには乗らない」という小さな所作が、大きなリスペクトの表れなのだ。
面倒くさい講師でごめんなさい。
でも、こういう感覚って、意外と大事だと思っている。
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