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読んだ | 2025.04 | 4冊

春の嵐と心の嵐。
バタバタしていてあまり本を触っていなかった記憶。


■ 共通点マップ

だいじょうぶ

今夜はジビエ / 小川糸
アワヨンベは大丈夫 / 伊藤亜和
湯気を食べる / くどうれいん

だいじょばない

春のこわいもの / 川上未映子


1. 今夜はジビエ / 小川糸

山小屋での小川さんと、犬のゆりねとの暮らしを綴ったエッセイ。
やさしさに満ちた日々。
わたしも穏やかに暮らしたい(切実)。

選挙で一票を投じ、自分の理想とする政党が与党となり、社会が変わる、というのを夢見ていたら、きっと命は尽きるだろう。というのが、最近の正直な気持ちだったりする。だったら、なるべく有効にお金を使ってもらえるように、自分で使い道を選んで、寄付をしたほうが気分がいい。

「今夜はジビエ」小川糸
P.233

血税なのだから、一円だって無駄にせず、有効に使ってほしい。あなたに差し上げたわけではなく、あなたに託して預けただけだということを忘れないでいてほしい。

「今夜はジビエ」小川糸
P.236

政治に関してのこのことばが響きすぎたよ。
おっしゃるとおりで、あなたたちに託しているだけなのだよ。


2. 春のこわいもの / 川上未映子

コロナ禍でのうっすらとした不安。
そうじゃなくたって不安なのに「これ以上不安を煽らないでくれぇ」という短編集。終始ぞわぞわが止まらない。

っていうか、そもそも、自分の顔って、考えてみたらやばくない?自分で自分の顔って、そのまま直で見たことない。みんなが見てるのは、人の顔だ。自分の顔は、誰かがいるから存在するのだ。

「春のこわいもの」川上未映子
P.63

実はこれ、内田百閒も言っている。

顔と云うものは、もともと自分の所有には相違ないけれども、背中と同じく、自分で見ることは出来ないものである。是非見ようとするには、鏡の如き装置を要する。本来は自分で見るものではなくて、他人に見せる目印なのである。そのために、顔はいつでも相手の方に向いているのである。

「百鬼園随筆」内田百閒
P.35

でもほんとうにそうなのよ。
百閒の言う通り「他人に見せる目印」であり、川上さんが書く「誰かがいるから存在する」顔。自分についているのに自分で見られないのってヤバい。なんのために顔はついているの…。


3. アワヨンベは大丈夫 / 伊藤亜和

人との会話を練習するためにバニーガールになっちゃう亜和ちゃん。
健気で真っ直ぐなんだと思う。あと「陰キャ」ということばも似合うんだな。陰湿なそれじゃなくて、現代っぽい感じの。

そんな彼女の家族のはなしと、思うところがまとめられたエッセイ。

轍のない道を進むのは心地よくもあるが、拠り所のない不安もある。

「アワヨンベは大丈夫」伊藤亜和
P.88

趣味でオフロードバイクで遊ぶことのあったわたし、激しく頷く。
道なき道というか、これ本当にバイクで来ていいところなんですかっていうところにバイクで行くんだけど、まさにこの気持ちと一緒。

人生のオフロードも不安が大きくなるよね、だからといっていつも誰かに先を歩いてもらうわけにもいかないし。


4. 湯気を食べる / くどうれいん

食に関するエッセイの名手、くどうれいん。
あと彼女はキッチンのことを「厨(くりや)」というのが好き。
土間の厨が欲しい人生だった。

黄色い花をたくさん食べるなんて、妖しいばけものみたいでちょっとかっこいいじゃない、と菊を食べるたびに思う。

「湯気を食べる」くどうれいん
P.108

菊の花のお浸し、わたしの祖母が作ってくれた思い出があって「うわあああああ」となりながら読んだ。お浸し食べたい。作る最中も花をどんどんもぎっていくんだけど、その光景も含めていい。

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