孤独など存在しない
「孤独など存在しない」と言うのは写真を撮る上でですが、いつか生活においても孤独は無いと思えたら良いなと思っています。
写真を撮る上で孤独が存在しないと言うのはどう言う事か。
結論からご提示すると、
写真には写す対象が必要不可欠であり、対象によって撮るきっかけを与えられていると言う事です。
写真を撮るためには最低限写す存在が必要です。カメラの仕組みから考えれば1番最初に必要なものは光になるかと思います。
しかし、私たちが普段見ている光には触れられません。スポットライトや木漏れ日は、触れていると捉えられるかも知れませんが、基本的には触れられないと言う認識で良いでしょう。そんな光は私たちを照らしてくれています。
光がなければ形や色を見る事も、カメラで何かを写す事も出来ません。光があるお陰で、形や色を捉えられるし、写真に写す事が出来ています。
それはつまり光が私達の他に存在して居るということなのでは無いでしょうか。
光で説明して来ましたが、撮る時を再現すれば、光に照らされている植物や建物も存在ですし、知覚出来ると言う意味で言えば匂いや音も存在と捉えて良いのかも知れません。
ここで光を取り上げたのは、写真を撮る上で最低限必要な存在として光があるからです。
これがまず一つ目の、違う何かが存在して居ると言う点での孤独では無い理由です。

次に、写真を撮るきっかけを与えられて居ると言う事について、お話ししたいと思います。
写真は撮る必要があるから撮りますよね。動機を認識して居るかに関わらず、撮りたいと思わなければ基本的にシャッターを押さないのでは無いでしょうか。
そして、撮りたいという思いや撮る必要性は目の前の景色との関係において生まれて来るのだと思います。
例えば桜が綺麗だったり、雲を見たら懐かしくなったなど。
確かに目の前に何かがあって、自分の中に撮る必要が生まれて来る状態。
それはつまり、存在との関係によって、自分自身が変化して居ると言う事です。
写真を撮ると言う行為は、常に、何かと在るから出来る行為です。
同時に、存在との関係によって、撮る必要性が生まれるから行う行為でもあります。
それはつまり、孤独では無いという事ですよね。
続きます。

生活においても孤独では無いと言えるとは思いますが、孤独感から解放されると言うのは、やはり少し難しいのでは無いかと思います。
写真を撮る必要性は基本的にプラスなものとして捉えられるのだと思いますが、生活において自分の中に生まれるものにはマイナスな物もありますよね。
ではどの様に、孤独から開放されて行くのかと考えると、やはりカメラがきっかけになって居ると感じます。
カメラを持ち始めて、普段何気なく目の前に佇んでいる木々や、広々とした大空、多くのものに、心が動かされて居ると言う事に気付きました。



孤独から少しでも解放されるために、一度立ち止まって、心が動いている様には感じられない日常に目を向けた時、新しい気付きと出会うかも知れません。
その積み重ねが、少しずつ私たちを孤独から開放していってくれると信じています。
そこには時間との繋がりも存在して居るのでは無いでしょうか。
・繋がる時間の上にいる
そして、私が撮った写真によって、世界にある存在が一つでも、誰かにとって微笑みや慈しみの対象となるのなら、写真を撮る者としてとても光栄なことです。
そんな写真を撮れたらいいなと思っています。

