星野源ライブに初参加した感想
泣いた、大号泣で。
すみません。先走って結論だけ先に言ってしまいました。
タイトルにある通り星野源のライブに初参加してきました。
5/16(金)愛知県国際展示場で開催された星野源のライブ「MAD HOPE」です。
星野源を初めて聞いたのは2013年にリリースされた「ギャグ」だったので、そこから数えると約12年越しの念願叶ってのライブ参加ということになります。
2022年に大学を卒業するまではライブへ参加できるほどお金に余裕がなかったので、バイト代でCDを買って音楽を楽しんだり、ファンの友人からライブDVDを借りたりして精一杯応援していました。(2019年「POPVIRUS」から星野源の全楽曲のストリーミング配信が開始したことは金銭面で余裕がない自分に取っては大変ありがたく、喜ばしいことでした。)
大学を卒業して仕事に就き、お金を稼ぐようになったことで学生時代とは比べ物にならない最布(最強の財布の略)を遂に手に入れた私は、YELLOW MAGAZINE+(星野源のメンバーシップサイト)に入会し、晴れてライブ参加に至った訳です。
下の写真は開場前にライブ会場にあったオブジェの前で記念撮影した写真です。楽しそうですね、大変浮かれています。

浮かれすぎて写真を撮るのをすっかり忘れ、会場で取った写真がこれしかありません。
でもいいんです、楽しかったので。
今回のMAD HOPE、私のように念願叶っての初ライブ参加だったという方はたくさんいらっしゃったのではないかと思います。なにせ、ライブの開催は約6年ぶり。多くの人にとって待望のライブだったと思います。
隣の席になったお兄さんも私と同じく初参加の方でした。
開演前にお話しをしてみると、お互い初参加であること、一人での参加であること、大阪に住んでいること(私もほんの2ヵ月前まで大阪に住んでいました)、当然ながら星野源が好きであることなどいくつか共通項があり、話に花が咲きました。
このとき私はライブ参加の緊張から背中の筋が攣ってしまい、ずっとストレッチをしながらお話していました。ほんとうにすみませんでした。
お兄さん、私、小さい頃は遠足前にテンションが上がってお腹痛くなっちゃうタイプの子供だったんです、ほんとなんです。
ストレッチを気にも止めず(本当は気になっていたのかもしれませんがそんなことはおくびにも出さず)色々お話してくれてありがとうございました。
そんな優しいお兄さんは去年のサマソニで星野源の音楽に惹かれ、今回ライブ参加に至ったとのことでした。ステージの最前区画の座席ということもあり、お互い初参加でこんなにいい席になって幸運でしたね、とお互い喜びを分かち合いました。
さて、照明が暗くなり、いよいよ開演です。
約9000人が息を飲み、広い会場にひっそりとした静寂が訪れます。
その静寂とは裏腹に心の内では溢れるほどの期待と熱狂を抱えていました。私だけではありません、あの会場にいた誰もがそうだったでしょう。
ここからはMAD HOPEのネタバレを含みます。
問題ないよ、という方のみご覧ください。
特に、ライブ参加はこれからだよという方の閲覧は参加後まで控えていただくことを推奨します。
ご自身の耳で、目で、心で感じ取ることが一番です。体験に勝るものは無い、と心から思っています。大号泣した私が言うのです、保証します。
※以下MAD HOPEのネタバレを含みます。
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
*
ここからのMAD HOPEの感想は私個人の感想になります。
会話劇、悲観的なスタート
暗転した会場で会話劇が始まります。ヒト、カッパ、サルの3人の会話劇です。聞いていくと3人は天竺を目指す旅をしており、この会話劇はその道中に展開されているものだと分かります。
面白おかしい会話が繰り広げられる中で、ヒトがふと哲学的な発言をします。
今生きるこの世界がまさに『地獄』であること
『意味があること』と、『幸福であること』は結びつくものではないこと
幸福であることは、『音楽』と似ていること
非常に星野源らしい思想です。
そして、とてつもなく残酷な真実です。
