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カーステレオから流れてきた『男と女のラブゲーム』|昭和の湿度と共犯の恋

妻と二人でドライブ中。カーステレオのシャッフル再生がまたやってくれました。

日野美歌 & 葵司朗「男と女のラブゲーム」

言わずと知れば、デュエット演歌の特大ヒットです。

妻と会話しながらの時間でしたが、僕の耳の9割は曲に奪われていました。(妻よ、すまん)

帰宅してから調べると当時の日野美歌は25歳でした。
今の25歳といえば、例えばJ-POPならYOASOBIのikura(幾田りら)や、アイドルの=LOVEのメンバーたちの世代のようです。
現代の彼女たちが歌うのは、瑞々しい感性や、SNSの画面越しに揺れ動く繊細な心。

対して、25歳の日野美歌が歌い上げるのは「飲みすぎたのは、あなたのせいよ」という、スナックのカウンターに染み付いたような情念です。

この圧倒的な「湿度の差」に惹かれました。

現代のラブソングは、どれほど切ない恋愛感情を描いても、どこか「カラッと乾いている」印象がありました。それは恋愛に対しての誠実さや前向きな感性がベースにあるように思います。

しかし、この時代のデュエット歌謡には、独特の「生活感のある退廃」が隠そうともせずにあらわになっています。
ネオンや酒場のイメージはあるのに、“大都会”ではなく、地方都市の繁華街、駅前のスナックみたいな、“生活の延長線上の夜”を思わせます。

決して「洗練された港区の恋愛」ではない気がします。

登場人物の「遊び」と分かっている関係や、「嘘」をスパイスにする駆け引き。それを彩るタバコの煙とアルコールの匂いが立ち込めています。

日野美歌25歳にして、人生の「行き止まり」や「どうにもならなさ」を表現する。
その早熟すぎる色気に、惹きつけられました。

当時のデュエット曲における男女は、対等なパートナーというよりは、「共犯者」に近い雰囲気があります。

女)飲みすぎたのは あなたのせいよ
男)弱い女のいとしさを
女)飲みすぎたのは あなたのせいよ
男)可愛いおまえの強がりを

「男と女のラブゲーム」

冒頭からすでにラブゲームは始まっています。
このやり取り、冷静に考えれば責任転嫁をする女性に対して、煙に巻く男性の下心が見えるいやらしさの応酬ですが、それを「色気」として成立させてしまうのがこの曲の魔力とも言えます。

健康ランドの宴会場で、他人同士や、親戚同士が歌う様子を見たことがあります。当時は子どもだったので、深く考えなかったですが、とんでもない内容です。公開不倫と言っても差し支えないかもしれません。

この曲の大きな特徴は、「これが本気の恋ではない」と互いに自覚している点だと思います。

「割り切り」と「未練」や「嘘」が散りばめられ、歌詞の端々に「どうせ遊びでしょ」「ただのゲームよ」という予防線を張りつつも、その声色には執着や情念がたっぷり乗っています。

現代ポップスのラブソングでは、恋愛に対しての「誠実さ」と「不安さ」がバランスをとり、それが美徳のような雰囲気があります。一方で演歌歌謡界のラブソングでは、「上手な嘘」や「騙し合い」こそが男女のたしなみ。その駆け引きが、独特の粘着した湿度をまとっているように思えます。

その湿度の出所は、歌詞に漂う「生活感のある退廃」や、独特の密室感にあるのでしょう。
「水割り、行きずり、古い傷」
もどかしく一喜一憂するような恋愛や初恋ではなく、色恋たるや何なのか裏も表も知り尽くし、人生を2周半したかのような男女による、全て理解した上での遊びとしての恋。

恋愛の舞台は、校庭や青空の下のビーチではなく、カウンター越し、タクシーの中、ホテルのバー。
常にそこにはアルコールの匂いと、紫煙が漂っています。
もちろんSNSなんて無い世界線です。

そこに欠かせないのが、どこか後ろめたい「影」の存在です。
登場人物のどちらか(あるいは両方)に「他に帰る場所がある」ことが示唆されます。この「許されない感」や「かりそめ感」が、まとわりつく影のように男女の情熱を重く、湿ったものに変えています。

そんな世界観を25歳の日野美歌と40歳の葵司朗がデュエットで歌う「男と女のラブゲーム」。
この2人がプレイするラブゲームは桃鉄では無いのは明白です。
あまりにも危険で、羨ましく、いや、けしからん世界です。

なにより改めて聴くと日野美歌の歌唱が、それなりにカワイイ25歳の声をしているところもポイントです。シンセの印象的なリフとメロディ、そこに可愛らしい日野美歌の歌声、そこに近づく葵司朗。実にけしからん世界です。

彼女は、この5年前の20歳の時「氷雨」をヒットさせていますが、それはそれで、やっぱりけしからん世界だと思います。

『飲ませて下さい  もう少し 今夜は帰らない 帰りたくない』

「氷雨」


20歳の娘から「こんな曲を歌うよ」と知らされた親の気持ちになると、とても複雑です。いやが上でも娘の背後に、ギトギトしたプロデューサーの影がチラついてしまい、『帰りたくない』と言われても、娘をすぐにでも連れて帰りたくなります。

と、ここまで書いてふと思い出せば、1966年に緑川アコが『夢は夜ひらく』を歌ったとき、彼女はまだ19歳でした。
あれはもはや演歌というより、裏通り横の高架下の影から迫るような『怨歌』だと思います。緑川アコの声質も影響しているとは思いますが、10代や20代が、人生の裏街道をこれほどまでの説得力で歌い上げていた時代。

そして、それを人々が受け入れ、口ずさんでいた時代。
かつての若者たちは、一体何を急いで、どこへ向かおうとしていたのだろうか。と、柄にもなく思ってしまいます。

「男と女のラブゲーム」。
かつての25歳は、早く大人になろうと「背伸び」をしていたのでしょうか。

今の25歳は、“大人になる”ことより、“自分らしい若さ”を長く大切にする時代の中にいるようにも思えます。

どちらが良いという話ではありませんが、カーステレオから流れるその重厚な世界の湿度は、タイパや効率が重視される現代では決して生まれない、贅沢で濃厚な「無駄」と「余裕」が生み出した世界観なのかもしれません。

こういう出会いがあるから、カーオーディオはシャッフル再生に限ります。

この後にカーステレオからは何が流れたって?
もちろん最高の一曲が掛かりましたよ。
古田喜昭「パーマンはそこにいる」です。

これはEP持ってるもんね☆
(こんなレコードで喜んでいるようでは、僕に「ラブゲーム」は無理だな)


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