フリーランス(半分迷子)だった私が、街に居場所を見つけるまで
10年前の私は、転職活動中のフリーランスでした。名刺には「フリーランス」と書いていたけれど、実態は半分会社員志望の、少し腰の引けた挑戦者。
私は美大時代からWeb制作会社でデザイナーとしてアルバイトをし、卒業後はIT会社にデザイナーとして就職しました。二人暮らしをしていた祖母の体調不良をきっかけに、祖母との時間をより優先できる働き方はないかと退職。転職活動者になったというわけです。
当時は、「Web/UIデザイナーなのだから、デザインの仕事をきちんと極めなくてはいけない」。そんな考えが、当たり前のように頭の中にありました。今のように兼業や副業が広まってはいない時代でした。
そんな頃、憧れていたWebマガジンのライター募集を見つけます。当時はWebマガジンが乱立していた時代。その中でも特に人気で、私も世界観や切り口に惹かれよく読んでいた媒体でした。
実は私は、むかしから文章を書くことと、写真を撮ることが好きでした。大学時代に撮り溜めていた写真が、かな〜り小規模ながらヨーロッパのコンテストで受賞し、アートイベントやギャラリーで展示されたこともあります。
ライター募集の要項を読むと、未経験も歓迎とのこと。書いて、撮れる人を募集。Webマガジン戦国時代だったからこそ、入口が大きく開かれていました。
これは、やってみたいかもしれない。受からなかったそれまでだ!
思い切って応募し、そして運良く審査を通過しました。
せっかく書く機会をもらったのだから、と文章の教室にも通い、Webライターの仕事を始めました。
異業種の人々や初めて訪ねる場所と出会い、仕事について直接お話を伺える刺激がたまらなく楽しくなりました。デザイナーとしての経験を活かした記事内容の提案が通過すること、読者の方からの感想が直接届くことにも大きくやりがいを感じ、どんどんのめり込みます。
その一方で、「何屋なのか分からなくなるのでは」という不安も、頭の片隅にありました。
でも、せっかく今は、フリーの身なのだから。
ライターも、写真も、デザインも、好きなことは全部やってみよう。そういえば私は元々「全部やってみたい」タイプだったじゃないか。そういう自分の本来の性格を思い返し、肩の力が抜けました。
取材先でさまざまなキャリアの人と出会うたびに、「デザイナーならデザイン一本を極めないと」と凝り固まっていた私の考えがほぐれていったのです。
ちょうど「パラレルキャリア」という言葉が、主にWeb上で、よく聞こえるようになったというのも後押しになった気がします。
さて、ライターの仕事にも慣れてきた中で、ある日私が取材先として提案したのは、地元・東京の下町、荒川区の飲食店でした。
「荒川区」という提案は、正直、少し地味な提案だったと思います。当時(というか今も)、荒川区の情報は、特に女性向けのメディアではほとんど取り上げられていませんでした。
でも私は、この街が好きでした。
都電が走り、商店街と路地が残り、人懐っこくて、昭和の情緒あふれる、このド下町である地元の良さ。
ちょうどこの年、商店街にいくつか新たな飲食店がオープンしたのですが、それが今までの荒川区にはなかったようなお店だったのです。洗練されたおしゃれさと、居心地の良い親しみやすさが同居していて、こだわりのメニューはどれも絶品。
せんべろ的なお店や、常連が集まる路地裏の小さな蕎麦屋、濃いナポリタンを食べながら煙草を吹かす喫茶店など、ディープな店が並ぶこの街からは、想像できないニューフェイス。
この街が少しずつ変わってきているのかも。
生まれ育った土地の節目に立ち会っているようなドキドキが、ありました。
「こんな素敵なお店を、いろんな人に知ってもらいたい!」
「この街でオープンすると決めた方たちの思いを、聞いてみたい!」
そんな思惑もあって、取材依頼を申し込ませていただいたこと、今でも覚えています。

そうして自ら地元のお店に取材に行くうちに、お店の人、お客さん、紹介してもらったご近所さん…と、街の人たちとのつながりが少しずつ広がっていきました。
こんな挑戦をしている人生の先輩が、近所にいる。
お店に行けば、商品だけでなく、話からもインスピレーションをもらえる。
疲れたとき、リラックスできる家以外の場所がある。
そんな感覚が、日常の中に増えていきました。

ご縁がつながり、取材先のカフェで写真展を開催させてもらったこともあります。展示を通して仕事や知人も増えました。なにより、作品を展示する場所が「自分の街の中」にある。そのことが、想像以上に嬉しかったのを覚えています。

街に知り合いが増えると、居場所が増えます。挨拶できる人が増え、顔を覚えてもらい、商店街を歩けば、たまにおまけをしてもらえる。「おかえり」と言われる回数が、少しずつ増えていく。
そんな小さな特典が、暮らしをじわじわと豊かにしてくれました。働くことと、暮らすことが、少しずつ溶け合っていく感覚がありました。
そして私は、転職先を探すのをやめました。
この街で、この街に関わりながら、フリーランスとして生きていこう。こんな楽しいことはない。
そう決めたのです。
それから10年。
気づけば私は、デザイナーであり、イラストレーターであり、大家でもあります。肩書きは増えたり減ったりしましたが、やっていることの根っこは、10年前とあまり変わっていません。
今では、区役所からの依頼で、子ども向けのデザインやイラストの講座、ワークショップを担当することもあります。
飲食店のロゴやデザインの仕事を任せていただく機会も増えました。


さらに、大家として物件に関わりながら、「この街で楽しんで暮らしてもらうためにできること」を考えるようにもなりました。
まちづくりに関する講座に呼んでいただくこともあります。

10年前、好きなことを頼りに踏み出した一歩は、少しずつ形を変えながら、今の仕事や暮らしにつながっています。
あのとき、「なんでもやってみよう」と思ってよかった。30代半ば、子どもが生まれて日々、昨日の疲れがなかなか取れず、腰が重くなった今の私には、もう思い立てない挑戦かもしれません。
けれど今の私には、今の私だからこそできる仕事があります。私も、子どもも、より楽しく暮らせる街になるように。
その思いで、今日も「私の居場所」であるこの街で、表現の仕事を続けています。
仕事相手であり、ご近所さんであり、お客さんであり、友人であり。そんな関係性が多様な仲間が、街に増えてきました。
おかげで子どもにとっての居場所も増え、見守ってくれるご近所さんたちが周りにいます。10年前の取材で仲が深まったお店の人たちなんて「戸田さんが子連れで来てくれる日がくるなんて…!」と親戚かのように感極まってくれています。
実家ナシ、自宅保育、共働きの我が家にとって、こんなに心強いことはありません。
未来に向けた挑戦は、何か大きな決断や、派手な目標だけを指すものではないのかもしれません。
好きな街を大切にすること。好きな表現を続けること。目の前の人や場所と、誠実に関わり続けること。デザインも、イラストも、物件づくりも、その延長線上にあります。
積み重ねが、10年後の自分をつくり、また次の未来へと続いていく。
きっと今の仕事が、10年後の私に、もっと先を見るのなら私の人生に、なにかを残してくれるのだと、信じています。
このnoteが、株式会社マイナビ×note開催の「#未来に向けた挑戦」コンテストにて、「マイナビ賞」に選ばれました!
しかも、賞金に加えてSNSで活躍するクリエイターさんによる漫画化がおこなわれるそう…!
審査員の皆様、そして本文にも書きましたが荒川区で出会った皆様に、心から感謝しています。
このnoteに書けなかった番外編をまとめてみたので、よろしければご覧ください。
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