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記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
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星野源ライブにもう一度参加した感想

また、泣いた。

すみません、先走って結論から言ってしまいました。

5/30(土)さいたまスーパーアリーナで開催された星野源のライブ「MAD HOPE」に参加してきました。
このライブへの参加は実は2回目で、5/16(金)愛知県国際展示場で開催された同ライブに既に参加しています。タイトルに「もう一度」とあるのはこのためです。愛知県のライブが星野源のライブ初参加で、そのときの感想が以下からお読みいただけます。

大変嬉しいことにたくさんの方に記事読んでいただき、多くのスキ・コメントをいただきました。お読みいただいた皆様、ありがとうございました。
記事を大雑把に要約すると「号泣してタオルがびしょびしょになった」という身も蓋もない記事に予想を遥かに超える数の反応をいただき、驚きと喜びでいっぱいです。かなり自分の感覚に寄せてしたためた文章でしたが、多くの方に楽しんでもらえたと知って、書いてよかったな思っております。

そして当記事、なんとNoteの公式PR用Xアカウントでも記事を取り上げていただいておりました。そのツイートがこちらです。

嬉しい、そして、率直に恥ずかしい。
Xの140字に到底収まらない思いだったからこそ、約8800文字の文章で表現したのですが、文字数で希釈されていた恥ずかしさがぎゅぎゅっと140字に濃縮されてしまいました。ざっくり63倍濃縮です。

以下が取り上げていただいたことに気が付いたときのツイートです。

恥ずかしくておちゃらけています。褒められ慣れていないのでちょっとネタに走っていますね。
皆さんは人からよく褒められ、正直に喜べる人になってください、私を反面教師にして。

さて、閑話休題、5/30(土)さいたまスーパーアリーナの感想に戻ります。

今回のライブはリセール抽選に当選し運良く行くことができました。当初予定していなかった二度目の参加、「こんな経験もうないだろう」そう感じたライブにもう一度参加できるとなり、当選通知を受け取ったその日からずっと楽しみにしていました。

下の写真は開演前にパネルの前で記念撮影した写真です。楽しそうですね。

パネルの前で大変浮かれる私

浮かれているのでタオルが裏返って「DAM EPOH」になっています。
強風で襟がすごい翻っています。
この日風が強かったんですよね。でも、負けません。楽しみにしていたので。宮沢賢治も言っています、風ニモ負ケズ、と。
(この後「MAD HOPE」になるように再撮影していただきました。)

写真撮影を終えた私は会場へと進みます。

座席は5階の最前列、アリーナを見下ろすような席でした。会場に焚かれたスモークが眼下のアリーナにほんの少し靄をかけています。その景色は高い山から見下ろすときの霞がかった麓の景色にも似ていました。

愛知公演では最前ブロックだったこともあり、座席でまず感じたのは「舞台が近い!」という驚きでした。
一方、今回の埼玉公演で感じた驚きは「人が多い!」というです。5階席から会場を見下ろす席だからこそ感じたことでした。そして同時に、今、ここに集まっている人々全員の目的が一致している、という事実をその質量でもってして理解したのもこの瞬間でした。

さて、照明が暗くなり、いよいよ開演です。
わーっと歓声が上がり、万来の拍手が鳴り響きます。まだ、待望の人が登場していないにも関わらず、です。
一人一人の思いが込められた拍手が重なり合い、大きな一つの音となって会場に響き渡ります。この会場の誰もがこのライブを待ち望み、待ちわびている。その事実を鼓膜と、肌で感じたのでした。

ここからはMAD HOPEのネタバレを含みます。

問題ないよ、という方のみご覧ください。特に、ライブ参加はこれからだよという方の閲覧は参加後まで控えていただくことを推奨します。
ご自身の耳で、目で、心で感じ取ることが一番です。体験に勝るものは無い、と心から思っています。

また、この後に続く感想は前回のライブを受けての感想になります。もし、この記事から読み始めたという方がいらっしゃいましたら、是非前回ライブの感想記事をご一読ください。