私たちは、『地獄』であるこの世界に意味を求めて生きています。意味を持った人生、言い換えれば生きがいを求めています。
でも、それを追い求めることは『幸福』に結びつくものではないと言うのです。
さらに、です。『音楽』は『幸福』に似ているとすら言います。これは『音楽は意味に結びつかない』=『音楽に意味はない』と言っていることと同義です。
約9000人がこの日を待ち望み、あなたの音楽を聴きにきたのに、まさに生きがいを求めてきているのに、そのライブの冒頭で『音楽に意味はないよ』ときっぱりと言い切るのです。
なんと悲観的なスタートでしょうか。
会話劇が終了すると、けたたましいサウンドが会場に響き渡ります。1曲目は「地獄でなぜ悪い」です。
地獄でなぜ悪いを私は本気で楽しみました、ステップも踏みます、クラップも叩きます、でも、楽しみながら何でこんな悲しいことを私たちに一番最初に伝えたのだろうとぐるぐると思考しました。
そこで私は、これは星野源からの「問い」だと捉えました。
「音楽に意味はないと思うけど、君たちはどう思う?」
そんな果てしない問いの答えが、今日のライブの体験を持ってして示されていくのだと考えました。いいぜ、受けて立つぜ、星野源。
本気で音楽を楽しんでやろうじゃないの。
私はそう思いました。
あらゆる物事が音楽となった「Pop Virus」
私の心が大きく動いたのは5曲目「Pop Virus」でした。
個人的にPop Virusは大好きです、特に歌詞が好きです。
私たちの心臓の鼓動、その一拍がビートであり、その上を流れるあなたの生き方がメロディなんだ。歌って踊るだけが音楽じゃない、生きること自体が音楽なんだ、私はそういうメッセージ性をPop Virusから感じます。
Pop Virusの冒頭、しっとりした歌詞が流れ始めると会場から歓声が上がります。かく言う私も歓声を上げました。
段々と音が重層的に重なっていき、やがて1つの音楽となっていくPop Virusの冒頭の構成は、ライブで聞くと格別の美しさでした。その音の重なりの中に特徴的な「ブー」というビープ音があります。
そのビープ音が会場正面の大きなスピーカーから轟いたとき、その響きに合わせてお腹の底で地響きのような震えがありました。それは私の横隔膜がビープ音に共振した響きでした。
その震えを感じた時に自然と涙がでました。
そのとき感じたのは音楽との一体感です。
リズムにノるグルーヴ感とは違う、リズムそのものになる、としか表現しようのない一体感。
何かを奏でたいという強い意志が腹の底から湧いてくるような、音楽への力強い共鳴でした。
あのとき、あらゆる物事が音楽になっていました。
ステップを踏むことも、腕を上げることも、手を叩くことも、声を上げることも。
椅子に座って静かに首でリズムを取ることも、ステージをじっと見つめ涙を流すことも。
全てが音楽になっていました。音楽でないものなどそこにはありませんでした。あの瞬間、誰もが音楽を奏でていたのです。
それがあまりにも、あまりにも素晴らしくて、耐え切れず泣いていました。
涙で前がぐっちゃぐちゃになってステージの演出も源さんも全く(本当に全く)見えません。
だから、見たものについてはステージがキラキラで綺麗でしたという、マジでふざけてんのかという感想しか言えません。
若林さんのラップパートも号泣しながら見てました。きゃーとか楽しそうな嬉しそうな声が周りからは上がってたんですけど、なんかもうそれどころじゃなくて。若林さんの顔が画面に映った瞬間仏の顔でも拝んだんかってくらいすごい涙がでてきて大変でした。
でも、涙を流す私の鼓動すらビートを刻み、音楽を奏でていたんです。このことは誇らしくもあり、そして一生忘れられない感覚になるでしょう。
おいおい、ちょっと待ってくれ、これに『意味』がないってのかい?
こんなに私を巻き込んでおいて?
それでも『音楽に意味はない』っていうのかい?
こんな「一生忘れられない感覚」に意味がないってのかい?
いや、『音楽に意味はない』という事実があまりにも"真実"であるからこそ、あの『意味のある瞬間』が"魔法"だったんじゃないか。
そうなのか、源さん。これは魔法なのか?
お願いだ、俺にもっと教えてくれ!
