民主主義を破壊する反共カルトと戦犯③-05🏫イジメとネトウヨの棲息地05👹⛩[自己愛の全能感と報復👊]
民主主義を破壊する反共カルトと戦犯③-05🏫イジメとネトウヨの棲息地05👹⛩[自己愛の全能感と報復👊]
表向きの🇯🇵社会では、なかなか見かけないが、ネット上では暗躍して、
まともな日本人🇯🇵を嬉々として集団で迫害したり、虐殺に追いやったりする
ネトウヨと言う「鬼畜👹が実在」しています。薄々気づいてる人も多いですが、残念ながらこれは、ファシスト👹やナチズム🇩🇪との闘いであり、放置すると、
犠牲💀や被害が広がる一方で、もはや避けては通れない🇯🇵社会問題に
なりつつあります。しかし、ネトウヨはあれだけ大勢居ながら、奴らの生態は
資料や研究もなく、全く分かっていません。このシリーズでは「イジメ」
を介して、その発生や生態を読み解いて解明していこうと思います。
内藤朝雄氏📕の「いじめの構造」はやや難解なので、独自の解説を加えながら、
その「イジメの構造と鬼畜👹の実態を明らかに」していきます。

自己愛(NPD)と全能感
第2章3節 他者をコントロールすることで得られる全能感
第2章3節1項 「全能筋書」
【全能感=自己陶酔感】
前節では、もっぱら暴力によってかたちを与えられる全能の感覚をとりあげた。
暴力に限らず、さまざまな生の場面において、全能感は、まずもって不全感を初期条件とする反転の感覚として生じる(図4)。
すなわち、不全感をかかえた者の認知情動システムが誤作動(暴発)を起こし、
突然、世界と自己が力に満ち、「すべて」が救済されるかのような、
曖昧な「無限」の感覚が生まれる。

これは、自己愛性パーソナリティ障害(NPD)に限らないかもしれないが、
「ありのままではダメ」で「何者かになる」ことが”要求される現代日本社会”
では、まず、初期条件として「不全感」「もの足りなさ」などを感じさせる。
「努力しても報われない」一部の特権階級が収奪するシステムだからである。
そしてそこに、学校やカルトや「軍団」や「日本企業」といった「組織に入る」
ことで「宿命転換」「運命の転換」など、「反転の感覚として”全能感”が生じる」と言う仕組みなのである。まさに下記の「一発逆転」なのである。



「一発逆転」を求め、「全能感を味わい真実を見つけたと錯覚」





【全能感=自己陶酔感=「錯覚」執拗に求める=中毒】
自己愛性パーソナリティ障害(NPD)の「ストーリー」でっち上げの
背景にあるものとは?
このように全能はもともと「錯覚」であり、形が無い。
しかし、”全能に憑かれた人”は、何らかの別の生のかたちを写しとり、
全能をその筋書に託して具現する(具体的な形にして現わす)ことを、
執拗に求める(図5)。
わたしたちは、白紙の状態ではなく、一定の筋書によって、
ものごとを欲望し、体験するようにできている。体験のひな型が、
いつもお好みの筋書によって世界を描き出すようスタンバイしている。
全能という錯覚(図4)をしつこく求め続けるためには、
そのための体験の筋書を、ほかの場所から転用して「でっちあげ」続けること
が必要になる
(本書では「筋書」という語を、このような原理的・根本的な意味で用いている)。


【全能筋書】
暴力を正当化するためのストーリー=言い訳
このように、全能の気分を味わうための筋書を本書では「全能筋書」と呼ぶ。
たとえば前節の「軍団」の事例では、上級生から身を守るための「実用的」な手段
としての暴力のかたちが、全能筋書に転用されている。
【教育の論理や通俗道徳や愛国などに偽装して正当化する】
暴力にかぎらず、暴走、セックス、スポーツ、アルコール、
社会的地位の獲得、蓄散財、仕事、ケア、苦行、摂食、買い物、自殺など、
ありとあらゆるもののかたちが、この全能筋書に流用されうる。
【他人をコントロールしたい執念】
本書で問題にするのは、”他者をコントロールする形を用いた全能筋書”である。
多くのいじめは、集団の中のこすっからい利害計算と、
他人を思い通りにすることを求める「ねばねばした情念」に貫かれている。
この情念の正体は、他人をコントロールするかたちを用いた、
全能気分の執拗な追求である。
弱者でないアピールのための「利害計算からの保身」と
他人を思い通りにすることを求める「ねばねばした情念」が
組み合わさったのが「生活保護叩き」である。



