整っているのに、響かない。AIとの5ヶ月で見えてきた「主体性」という名の骨格
どうも、ゆきひろです。
北海道もようやく夏らしくなって、日中は窓を開けていると汗ばむくらいになりました。夕方に風が入ってくると、ああ夏だな、と思う。そんな時期です。
先日、友人の Yuki Ebina さんが note に書かれていた記事を読みました。
「AIが書きました」にモヤモヤする ―「AI疲れ」の正体を考えてみた
AIで作られた成果物を受け取ったときの、あのなんとも言えない感覚について書かれたものです。
とてもいい対話が描かれています。
読みながら「そうそう、そうだよなぁ」と手を止めて、読み、考えました。
自分の中にずっとあった違和感を、改めて読み返したような感覚。
おすすめなので、読んでみてください。
さて、私もClaudeに本格課金をして2026年3月から8月まで、AIエージェントを触り続けて5ヶ月ほど。
せっかくなので、自分の側からも言語化してみます。
あくまで個人の感覚ですが、皆さんはAIに任せたものを見て、間違ってはいないのに何も響かない、と感じたことはありますか。
【骨のない肉塊は、響かない】
いま自分の中にある実感を一行にすると、こうなります。
AIは脂肪と筋肉を足してくれる。でも、骨格がないと肉塊にしかならない。
ここで言う骨格は、デッサンでいう下書きのことだと思ってもらえたらと思います。
人物を描くときに、いきなり陰影から入らずに、まず骨のあたりを描く、あの工程です。
厄介なのは、AIでは骨格がなくても作業はできてしまうことでした。
文章は書けるし、アプリも形になるし、資料も一式そろう。ちゃんと動くものが出てくるのです。
それでも、できあがったものを眺めると、脂肪と筋肉だけがそこにある感じがする。
肉の塊のような作品、という言い方が自分の感覚にはいちばん近い。
そういうものを前にしたとき、感じるのは3つでした。
なんとも美しくない
響かない
ストーリーがない
自分の納得感のある表現には、まったくならない。
整っているのに、心が動かない。
似た現象として、「よく分からないから、よく分からない」という状態がそのまま文章になってしまうこともあります。
これはあまり良くない気がしています。
分かっていないことを分かっていないままAIが増幅させると、読んだ人も「よく分からない」で終わってしまうので、みんな不幸に。
【骨があれば8割。残りの1〜2割は、指先の向き】
逆に、うまくいくときの感覚も書いておきます。
下地が明確になっている状態、というのがあります。何を表現したいのかが決まっていて、これだと思える表現が自分の中にあって、要望が要件定義できている。
言語として表現できている状態です。
このとき、骨のバランスや体の動き、躍動感みたいなものが、骨の段階ですでに感じられます。
まだ線しかないのに、その人物がどう動こうとしているかが分かる。
そこまで持っていってからAIに血肉をつけてもらうと、作り出したかったものに8割ぐらいは近づきます。
では残りの1〜2割は何かというと、これは微修正です。
指先の向きを変えるとか、目線を意図に合わせるとか、そういう調整。
全体を作り直すのではなく、細部を意図に寄せていく作業になります。
割合で書くと、こんな分担になっている気がしています。
0から1 ── 人間が丁寧にハンドリングする
1から10 ── ここも人間が握る
10から80 ── AIが一気に運んでくれる
80から100 ── 人間が指先の向きを直す
AIが速いのは、あくまで真ん中の部分でした。両端は、たぶん譲れない。
80から100を人間が手放すことも、もちろんできるとは思うけど、手放せる対象であれば、それでいい。
でも、人生の中で手放したくないものを見つけることが、多分、楽しいんだと思う。
【作業を減らせるのは、ゴールの輪郭がある人だけ】
ここまで書いてきて、ひとつ気づいたことがあります。
AIで作業を極端に減らせるのは、ゴールの輪郭がはっきりしている人だけなのではないか、ということです。
輪郭がない状態でお願いしても、箸にも棒にもかからないことはありません。
