トイレがキレイだと、全てうまくいく。本当にすべてうまくいく。
忘れもしません。それは、東京で最初のシェアスタジオを作った時の話。
撮影が立て込んでいたある日。クライアントさんが途中で買い出しに行き、差し入れのお菓子と一緒にそっと差し出したもの。

トイレットペーパーでした。
そう、切らしていたのです。忙しさにかまけて、補充を忘れていた。お客様をお迎えする側の人間として、あるまじき大失態。お金を頂く相手に、トイレットペーパーを買いに走らせた。あの日の、足元から崩れ落ちそうな恥ずかしさは、今でも鮮明に思い出せます。
私は広告写真を生業に、化粧品の商品撮影をしたり、ガチのガチ中華を中国本土で食べたりしています。前回は偏愛するカメラ(ハッセルブラッドH)の話を書きましたが、今回はもっと大事な話をします。
トイレの話です。
「今さらトイレの神様か」と思ったでしょうか。いえいえ、今日はトイレがキレイだとなぜビジネスがうまくいくのか、という少しだけ経営よりの話です。アメリカの犯罪学の話も、写真スタジオならではの話も出てきます。
先に結論だけ置いておきましょう。
トイレはその場所の「本気度」が正直に出る場所
キレイなトイレは「ここはちゃんとした場所だ」という無言のシグナルを24時間発し続ける
クライアントは、あなたが思っているよりずっと、トイレを見ている
二人の師匠と、二つのトイレ
私は若い頃、二人の師匠に師事しました。一人はニューヨークで、一人は東京で。どちらも、広告写真の最前線で、その街のトップを走る方たちでした。
国も言葉も、仕事の流儀も全く違う二人の師匠。しかし一つだけ、共通していたことがあります。
トイレがキレイだったのです。異様なまでに。

ニューヨークの師匠のスタジオのトイレは、あの街の雑踏が嘘のような、チリひとつない空間でした。白いタイルで覆われており、美しく、ファッション撮影をしたことすらあります。
東京の師匠の場合、毎朝8時に出社した我々の、朝一の仕事がスタジオの掃除でした。トイレは特に念入りに。見えない汚れを追いかける、駆け出しの私には時に不毛にすら思える仕事でした。
今なら分かります。あれは掃除ではありませんでした。
あれは、経営だったのです。
割れた窓と、切れたトイレットペーパー
アメリカの犯罪学に「割れ窓理論」という有名な理論があります(1982年、社会科学者のウィルソンとケリングが提唱したもの)。建物の割れた窓を一枚放置すると、「ここは誰も見ていない」というシグナルになり、やがて全ての窓が割られ、街全体が荒れていく。この理論は、ニューヨークの治安対策にも用いられました。

これは、私たちの生活に、そしてトイレにそのまま当てはまるのではないでしょうか。
ペーパーが切れたまま。ゴミ箱があふれたまま。それを見ると人は無意識に学習します。「ここは、そういう場所なんだ」と。そして少しずつ、扱いが雑になっていく。空間の扱いも、時間の扱いも、仕事の扱いも。そして最後には、あなたへの扱いも。
逆もまた然りです。ピカピカのトイレは、24時間365日、無言でこう言い続けてくれます。「ここは、ちゃんとした場所です」。
冒頭の私のトイレットペーパー事件が、なぜあれほど恥ずかしかったのか。紙を切らしたからではありません。「この場所は管理されていない」というシグナルを、よりによってクライアントから、私に向かって言わせてしまったのです。

データと、神様の話
ひょっとして、精神論に聞こえますか。ではここで少し数字を。
TOTOが2013年に約2,000人を対象に行った「飲食店トイレについての意識調査」では、トイレがキレイだと「お店のイメージが良くなる」と答えた人が約8割。さらに「外食で店を選ぶ基準」を尋ねると、立地・価格・味といった王道に続き「トイレがきれい」が11位(12%)に入りました。10人に1人以上が、料理を口にする前の店選びの段階で、すでにトイレを見ているのです。トイレは衛生を超えて、信頼とリピートを産みうるのです。

