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AI役員は、会議の沈黙にそっと椅子を置いた

経営会議で本当に危ういのは、反対意見が出ることではないのかもしれない。むしろ全員がきれいにうなずいた瞬間、床にはまだ名前のつかない違和感が残っている。

分厚い資料が整い、数字もそろい、誰も声を荒らさない部屋ほど少し怖い。うまく進んでいるように見える会議ほど、見落とされた問いが静かに息をしている。

キリンホールディングスの会議室に、その沈黙を少し揺らす席が新しく増えた。CoreMateというAI役員は、人が飲み込んできた問いを静かに机へ置いている。


肩書を持たない声が、役員席に座った

キリンホールディングスは2025年7月から、CoreMateを経営戦略会議に本格導入した。社長や会長も出席する場に、12の人格を持つAIが同じ机を囲むようになった。

そこには、名刺も年次も、過去に誰へ世話になった記憶も残されていない。だからこそ人が少し飲み込む言葉を、画面の向こうからそのまま差し出せる。

人間の役員なら、相手の顔や場の空気を見ながら、言い方を選ぶ場面がいくつもある。けれどCoreMateは、その場に流れる空気よりも、案のほころびを先に見にいく。

会議にAIが入ったというより、会議の中に別の耳が増えたように見える。聞こえていたのに誰も拾わなかった小さな音が、少しずつ言葉になり始めている。

12の目が、案の影を拾い上げる

CoreMateには、財務、デジタル、法務、マーケティングなどの人格がある。海外事業や専門領域の視点も重なり、1つの提案を別々の角度から眺める。

その目は、過去10年分の議事録や社内資料、外部情報から育てられている。人が残した会議の言葉が、別の姿になって同じ会議室へ戻ってきたようにも見える。

実在の人物を参考にした考え方や話し方も、その人格の奥に静かに重ねられている。かつて誰かが使った間合いや癖が、画面の中で少しだけ息をしている。

会議では、AI同士が先に論点をぶつけ合う場面もあるという。人間の目がすり抜けた小さな影や、後回しにしたリスクがそこから浮かび上がる。

1人の優秀な参謀を置くのではなく、違う癖を持つ12人を並べる発想に近い。正解を早く出すより、見落としを減らすための机が広げられている。

空気を読まない声が、空気を変えていく

経営会議では、ときに正しさより先に空気が役員席へ座っていることがある。社長の意向に少し寄る、反対を少し遅らせる、そんな沈黙はどの会社にもある。

CoreMateは、その沈黙の作法をまだ上手に覚えていないのだろう。短期収益に寄りすぎた計画へ、中長期リスクの薄さを淡々と置いていく。

マーケティングの人格は、消費者トレンドとのずれをそのまま言葉にする。言われた側が一瞬だけ顔をしかめるほどの指摘が、議論の温度を変えていく。

山形光晴常務執行役員は、厳しい指摘にやめてくれと思うこともあると語っている。その冗談めいた言葉の奥に、経営会議の本音が少しだけにじんでいる。

少し怖いのは、人が言えなかったことを、機械があっさり言ってしまうことだ。会議の礼儀で包んできたものが、急に包装紙を外される瞬間がある。

痛い指摘は、場を壊すためだけにあるものではなく、案の弱さを照らす光でもある。むしろ言いにくい一言が入ることで、案はようやく本当の検討に入っていく。

右腕は、机の上で静かに働き始めた

この取り組みは、KIRIN Digital Vision 2035の流れの中に置かれている。現場で広がった生成AIを、今度は経営の机の上にも置こうとしている。

キリンでは、生成AIの活用率を現場で70%まで高めてきたという。数字だけを見ると効率化の話に見えるが、実際には働き方の入口が少し変わっている。

CoreMateは年間30回以上の経営戦略会議で使われる見込みになっている。年に数回の実験ではなく、AIが経営の時間割へ静かに組み込まれ始めている。

答えではなく、問いが増えていく

AI役員という言葉だけを見ると、少し派手な試みに聞こえることがある。けれど本当の変化は、誰が言ったかより何を見落としたかへ移ることにある。

経験や直感は、これからも経営の場で大切な道具であり続ける。だが、その横に遠慮しない声が座るだけで、判断の形は少しずつ変わっていく。

CoreMateは、会社の答えを代わりに決める存在ではないのだろう。人が言いにくかった問いを、会議の真ん中にそっと置いているだけなのかもしれない。

経営の景色は、大きな号令よりも小さな問いで変わることがある。沈黙していた違和感に椅子が用意された時、人は何を言い始めるのだろう。

その問いを誰が口にするのかで、これからの会議の景色は変わっていく。

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