※以下MAD HOPEのネタバレを含みます。








































ここからのMAD HOPEの感想は私個人の感想になります。

会話劇、希望と祝福の「地獄でなぜ悪い」

会場が暗転し、ヒト、カッパ、サルの会話劇が始まります。
天竺を目指す道中で繰り広げる会話の中で、ふとヒトが哲学的な発言をします。

  • 今生きるこの世界がまさに『地獄』であること

  • 意味があること』と、『幸福であること』は結びつくものではないこと

  • 幸福であることは、『音楽』と似ていること

前回のライブでこの会話劇を聞いた時、私はこのような感想を抱きます。

『音楽』は『幸福』に似ているとすら言います。これは『音楽は意味に結びつかない』=『音楽に意味はない』と言っていることと同義です。
約9000人がこの日を待ち望み、あなたの音楽を聴きにきたのに、まさに生きがいを求めてきているのに、そのライブの冒頭で『音楽に意味はないよ』ときっぱりと言い切るのです。
なんと悲観的なスタートでしょうか。

星野源ライブに初参加した感想

当時の私はあの会話劇を「悲観的」なものとして捉えていました。しかし、今回、会話劇を聞き直す機会を得たことで、当時の私がヒトが語ったある重要な一文を聞き逃してしまっていたことに気が付きました。
それがこちらです。

  • 音楽に『意味』はない、だからいいんじゃないか。

これ聞き逃してたかぁ~と思いました。
当時は「音楽に『意味』はない」の部分が衝撃的過ぎてそこで立ち止まってしまっていました。でも、星野源が本当に伝えたかったのはその先の「だからいいんじゃないか」の部分だったのです。

ここでヒトが「だからいいんじゃないか。なぜなら……」と、説明のために接続詞を接ぎ木しないのがとても心地いいと思いました。
それ以上説明する必要がないほどにそれが真実であり、例え分からなくたってその後のライブを見て、体を揺らしていればいつの間にか理解している。そんな風に、後のことが論理ではなく感覚に引き継がれたような潔さは、「ああ、ただ楽しめばいいんだ」と私の肩の荷を下ろしてくれたように思います。

今回私は、この会話劇を「希望と祝福」込めたメッセージだと捉えました。
地獄の底でタップダンスを踊る滑稽な私たちに向けた彼からのメッセージです、「ここは楽しい地獄だぜ」と。

けたたましい音楽と共に拍子抜けするほどピッタリな1曲目が始まります。「地獄でなぜ悪い」です。

地獄がなんじゃおりゃ~~~~~!
ここは楽しい地獄なんじゃ~~~~!
MAD HOPE楽しむぜ~~~~~~~~!

と、前回と打って変わって私は一点の不安もなく全力でこの曲を楽しみました。楽しいって最高ですね。

一貫した思い「夢の外へ」

同じライブに二度参加するのは今回が初めてでした。当たり前ですが、再度見直すことで、先ほどの会話劇のように前回は意識せずスルーしてしまっていた物事に気が付くことできます。もう一度見直したことでハッと気が付かされた楽曲がありました。
その曲を披露する直前、源さんは「13年前の曲を披露します」と言いました。一体何の曲だろうと思っているところに、耳馴染みのあるギターのイントロが流れ会場が沸きました。「夢の外へ」です。

この曲を会場で聞いて、13年前の曲なんて嘘なのではないかというくらい、「今」の星野源の曲だと強く感じました。

私は「夢の外」とは「現実」のことだと思っています。
想像や予想図など、あなたの頭の中にある「夢」と、あなたの目の前にあるものや人を切り分けてはいけない。「夢」と「現実」は別物ではなく、「現実」の上に「夢」があるのだというメッセージをこの曲から感じます。

この「夢」を会話劇でサルが求めた「天国」と言い換えてもいいでしょう、そして「現実」をヒトが語った「地獄」と言い換えてもいいでしょう。
現実を現実のままに受け入れることは13年前から一貫した彼の思想なのだと思っています。

源さんの思い・考えを表現する手段(音楽構成、曲作り、言葉選びなど)は大きく変化していても、その思い・考え自体は13年前からずっと一貫しているのです。13年前の彼が歌に託した思いを、13年後の彼はそのまま受け取れるほどに変化していない。ずっと前から星野源は、星野源なのです。

泣きました。13年前の小さな約束が今この大きな舞台の上で果たされたような大きな充足感。こんな立派なことを人は成しえるんだ、という感嘆の涙です。途中まではギリギリで堪えられていたんですがね、一度決壊するとダメですね。すごいなぁ、すごいなぁと呟きながらタオルを濡らしました。

すぐそばにあるような「くせのうた」

ライブ中盤、引き語りで披露された「くせのうた」にも新たな気付きがありました。会場正面のステージから、会場中央の円い壇上に移動し、そこで源さんが引き語りをします。会場の明かりという明かりが次々と消されていき、ステージのライトアップが消え、スクリーンに投影されたカメラ映像が消え、さいたまスーパーアリーナにひっそりと帳が降りました。
壇上を丸く囲む青いライトとスポットライトが一つだけ、暗い会場に穴を開けるように彼を照らしています。その様子を5階席から見下ろしていると、まるで、会場にいるはずの数千人の姿がすっかり消えていなくなってしまったようでした。