泣きながら私はそう思いました。
買ったタオルは既にぐしょぐしょです。
でもいいんです、楽しかったので。
みんなを物語へ引き込む「ドラえもん」
その後、「不思議」や「恋」、弾き語りで「くせのうた」、最新アルバムGenから「Mad Hope」、「2」(超カッコよくてめっちゃ好き)などなど様々な楽曲が披露されました。バンドパフォーマンス、ライブ演出、そのどれもに引き込まれいつのまにか涙は引っ込んでいました。
次に私の心が強烈に揺さぶられたのは「ドラえもん」でした。
ここから感情の箍が外れてしまったようで、私はライブの最終曲「Eureka」(アンコールを除く)まで片時も欠かさずに泣く事になります。それはもうおいおいと泣きます。
暗転した会場で聞き覚えのある声で会話劇が始まりました。もちろん、声の主はドラえもん。
寝坊したのび太くんがどこでもドアでドラえもんのところにやってくる、君はいつもこうなんだからやれやれ、という具合でドラえもんがのび太くんを迎える。見覚えのあるお決まりの流れにクスッとくる。
どうやら2人は何かの参加に遅れていて走っているらしい、という話を聞き、ここで初めて変わったBGMだと思っていた裏のンドゥンドゥ音がドラえもんの足音だった事に気がつく。
ドラちゃんの足音って裏拍なんだね、感心しちゃったわ、私。
さて、そんなこんなしていると話は意外な展開に。
な、なんとドラえもん御一行がこのMAD HOPEに参加しているってー!
最高のサプライズですぜ、こいつぁ……。今、ドラえもんたちと同じ空間を共有しているなんて、なんて夢のある展開なんだ……!
これはすごい、と思うと同時に、私はPop Virusの「一体感」と似たような感覚がしていました。何かに強く引き込まれる引力を感じるのです。この引力は一体なんだろう、その答えは出ないまま、源さんからドラえもん達に宛てた手紙が読み上げられる展開に入ります。
手紙の中でドラえもん達への感謝の言葉と、楽曲「ドラえもん」を披露する前にみんなで「ドラえもーん」と声を上げてスタートするのはどうか、という提案がされます。
この提案を聞いた時、私は「部外者でなくなった」と思いました。
子供のころからずっとドラえもんを見てきました。保育園では、ねじ巻き都市冒険記と鉄人兵団と日本誕生をテレビに穴が空くほど食い入るように見ていました。アニメも毎週楽しみにして欠かさず見ていました。
もちろん大人になってからもドラえもんは傍にいました。2025年ドラえもん映画シリーズはなんと45周年を迎え、そのアニバーサリーを記念して歴代のドラえもん映画の投票企画がありました。上位作品は映画館で再上映されるという夢の企画に合わせて、声優が変わったいわゆる新ドラから映画を見直し、新魔界大冒険の面白さに感動し、魂の一票を投じました。
ずっとドラえもんが大好きでした。でも彼らはずっと、画面の向こう側の存在でした。
でも今は違う、私たちはもうすでに「ドラえもん」の物語に引き込まれていました。私が感じていたのは「物語」の引力だったのです。
私をこれまで楽しませ、笑わせてきてくれた作品の中に私がいる。内側にあった大切な感情がそっくりそのまま青い色で現れたような嬉しさ。
額に滲む汗が、傾聴する鼓膜が、握るタオルの感触が、会場いっぱいに広がる皆の熱狂が、あの夢のように朗らかなすこし不思議な(SF)世界で物語られている。
源さんの提案に名案だねと賛成するのび太、大声なら任せておけと豪語するジャイアン、素敵だわと喜ぶしずかちゃん、そのやり取りのなかに私たちもいるのだ。画面の向こう側だった彼らの会話は、今、ステージを見上げる私たちと同じ目線の高さにある。
そのことに気が付いて、嬉しくなってまた泣きました。
ブラウン管テレビの前に座るあの頃の小さな背中に声をかけたくなったんです。お前さ、大人になっても「ドラえもーん」って呼べるよって。
「ドラえもーーーーーーーん!!!!」
26歳男、本気のドラえもーんを叫ぶ。
それはそれはもう一番の大声で。え?恥ずかしい?
