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歴史の影と「東南アジアのバッテリー」 ~ラオスの知られzる側面~

おはようございます。とうふです。
ラオス特集3日目。

昨日は「ボーペンニャン(なんとかなるさ)」という言葉や、主食の「カオニャオ(もち米)」など、穏やかなラオスの暮らしと食文化についてお話ししました。

今日は、そんな穏やかなイメージとは少し違う、ラオスが経験してきた「歴史の影」と、現在の「経済」という側面についてお話しします。

まず「歴史」について。
ラオスは19世紀末から、お隣のベトナムやカンボジアと共に「フランス領インドシナ」として、フランスの植民地でした。
第二次大戦後に独立を果たすのですが、その後、ラオスは非常に過酷な運命をたどります。

それが、1960年代から70年代にかけての「ベトナム戦争」です。
「え、ラオスはベトナム戦争に直接参加していないでしょ?」と思うのですが、実はラオスは「史上最も激しい爆撃を受けた国」の一つと言われています。

なぜか。
当時、北ベトナムが南ベトナムへ兵士や物資を送るための補給路、通称「ホーチミン・ルート」が、ラオスの国内(森の中)を通っていました。アメリカ軍はこれを遮断するため、ラオス国内に、9年間で200万トン以上とも言われる、膨大な量の爆弾を投下したんです。

特に深刻なのが「クラスター爆弾」という、空中で分裂して何百もの小さな爆弾(子爆弾)をまき散らす兵器です。その多くが不発弾として今も残り、農業やインフラ整備の妨げになるだけでなく、今でも子どもたちが遊び半分で触ってしまい爆発する、といった痛ましい事故が後を絶ちません。

一方で、現在のラオスの「経済」に目を向けると、意外な一面が見えてきます。
ラオスは「東南アジアのバッテリー(電池)」と呼ばれています。
海がない代わりに、国内を縦断するメコン川の豊富な水資源を活かした「水力発電」が非常に盛んです。 作られた電力の多くは、お隣のタイやベトナムに輸出され、国の重要な外貨獲得源になっています。

ベトナム戦争の影と、水力発電という新たな光。
ラオスは、この両方を抱えながら今を歩んでいます。
明日は、この「歴史の影」と深く関わる、JVCの活動についてお話しします。

それでは、いってらっしゃい!

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