第2章3節2項 自分の手のひらの上で
【暴力や破壊だけでは意味がない】
この、”他者をコントロールする全能というもの”について、掘り下げて考えて
みよう。たとえば、コップを頭にたたきつけて粉々に酔いても、
そこには”他者コントロールの手応えはない”。
【他者の運命や人間そのものを思い通りに支配したがる=「他者コントロールによる全能」】
イジメ加害者が真に得たいのは「他者を従える快感」であり、
理由は、加害を正当化するもっともらしい屁理屈にすぎないのである。
それに対して他者は、”自己とは別の意志を有して”おり、”独自の世界を生きている他者”である。だからこそ、いじめ加害者は、”他者の運命”あるいは
”人間存在そのもの”を、”自己の手の内で思いどおりにコントロールする”ことによって、全能のパワーを求める。
”思い通りにならないはずの他者”を、だからこそ、”思い通りにする”のである。
これを、「他者コントロールによる全能」と呼ぼう。
「最遊記」のワンシーンの、手のひらの上で「孫悟空」をもて遊ぶ釈迦と同じで
”他者の運命”を”自己の手の内で思いどおりにコントロールする”ことで
”神のような全能感”を得る。

【イジメは他者コントロールの1つ】
”他者コントロールによる全能”には、さまざまなタイプがある。
いじめによるものは、そのうちのひとつだ。
他者コントロールによる全能にふける人は、いじめと境界が曖昧な、
近接したジャンルの他者コントロールに血道をあげていることもある。
【女性や秘書のケアのフリをした全能感】毒親
たとえば、世話をする。教育をする。しつける。
ケアをする。修復する。和解させる。蘇生させる。
こういうケア・教育系の「する」「させる」情熱でもって、
”思い通りにならないはずの他者”を”思いどおりに「する」”ことが、
”好きでたまらない人たち”がいる。
「死にたくない若者」をオダテて”他者の運命”をコントロールした「国防婦人会」


【エッセンシャルワーカーの職場イジメや虐待】
このタイプの情熱は、容易に、いじめに転化する。
というよりも、しばしばイジメと区別がつかないような仕方で存在している。
いろいろ”細かく世話をしたがる情熱を周囲にプンプン発散している人”は、
隠している人は、「他人を思いどおりに世話するお好みの筋書を外される」と、
悪口を言ったり、嫌がらせをしたりする側にまわるものである。
マイクロマネジメントする上司や看護師なども、思い通りにならない部下や患者を
そのうち陰で罵ったり、悪口を言ったり、嫌がらせし始めたり、虐待したりする。



【お節介なババアやお局】
他人を「自分が思い描いたイメージどおりに無理矢理変化させよう」と情熱を
傾け、それを当人に拒否されたり、周囲から妨げられたりすると、
「おまえが思いどおりにならないせいで、
わたしの世界が壊れてしまったではないか」
という憎しみでいっぱいになる。
自分の理想を押し付け「自分が思い描いたイメージどおりに子どもたちを無理矢理変化させよう」とする「教育ママ」や「毒親」「体育会教師」や「権威主義教師」も、思い通りにならないと「虐待」や「イジメを始める」。





「体罰教師」は、肝心のイジメは見てみぬフリ


【思い通りならない復讐も「教育やケア」の名目で偽装して行われる】
「わたしの世界を台なしにしたおまえが悪い。
そういうオマエを、台なしにしてやる」というわけである。
この思いどおりにならない者への復讐もまた、しばしば教育や世話の名のもと
に行われる。
【救急隊やモラ医者?】治らない詐欺
中には、甲斐甲斐しいケアによって他人を回復させる感動体験に、欲望を
駆り立てられてやまない人々がいる。自分がコントロールする手のひらの上で、
他者が生死の境をぶるぶるふるわせながら、素っ裸な、剥き出しの生に
なっていく。それがたまらない。
子どもをわざわざ溺れさせてから、蘇生させて感動を味わう、
といった蘇生マニアの犯罪も、まれに報告される。
いじめによって全能感を享受する仕方も、
ケアや教育といったものと、その根幹部分を共にしている。
【他者の存在を丸ごと踏みにじり、抹殺しようとする嗜虐意欲・加害執念=イジメの全能筋書】
いじめの加害者は、いじめの対象にも、喜びや悲しみがあり、
彼(彼女)自身の世界を生きているのだ、ということを承知しているからこそ、
その”他者の存在を丸ごと踏みにじり、抹殺しよう”とする。
いじめ加害者は、”自己の手によって思いのままに壊されていく被害者の悲痛”
のなかから、(思いどおりにならないはずの)他者を思いどおりにする全能の自己
を生きようとする。
このような”欲望のひな型”を、加害者は”前もって有して”おり、それが
殴られて顔をゆがめるといった「被害者の悲痛によって、現実化される」。
これが「いじめの全能筋書」である。
加害者は、被害者を”踏みにじり”自己の手によって思いのままに壊され、”被害者が悲痛な顔をすること”によって、”全能感を感じて”自己陶酔を得る。