それなりのものは出てきます。
ただ、それは自分が向かいたかった方向とは違う場所に、きれいに着地している。
やっぱり、主体性がなければ、ゴールには近づかない。
やり遂げたいことがない。
表現したいこともない。
なんだか分からないけれど、「まぁこれでいいか」でAIにお願いする。
この状態だと、形のないものに、筋肉と脂肪がついてきます。
そうして出てきたものは、誰かに読ませても「よく分からない」で終わってしまう。
だって、相手が持ち帰れるものがないんだもん。
作成側の意図がないので、当然といえば当然です。
そして、これは自分にも言える話ですが、
そもそも、自分がブレていると、出力もブレます。 ※AIは関係なく
人に仕事を頼むときも、自分の中で方針が定まっていなければ、返ってくるものは同じようにブレる。
【主体性は、芸術に触れないと育たない気がしている】
だとすると、次の問いが出てきます。
その主体性は、どこから来るのか。
ここについては、まだ仮説の段階なのですが、
個人的に芸術に触れることでしか、主体性は育たないのではないかと思って、ここ2年間は、極力、美術館や映画、アイドルに触れる機会を増やしています。
理由はひとつで、芸術に触れていないと、自分が何に感動するのかが分からないからです。
特段、感動という言葉まで行かなくてもいい、
”なんかいいなぁ”と何に心を動かされているのかを振り返る。
どういう構造の物語でグッとくるのか。
どんな色の組み合わせで手が止まるのか。
それが自分の中に見えていないと、「これだと思える表現」を選ぶことができない。
これだと思える表現ができなくてもいいけど、「なんか違う」という思いがあるだけでも、結構、変わってくる。
骨格を立てるというのは、突き詰めると自分の心が動く対象を紐解き、それを一本の線で結ぶ作業なのだろうな、と最近は思っています。
自分の好みがなければ、選びようがないなぁと。
映画でも、音楽でも、料理でも、他人の文章でもいいのだと思います。
心が動いた瞬間を、動いたこととして覚えておく。
ずいぶん遠回りに見えますが、AIを使う速度を上げたければ、案外ここがいちばんの近道な気も。。。
【モデルによって、骨の持ち方が違う】
少し脱線します。ここは完全に手触りの話なので、分かる人にだけ届けばいいと思って書いています。
もうひとつ、最近感じているのが、AIモデルによって自前の骨格の強さが違うことです。
たとえば Fable のようなモデルは、モデル自体が骨格を持っている感覚があって、少しの意図を伝えるだけできれいな作品に仕上げてくれます。
ただ、そういうモデルに不要な骨格を渡してしまうと、逆に少し気持ち悪い出力になる印象があります。
モデルが意図する骨格と、こちらが言語として発しきれなかった骨格が混ざってしまうからではないかと思っています。
なので、どんな骨格を作りたいのかをモデルと比べながら考えて、最終成果物の表現の詰め方・内容の詰め方に応じて、どのモデルを使うかを人間側が取捨選択する。 ここも骨格の話の一部な気がしています。
まぁ、コストをかけたら、”高レベルの平均値である骨格”も手に入れられる時代なのかもしれません。 嬉しいやら、悲しいやら。AI格差は広がるでしょう。
【結び】
最後に、いま自分が持っている仮説を書いておきます。
自分の体験や感覚の中で心が動いていないものは、他の人の心も動かない。
AIの文章というよりも、心動いたものをどのように表現できるか。
AIは増幅器なので、こちらが持っているものを大きくして返してくれます。
だとすれば、増幅されて誰かに届くことは、結局、こちらが本当に心を動かされた部分だけなのだろうな、と。
とはいえ、この仮説もまだ検証の途中です。
この記事自体、書きながら骨格を何度か組み直しています。
立派な骨格かというと、まだ軟骨くらいの硬さな気がしています。
それでも、AIに何かを頼む前に「自分はこれのどこに心が動いたのか」を一度確かめるようになったのは、この5ヶ月でいちばん大きな変化でした。
遠回りに見えて、たぶんここが骨格のはじまりなのかもしれません。