お馬鹿なこと言いなさんな、こちとら、すこし不思議な世界の住人なんですよ。
会場の誰もが本気だった。みんなの「ドラえもーん」が会場を揺らした。
でもドラえもんがこう言ったんだ、まだまだいけるでしょってね。
いけますよ、いったりますよ。
聴かせたりますよ。
子供の時から好きなんですから、大声で呼べますよそりゃ。
任せてください、大人なんだから。
ドラえもん達が息をあわせてかけ声をかけます、せーのっ。
「ドラえもぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーんんんん!!!!!!!!!!!!」
26歳男、本気の本気のドラえもーんである。
ここから「ドラえもん」のイントロが始まり、会場の、いや「物語」の展開は最高潮を迎える。楽曲にはスネ夫が自慢するときのあのBGMのアレンジが入っていて、ライブの盛り上がりはさらに大きくなりました。
最高のアレンジでした。スネ夫、お前はずっと自慢しててくれ。
あとのことは泣きすぎて記憶が鮮明ではないです。涙がとめどなく流れ、しゃくり上げていました。涙を拭いたそばから流れていました。
泣いている原因は、心から楽しいと思ったから。
なんて幸福な時間なんだと思いながら手拍子をしていました。
おいおい、『幸福』って思ってるじゃねえか。
それも最高に楽しい夢みたいな『幸福』。
ああ、そうかただ楽しいってこういうことなのか。
向こう側にあった世界がこっち側に来て、大切な思い出が形になって、熱狂が音楽となって、それって『幸福』だけど何か産み出すわけじゃない。つまり、生産的じゃない。今っぽく言えば「コスパ・タイパが悪い」。
2倍速で映画を見るほど時間に忙しい時代に、時間のことなんてすっかり忘れて、手を叩いて、声を上げて、ただ楽しいって思えるのはとてもいいことだと思う。"夢"を見るって時間の外側にあるのかもしれない。
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら私はそう思いました。
買ったタオルは新品だった影もなく、ぐしょぐしょです。
でもいいんです、楽しかったので。
手探りな迷いに寄り添う「Eureka」
長くて、そしてずっと泣いている本感想にお付き合いいただきありがとうございます。こちらが最後の章になります。もう少しだけお付き合いください。
あっという間の2時間半、楽しいライブも名残惜しいですが終わりが近づいてきました。ライブ冒頭の会話劇を見て、私はこのような感想を持ちました。
「音楽に意味はないと思うけど、君たちはどう思う?」
そんな果てしない問いの答えが、今日のライブの体験を持ってして示されていくのだと考えました。
このライブの最後の締めくくり方がどうであるかが冒頭の会話劇の問いの答えになります。悲劇的なのか、喜劇的なのか、そんな最後の分岐点を担う楽曲は「Eureka」でした。
ライブの中で「自分の生き写しのようなアルバム」と源さん本人が語っていた最新アルバムGenを締めくくる楽曲もEurekaでした。それは意図してのことでしょう。
Eurekaの「音楽に意味はあるのか」という問いへの答えは意外なものでした。
「わからない」
私はそのように受け取りました。正直で真っ直ぐな答えにたじろいでしまいそうです。
Eurekaはそのタイトルの言葉の意味とは裏腹に、歌詞は「わからない」ことが主軸にあります。
エウレカ(古代ギリシア語: εὕρηκα、英語: Eureka)はギリシャ語に由来する感嘆詞で、何かを発見・発明したことを喜ぶときに使われる。古代ギリシアの数学者・発明者であるアルキメデスが叫んだとされる言葉である。
分からない中で手探りをしていこう、それを積み重ねていこうよ、Eurekaはそういうことを伝えたい楽曲だと私は思っていました。
でも、ライブでこの曲を聞いて少しだけ考え方が変わりました。
分からない中で手探りをしていこう、それを積み重ねていこう、誰もあなたを置いて行かないよ、そう伝えたい楽曲ではないかと思ったんです。
MAD HOPEというライブは、あるいはGenというアルバムは、『音楽に意味はない』という悲しい事実に対する星野源自身の真摯な模索だと思いました。悲しい事実から目を背けるでもなく、なかったことにするでもなく、真っすぐと見据える。辛抱強い覚悟が必要な営みだと思います。
その模索の最後に「わからない」と言ってくれることが、一体どれほど心強いでしょうか。