”被害者が悲痛な顔をすること”によって、”全能感を感じて”自己陶酔を得る。

”被害者が悲痛な顔をすること”によって、”全能感を感じて”自己陶酔を得る。

”被害者が悲痛な顔をすること”によって、”全能感を感じて”自己陶酔を得る。

”被害者が悲痛な顔をすること”によって、”全能感を感じて”自己陶酔を得る。

”被害者が悲痛な顔をすること”によって、”全能感を感じて”自己陶酔を得る。

”被害者が悲痛な顔をすること”によって、”全能感を感じて”自己陶酔を得る。
第2章4節 <全能はずされ憤怒>
第2章4節1項 「おまえが思いどおりにならないせいで」
【他者の内側から、全能の自己を生きようとする】
”他者コントロールによる全能を求める者”は、”他者に侵入”し、コントロールを
試みる。そして、”自己の身体の延長のように思いどおりにコントロールされる”
他者の内側から、全能の自己を生きようとする。
【幼児性・幼稚さ】
このように、自己ならざる”他者の中から全能の自己が生きられる”のであれば、
その自己を映し出す”他者の振る舞い次第”で
(他者が思い通りになってくれないというだけで)
”映し出されるはずの全能の自己は容易に解体してしまう”のである。
あとに残るのは、”不全感”である。
【加害者→被害者のスミアキャンペーン】
そこから、イジメ加害者によく見られる独特の被害感と、憎悪と、残酷が生じる。
そこには、加害者なりの独特の論理がある。
それは、次のような、”じつに手前勝手な論理”である。
「オマエが思い通りにならないせいで、わたしの世界が壊れてしまった
ではないか」「わたしの世界を台なしにしたおまえが悪い。そういうおまえを、
台なしにしてやる」
「わたしの世界を台なしにしたおまえが悪い。そういうおまえを、
台なしにしてやる」→女性に対して「立場をわからせる」と言う
意味で、エロゲーに「わからせ」と言うゲーム用語がある。
男に「家父長制」を意識させ、虐待や嗜虐を肯定する危険さが
指摘されるも、元々肯定し勝ちな文化があるため放置されている。
モラ夫(NPD)が増えた背景にこのようなゲームやAVの存在が
悪影響を与えたことが指摘されている。



「大人を舐めきった生意気な女子供に身の程をわきまえさせる」
シチュエーションを指す言葉として界隈で流行した。
1.相手を徹底的に追い込み、格の違いをその身に叩き込む
2.生意気な女子供に身の程をわきまえさせる
【被害者に拒絶されると自己陶酔できなくなり被害者意識で逆恨み<全能はずされ憤怒>】
被害者が、いじめられるのを拒否すると、多くの場合、加害者のほうが、
このような「態度をとられた」ことに、独特の被害感覚、屈辱感、
そして激しい憤怒を感じる。そして、全能の自己になるはずの世界を壊された
「被害」に対して、復讐をはじめる。
このような憤怒を<全能はずされ憤怒>と呼ぼう。
【拒絶反応、自由に生きている=致命的な傷と感じる】
はっきりとした拒否だけではない。
いじめ被害者が、自分の身体の延長のように振る舞わなかった、あるいは、
自分とは”別の人格を有する他者”として、”独自の生を生きているように
感じられた”、といったことすら、加害者の側には、自分たちの世界にヒビ入った手に負えない疵(きず)として感じられる。そして、そのような態度を「とられた」側は、どうしようもない被害感と憤怒を感じる。
【<全能はずされ憤怒>=ナチス化=ガザ🇵🇸ジェノサイド=人類の敵】
このような「全能をはずされた」憤怒による攻撃衝動は、目標に対する障害を
退けようとする戦略的な攻撃とは異なり、しばしば相手を滅ぼし尽くすまで
止まらない。
思い通りになるはずのいじめ被害者(奴隷)が思いどおりにならないときの憤怒
の激しさは、完全なコントロールによる全能を期待し、必要とし、
またそれを外された場合に感じる不全感によるものなのだ。
第2章4節2項 全能の自己が孵化する肉塊
イジメやパワハラの放置が、結局「ナチス🇩🇪や大日本帝国の孵化」を
許している。
【事例8・主人と奴隷の弁証法】
事例をみてみよう。
ノンフィクション作家の佐瀬稔は「いじめられて、さようなら」(思社)で、
あるいじめ自殺について次のように綴っている。
「和夫は『おい、次郎、パンとジュースを買ってこい』と命じた。
(中略)和夫にしてみれば、一年生のころから何度となくやらせていた
日常的な使い走りである。(中略)まったく意外なことに、
次郎は『いやだ。見つかったら先生に叱られる』と断った。
命じればなんでもやる。必ず言うことを聞く。
『だから次郎はオレのいい友達なのだ』
と考えていたボスは、思ってもみなかった拒否に遭い、(中略)不審に思った。
【無視された・舐められたで逆上する土建屋や無能カルト体育教師の理由】
不審の念はやがて、抑えようのない怒りに変わる。命じた用事を拒まれたからではなくて、おのれの存在そのものを拒否された怒りだ。(中略)
『さっきのあれはなんだ。てめえ、オレの言うことが聞けないのか』。
次郎は答えない。無言のまま、拒絶の表情を浮かべている。
和夫は少しうろたえ、とっさに体勢を立て直し、脅し道具を取り出した。
ビニール・コードの一方の端の被覆をはぎとり、
銅線をむき出しにして球に丸めたものだ。
『おめえ、ほんとうにいやなのか』(中略)
【土下座大好きのチンピラ】
次郎は突如として床に膝をつき、両手を下ろし、土下座の格好となって言った。
『これで和夫君と縁が切れるなら、殴っても何をしてもいいです』(中略)
和夫はイキリ立った。
『今、なんと言った。もういっぺん言ってみろ!』
床に這いつくばった少年は、やっと聞き取れるぐらいの声で言った。
『これで和夫君と縁が切れるなら、何をしてもいいです』
夏休みの間中に稽古でもしてきたような同じ言葉。
『野郎、オレをなめるのか!』
和夫はビニール・コードを振るった。
第一撃は頭に命中し、二発、三発とたて続けに腕や手の甲で音を立てた。
見る間に、真っ赤なみみずばれが走る」
その後も、和夫は次郎を執拗にいじめ、次郎は首を吊って死んだ💀。
そして、和夫が次のようなことをしていたことが、明らかになった。