イエローハット創業者の鍵山秀三郎さんは、誰も手伝ってくれない中、10年間たった一人で会社のトイレを磨き続けた話で知られています。やがて社風が変わり、会社は一部上場企業にまで成長しました。
西洋にも "Cleanliness is next to godliness"(清潔は敬神に次ぐ美徳)ということわざがあります。
洋の東西を問わず、人類は経験的に知っているわけです。見えない場所の管理状態は、見える場所に必ず滲み出る、と。
写真スタジオの、意外な急所
さて、ここからが本題です。写真スタジオにおいて、トイレには意外な重要性があります。
撮影中のクライアントが、唯一、完全に一人になる場所。それがトイレです。
撮影現場では、私たちは最高の段取りや、ライティング、アングル、それからチームワークでクライアントをもてなします。それはいわば「表の顔」と言えるかもしれません。でもトイレに立ったクライアントは、誰にも見られていないその数分間、我々の表の顔から離れて、素の目でその場所を見ています。
そこがピカピカなら、「このスタジオは、見えないところまでちゃんとしている」。そしてその信頼は、静かに転移します。「この人なら、撮影データの管理もちゃんとしているだろう」「納期も、色も、守秘義務も」。
トイレは、あなたの仕事の"見えない部分"の代理人なのです。
私たち広告の仕事は、「またあの人と仕事がしたい」の積み重ねで回っています。その「また」を生むのは、一発の傑作だけでは決してありません。だから、もしお若いフォトグラファーの方がキャリアを加速させたければ、ポートフォリオを磨くのと同じ真剣さで、トイレを磨く価値があると私はお伝えしたいと思います。
で、私はどうしたか
冒頭の大失態以来、私はトイレに関して、ちょいとこだわりのある人間になりました。
現在の三つ目のシェアスタジオ(赤坂)の物件を選ぶとき、実は条件リストに「トイレ」を入れていました。行き着いた答えは、管理人さんの手入れが行き届いた、共用トイレ物件。
数人でシェアするスタジオを、それぞれの感覚で掃除していては差異が生まれる。ならば、プロが毎日キレイにしてくれる環境を、最初から選べばいい。二人の師匠から受け継いだ基準を、根性ではなく仕組みで守ることにしました。
おかげさまで、今のスタジオのトイレは、いつもピカピカです。私の手柄ではありませんが。

トイレがキレイだと、クライアントの信頼が生まれる。チームの振る舞いが変わる。その緊張感は、静かに自分の仕事の解像度を上げると信じています。
トイレがキレイだと、全てうまくいく。
私は無言でそう教えられました。
本当に、すべてうまくいくと。
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。よかったらスキをいただけると嬉しいです。またはあなたのトイレへのこだわりを、コメントで教えてください。
東京・赤坂で、撮影スタジオを併設したシェアオフィスを作りました。少数精鋭の仲間と、(私の手柄ではない)いつもピカピカのトイレがあります。ただいま1席空きがあります。
出典・参考
Encyclopaedia Britannica "Broken windows theory"(割れ窓理論の解説とニューヨーク市警での実施について) https://www.britannica.com/topic/broken-windows-theory
TOTO「飲食店トイレについての意識調査」 https://jp.toto.com/products/machinaka/restaurantquestionnaires/
東洋経済オンライン「81歳創業者は、なぜトイレを素手で磨くのか」(鍵山秀三郎氏インタビュー、2015年) https://toyokeizai.net/articles/-/54721
Dictionary.com "cleanliness is next to godliness"(ことわざの由来) https://www.dictionary.com/browse/cleanliness-is-next-to-godliness
今回の記事の写真は全てUpsplashからお借りしていますhttps://unsplash.com/
