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誰も取りこぼさないためには、「10分の8」の合理性をデザインする必要がある。

「誰も取り残さない」という言葉は、美しい。

介護施設でも、学校でも、医療でも、組織でも、コミュニティでも、本当に目の前に10人の人がいるとき、その10人全員に対して、同じ深さで、同じ時間をかけて、同じ密度で向き合い続けることは難しい。

一日の時間にも、体力にも、心の容量にも限界がある。

その限界を無視して「10人中10人を救うべきだ」と言い続けると、最後に壊れるのは、現場で人を支えている人たち。

だから、現場にはある種の合理性が生まれる。

10人いたら、まず8人が安定して暮らせる状態をつくる。
10人中8人が落ち着いて、日々を回せて、事故なく、揉めごとなく、そこそこ楽しそうに過ごせる状態を目指す。


まとめの図

「10分の10」を現場に求めると、現場が壊れる。

たとえば介護施設を考える。

施設には、いろんな人がいる。

  • すぐに場に慣れる人もいれば、なかなか馴染めない人もいる。

  • スタッフの言葉を受け取れる人もいれば、何を言っても拒否してしまう人もいる。

  • 本人の性格だけではなく、それまでの生活、家族関係、孤独、喪失感、老いへの抵抗、環境の変化への不安が重なっている。

  • 施設に入ったばかりの人が荒れるのは、ある意味で当然でもある。

そして施設は、
ひとりの人生だけでなく、複数人の生活全体を支えている。

食事、排泄、入浴、服薬、転倒防止、家族対応、記録、申し送り、緊急対応。そこにはマクロの生活運営がある。

そのなかで、10人中10人に100点の個別対応をしようとすると、現場は回らなくなる。

スタッフは疲弊し、判断が荒くなり、優しい人ほど辞めていく。
結果として、10人全員の生活の質が下がってしまう。

だから、現場がまず10分の8を目指すことには合理性がある。

10人中8人が安定する。
大きな事故が起きない。
生活が回る。
スタッフが潰れない。
その状態をつくることは、決して低い目標ではない。

むしろ、それがあるから、施設は施設として成立する。



落ちる2人を、現場の努力不足にしない

問題は、残りの2人である。

10分の8合理性が必要だとしても、そこから落ちる2人が消えるわけではない。
馴染めない人、怒り続ける人、閉じこもる人、暴言を吐いてしまう人、何度も同じ不満を言う人、誰とも関係を結べない人。

この2人を「面倒な人」として処理してしまうと、
誰も取り残さないという言葉は嘘になる。

でも、
この2人をすべて施設スタッフの責任にしてしまっても、
やはり現場が壊れる。

ここで必要なのは、現場にもっと頑張れと言うことではない。
分母の設計を変えることだと思う。

施設単位で見ると、その2人は「10人中の2人」に見える。
でも、地域全体、施設群全体、学校全体、医療圏全体で見ると、その2人に似た人たちはたくさんいる。

施設単位では「例外」でも、社会全体では「一定数存在する対象」になる。ここに、新しい仕事が生まれる余地がある。

10分の8を担う現場を責めるのではなく、
10分の8から落ちる2人だけを対象にする、
別の10分の8合理性をつくる。

そうすると、見捨てないことと、現場を守ることが両立しはじめる。



「誰も取り残さない」は、全員を同じ場所で救うことではない

言葉の解釈を変えること。

誰も取り残さないとは、すべての現場が10分の10を目指すことではない。
すべての人に、同じ場所で、同じ人が、同じやり方で向き合うことでもない。

むしろ、それは現場への暴力になることがある。

本当に誰も取り残さないためには、落ちる人が出ることを前提に、次の受け皿を設計する必要がある。

  • 学校で合わない子がいたら、学校の先生だけに抱えさせるのではなく、教室外の学び方や第三者の伴走が必要になる。

  • 職場で標準的なマネジメントに合わない人がいたら、上司の努力不足にするのではなく、別の役割設計や働き方のレイヤーが必要になる。

  • 介護施設で馴染めない人がいたら、介護士の優しさに頼るのではなく、施設合流支援という仕事が必要になる。

10分の8を目指す現場がある。
そこから落ちる2人を拾う別レイヤーがある。
その別レイヤーでもまた、10分の8を目指す。
さらにそこから落ちる人に対して、また別の支援がある。

そうやって、分母を移し替えながら、合理性の円を描き直していく。

これが「誰も取り残さない」の現実的な設計なのだと思う。



美しい概念を、奇跡にしない

「素直さ」や「優しさ」や「対話」や「居場所」という言葉にも、同じ問題がある。

それらを美しい奇跡として扱いすぎると、再現できなくなる。
「素直な人は素晴らしい」
「優しい人は尊い」
「対話は大事だ」
「居場所が必要だ」

でも、本当に大事なら、それを神聖視するだけでは足りない。

  • 素直さは、どんな条件で失われるのか。

  • 優しさは、どんな環境で持続可能になるのか。

  • 対話は、誰と誰のあいだでは成立しづらいのか。

  • 居場所に合流できない人には、どんな支援が必要なのか。

それを観測し、分解し、再現可能な形にしなければならない。

概念のファンでいるだけでは、その概念を社会に実装することはできない。必要なのは、美しい概念を、運用できる構造に落とすことだ。

誰も取り残さないとは、全員を同じ網で捕まえることではない。
網目から落ちる人がいることを前提に、その下に別の網を張ること。
そして、その網を支える人たちも壊れないようにすること。



優しさを持続可能にするために

本当に優しい社会は、優しい人に無限の負担をかける社会ではない。

「誰も取り残さない」という言葉を、本当に信じたいなら、
まずは「現場だけでは取り残される人が出る」という現実を認める必要がある。

そのうえで、

  • 取り残される人を出した現場を責めるのではなく、

  • 取り残される人が出る構造を見つけ、

  • その人たちのための別の分母をつくり、

  • そこに新しい職能と技術と関係性を設計する。

10分の8は、諦めではなく既に優秀な限界の可能性がある。

誰も取り残さない社会に必要なのは、10分の10を叫ぶことではない。
10分の8の現場を守り、そこから落ちる2人のために、次の10分の8をつくり続けること。

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