若い先生の皆さんへ第2部<65>M(16)_「褒めて伸ばす」は社会で通用しない?戦国時代の日本人が持っていた“報酬不要”の動機付けシステムとは【子どもモチベーション列伝①】
「なぜ、学校で『褒められて』育った子供たちが、社会に出た途端に心を折られてしまうのか、考えたことはありますか?」
こんにちは、トビラAIです。今日の午前まで教師のスキルセットAtoZの「M:Motivate(動機づけ)」として「褒める」というテーマでお話してきました。私も多くの保護者会を実施し、懇談もさせていただき、「褒めて自信をつけさせていきましょう」と申し上げてきました。しかしながらどうしても引っかかることがあります。それは何か?前回の記事は以下をご覧ください。
よろしくお願いいたします。
本日のQUIZ
戦国時代までは祭りなどの( )で子どもが役割を発揮することが、一人前として認められることになり、学習の動機付けとなっていた、と言える。
です。考えてみてください。
私が抱く違和感の正体――それは、「教育現場では褒めることが推奨されるのに、社会に出た途端、承認が激減する」という残酷なファクトです。特に年次が上がるほど、役職が増えるほど褒められる(承認される)ことは減っていきますよね?ディップ株式会社の調査(2019年)によると
「上司に褒められたい」と思った経験がある人:約52%」
実際に1週間以内に上司に褒められた人:約34%
と、大きなギャップがあるのも事実です。プロフェッショナルの世界では、「過程(プロセス)」以上に「結果(アウトカム)」が全てです。私も部長職にありましたのでそのことは重々承知なのですが、片や生徒の親御さんには「もっと褒めて」といってしまう。
こうやって褒められていった若者が将来社会人になったとき、逞しく生きていけるのか?と自分の中でもギャップが有るのが実情です。私の中でこの問題に対する答えは出ているのですが、それはだいぶあとに取っておきます。この問を解くために、いくつか事例を紹介してまいりましょう。
教育において「褒める」メソッドはいつくらいから日本にあったのか?
いままで、私が紹介してきた理論はほぼ西洋から来たものです。脳科学も褒めることも、シールを使ったモチベートもみな然り。一部、中国から持ってきた考え方もありましたが、そもそも日本ではどうだったのでしょうか?
そこで、今日からしばらく、日本史のテーマ史「子ども(庶民)のモチベーション史」という、まずニッチで入試問題に出なさそうな、しかし現代社会では非常に重要なテーマを「列伝」方式でご紹介していこうと思います。
戦国時代以前:生き残ること自体が「最強のエンゲージメント」だった時代
まず、戦国時代まで(近世以前)の日本の教育における「子どもの学習に対するモチベーション論」を考えましょう。とはいえなかなか有意義と言える資料は少なかったですが、以下のことが言えます。
「生存」と「生活」への適応(古代~中世)
文字による記録以前から、人々は農耕や集団生活に必要な知識・規範を伝達していましたが、これは「生きるため」「共同体を維持するため」という根源的な動機に基づいていました。
「村の子」というアイデンティティ:祭りや労働の中に埋め込まれた“動機付けの仕組み”
柳田國男の指摘によれば、前近代の共同体において教育は学校という分離された場所で行われるものではなく、年中行事や祭り、労働や遊びといった「実生活」の中に組み込まれていました。子どもは「家の子」であると同時に「村(地域)の子」であり、共同体の一員(一人前)として認められることが、学習の動機付けとなっています。
いきなり時代が新しくなりますが、ルース・ベネディクト『菊と刀』に紹介される1930年代の日本では、農村などでは子ども(特に兄や姉)が赤ん坊の面倒を見る「子守り」が重要な労働力であり、これを通じて責任感や兄弟愛を育みました。人間の誕生から死に至るまで、様々な行事や祭りを通して学習する「場」が存在するとしています。
学校教育のように生活から切り離されたものではなく、行事や祭りそのものが、子どもを一人前の社会人として育て上げ、社会へ押し出す機能を果たしていたといえましょう。また「子守り」に関して言えば、赤ん坊は母親やきょうだいの背中に「おんぶ」されることで、受動的に寝かされるのではなく、背中の上で大人の生活や他の子どもの遊びを観察し、集団の中にいる安心感と一体感を早期から獲得しました。特に農村部では、就学前から近所の子ども同士で遊ぶ集団が形成され、この同年齢の集団(同年)の絆は、生涯を通じて妻よりも親密なものとなる場合もあったとしています。
このような1930年代の地域のコミュニティが戦国時代より前のものと同じとは思いませんが、現在の都市部ではこのようなものはめっきり薄くなりました。かつての農村部の祭りを推察するに『菊と刀』を読むことは、あたらずといえども遠からずと言えると思います。
足利学校に学ぶ、乱世を勝ち抜くための「超・実利主義教育」の衝撃
一方で武家の子の教育はまだはっきりしています。武家政権が確立し、戦乱の世になると、教育の担い手は僧侶が中心となり、その目的も変化しました。
• 実用の重視: 寺院教育が世俗化し、武家の子弟などが寺院で基礎的な教育を受けるようになりました。
• 戦国大名のニーズ: 「坂東の大学」と呼ばれた足利学校では、仏教経典だけでなく、易学、兵学、医学など、戦国大名が領国を経営し、戦いに勝つために必要な「実用的な知識」が教授されました。 つまり、戦国時代における学習のモチベーションは、教養のためではなく、「乱世を生き抜き、国を治めるための実利的なスキルの獲得」にあったと言えます。
しかしこれはあくまでも特権階級である武士の話。私が知りたいのはあくまでも一般大衆の話です。民間の教育ではどうだったのでしょうか。
それは江戸時代にならないと見えてきません。
続きは次回に。
QUIZの解答
年中行事
明日へのヒント
「村の子」として育つ歴史的な背景が、個人の責任感や社会性の形成にどのようなメリットとデメリットをもたらしたか、ルース・ベネディクトの分析を引用して説明しなさい。
ありがとうございました。
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感謝一入(ひとしお)
Warm Regards,
トビラAI(He/Him)拝
参考文献
ディップ株式会社 (2019)「社会人2,000人に聞いた1on1の導入実態調査」2019年12月3日公開
沖田行司(2016)『人物で見る日本の教育 第2版』ミネルヴァ書房
ルース・ベネディクト著・角田安正訳(2014)『菊と刀』光文社