一寸先の闇の未来、そのさきにあるかもわからない意味を必死に探しているのが私一人ではなかったと知ることが、どれほどの安心感を与えるでしょうか。
音楽の「一体感」、「物語」への引き込み、この空間で誰一人として置いて行かずに連れていった彼だからこそ、手探りな迷いに寄り添う歌が歌えるのだと思っています。
彼がナイフのように冷たく鋭い真実を突き付けるのは、それに立ち向かうためにどれほどの勇気が必要なのか誰よりも知っているから。
そして、彼が音楽を作るのは、希望のない悲しい真実に立ち向かう無謀な希望(MAD HOPE)こそが『音楽』であり同時に『人』であると誰よりも信じているから。
だと、私は思っています。
また会いましょう
ライブが終わり、隣の席のお兄さんとライブ楽しかったですねと話しました。お兄さんは別公演の注釈付き座席(演出が見えずらいなどの問題がある座席)も狙っているそうです。またいけるといいですね、と言いました。
すると、お兄さんがまたどこかのライブで会いましょう、と言いました。
お兄さんの名前も知りません、連絡先も交換していません、会える確証なんてどこにもありません。でも、心から、また会いましょうとお返事をしました。
ライブの最後、源さんも同じことを言っていました。またどこかで会いましょう。
会えるのがこれで最後だなんて誰一人思っていないのに、この中に本当にこれが最後になってしまう人が確実にいる。
それが他でもない自分になってしまう可能性があるのに、心から、また会いましょうと言い合える。
これを希望と呼ばずしてなんと呼びましょうか。私はこれを希望と呼ぶ以外に知りません。
会場を去るとき寂しさを感じなかったといえば嘘になります。
楽しかったな、終わってしまって寂しいなと思いました。
でもいいんです、本当に、心から、楽しかったので。
そしてまた、お会いしましょう。
追記1
ライブの参加者数をアモト調べで「6000人」と記載していましたが、報道で「9000人」と紹介されていたとの情報を受け、記載内容を修正しました。9000人もいたんですね、ますますすごい。
たろのあんこさん教えていただきありがとうございました。
追記2
埼玉公演へ参加した感想記事を書きました。改めて見たことで新たな発見もありました。ぜひご一読ください。
余談1 任天堂万歳
ライブの中で披露された「創造」は、アルバムGenバージョンでしたね。
キノコを取ったときの音や、コインを取ったときの音、を聞くと自分のゲーム人生を総括しているみたいで嬉しくなります。(ライブ中は号泣しながら聞きました。)
初めて買ってもらったゲーム機はDSでした。白いピカピカのやつです。
そこからずっと任天堂のゲームで遊んできました。特にポケモンとマリオは今でも続くライフワークと言っても過言ではないです。任天堂万歳。
そんな任天堂の旧本社社屋を改装して建設された「丸福樓」というホテルが京都五条にあります。ここ、めっちゃいいのでぜひ行ってみてください。
宿泊するのはちょっと難しい(人気的にも予算的にも……)のですが、ホテル内の見学と併設されたレストランでのお食事、さらに館内バーでのドリンクがセットになったプランは手が届く価格で楽しむことができます。館内のバーがね、へへ、最高なんですよ。
ポケモンカードのミュウの石盤があったり。

クリスタルゲームボーイがあったり。

深海から引き揚げられたっぽいSwitchがあったり。

色々見れて楽しいです。機会があればぜひ行ってみてください。
余談2 ドラえもん映画史上最もワクワクする10分間
「ドラえもん」について語る中で、新魔界大冒険(正式には、のび太の新魔界大冒険〜7人の魔法使い〜)が本当に面白いという話をちらりとしました。
声優が変わったいわゆる新ドラから映画を見はじめ、新魔界大冒険の面白さに感動し、魂の一票を投じました。
個人的にですが、新魔界大冒険の冒頭10分間はドラえもん映画史上最もワクワクする10分間だと思っています。
約2時間ある物語の伏線をこの10分間に全部詰め込みましたよ!!って感じで一瞬たりとも見逃せないんですよ。終始ワクワクですよ……。
気になった方はぜひ、新魔界大冒険、見てみてください。気になってなくてもぜひ見てください。
また、新魔界大冒険の面白さをたっぷり合計2時間友人と語りあったPodcastもございますので、興味があれば視聴してみてください。