私はくせのうたの歌詞がとても好きです。飾り気がなくて、素朴で、手の届く距離感にあるのに、ずっと大切にしたいと思える、そんな歌詞です。
暗い会場にぼんやりと浮かぶ彼の声はすぐそばにあるような気がしました。多対一となるライブの中で、あの1曲の間だけは、誰もが一対一で彼の歌を聞いていたのではないでしょうか。

歌声は輝く銀テープ「Hello Song」

公演の後半は畳みかけるようなスタートダッシュから始まります。「Sayonara」「Mad Hope」「Star」「2」、後半のこの4曲の流れは改めて聞くと素晴らしかったです。私たち観客を振り切っていってしまうのではないかというほどの畳みかけ、階段を一気に駆け上るようにテンションが上がっていく感覚。体温がぶち上る最高の後半でしたね。

さて、後半を終え、ニセ明によるアンコールを終え、ライブの最後の1曲は「Hello Song」でした。こんにちはでお別れしましょうだなんて素敵なチョイスですよね。

Hello Songの直前のトークで「この場にみんなで集まれるのはこれが最後です」と源さんが念押しをするように言っていたのがとても印象に残っています。あの言葉の「みんな」という主語は、「観客」だけではなく「彼自身」も入っているのだと強く想いました。ここに人が集まるということは、ライブに当たる当たらないの抽選を抜けてくる以前に、この瞬間まで生きてきたという至極当然で、揺らげば何もかもなくなる不安定な前提の上にあるのです。前回のライブの感想の中で私は以下のように書きました。

会えるのがこれで最後だなんて誰一人思っていないのに、この中に本当にこれが最後になってしまう人が確実にいる。
それが他でもない自分になってしまう可能性があるのに、心から、また会いましょうと言い合える。
これを希望と呼ばずしてなんと呼びましょうか。私はこれを希望と呼ぶ以外に知りません。

星野源ライブに初参加した感想

きっと不安定だからこそ、希望が明るいのでしょうね。だから人は歌うし、心を動かされるのではないでしょうか。

Hello Songの演出照明のライトが、ステージから真っすぐと5階席へと差し込みます。光線の中、ステージに立つ彼はラスサビ後の「ラララ」というスキャットを歌っています。会場も一体となって「ラララ」と歌います。彼がスキャットのタイミングをずらし、会場の「ラララ」の歌声に応えるように「ラララ」と返します。歌声は寄せては返す波打ち際のように、うねるように会場に響き渡ります。

銀テープです。私はふと、彼は私たちに最後の銀テープを渡してくれているだと思いました。会場にパッと一瞬散って輝き、ひらりと落ちたあとにはライブに参加したしるしとして観客が持ち帰る銀テープ。ライブ最後の一瞬の思い出を「ラララ」という歌声の銀テープに託し、そのきらめきがいっぱいになるように応えてくれている。私はそのように感じました。

朝日のように5階席に差し込むライト眩しさでステージは見えません。いや、すみません、ライトではなく涙せいでした。顔はぐしゃぐしゃですが、構っていられません。これが最後なのですから。
私は泣きながら、精一杯「ラララ」と歌いました。最後の涙は輝く銀テープのように私の記憶に残っています。

ありがとう源さん、笑顔でまたどこかで会いましょう。






余談 のび太の宝島

前回のライブの後、そういえば楽曲「ドラえもん」が主題歌となったドラえもん映画を見ていないな、と思い「映画ドラえもん のび太の宝島」を見ました。大変良かったです。ドラえもん映画を見るたびにすごいなぁと思うのは「のび太の優しさ」です。本当にこれに尽きます。
映画のジャイアンの優しさにばかり目が行ってしまいがち(これも注目に値するところではあります……)ですが、やっぱり注目して欲しいのは、のび太の優しさです。
困っている人、悲しむ人がいればその人に誰よりも寄り添い、助けることを厭わない彼の優しさは、ドラえもんのひみつ道具でも敵わない素晴らしいものだと思います。
星野源の挿入歌「ここにいないあなたへ」も素晴らしいので映像と共に聞いてみてください。あとミニドラがいっぱい出てきます、めちゃ可愛いのでぜひ見てみてください。


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