【和夫の罪状】
・金をまきあげる。
・タバコを7、8本立て続けに吸わせ、嘔吐する次郎を見て、笑いころげる。
・犬のように首に紐を巻きつけ、床に這わせて紐を引っ張り歩き、
す巻きにして教壇に置く。
・雑草を丸めて食えと強制する。
・その他、針金、ごみ、洗剤などを食べさせる。
・硬いブラシで顔をこする。
・紐で首を絞める。
・温室に閉じこめて蒸す。
・毎日のように暴行を加える。
・水酸化ナトリウムを背中にかけて皮膚をただれさせる。
・チクリに対する激しい暴行。
・顔にマジックでいたずら書きする。
教員たちは警察に通報しなかった。

【無責任で保身な学校】
後に裁判で責任を問われた学校側は、
「問題が起きたからといって、いちいち警察に届けるのは教育の放棄。
裏切られても根気強く指導していくのが真の学校教育」と主張した。
(佐瀬稔「いじめられて、さようなら」草思社、
畑山博「告発」旺文社、
高杉晋吾「「いじめ」が死を呼ぶ残忍風土」『現代』1985年12月号、
同「いじめを生む教育の軌跡」「中央公論」1986年3月号、などより)
【加害者は寄生虫🪱のように被害者に寄生し、被害者をモンスターを孵化する肉塊にする】
被害者の次郎は、最後には追い詰められて自殺💀している。
蜂の卵が孵化するとき芋虫の体を食い破っていくように、
和夫は次郎に棲みつき、侵食🪱していく。
次郎は和夫の”全能の自己が孵化する肉塊🪱”として、
和夫の”延長された身体🪱でなければならない”のだ。


加害者は罪を無かった事にして
ノウノウと生きられるのか?
勝ち組モラ夫の感じている「全能感」と妻への見下し
ある勝ち組エリートサラリーマンで、モラ夫が妻や部下や下請けを
どのように見下して「全能感」を感じているか?マンガを通して
少し触れてみる。
モラ男がどのように「家父長制」を感じているか?
妻に「わからせ」ようとしてるか?垣間見ていきたい。
また、「ノリの良し悪し」だけで部下を評価している事にも注目したい。

勝ち組エリートモラ夫(NPD)の見下しストーリー














マルティン・ニーメラー牧師の警句🚨


書籍紹介
🏫イジメとネトウヨの棲息地👹⛩シリーズまとめ(INDEX用)
民主主義を破壊する反共カルトと戦犯シリーズまとめ(INDEX用)
伊丹万作「騙されることの責任」
もちろん、「騙す方が100%悪い」のは紛れもない事実である。
その上で更に「騙されることの責任」を考えよう。

もう一つ別の見方から考えると、いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
つまり、騙す者だけでは戦争は起らない。騙す者と騙される者とがそろわなければ戦争は起らない。一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。騙されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
伊丹万作「戦争責任者の問題」より
