民主主義を破壊する反共カルトと戦犯③-08🏫イジメとネトウヨの棲息地08👹⛩[ヒエラルキーと利害構造の変化]
民主主義を破壊する反共カルトと戦犯③-08🏫イジメとネトウヨの棲息地08👹⛩[ヒエラルキーと利害構造の変化]
表向きの🇯🇵社会では、なかなか見かけないが、ネット上では暗躍して、
まともな日本人🇯🇵を嬉々として集団で迫害したり、虐殺に追いやったりする
ネトウヨと言う「鬼畜👹が実在」しています。薄々気づいてる人も多いですが、残念ながらこれは、ファシスト👹やナチズム🇩🇪との闘いであり、放置すると、
犠牲💀や被害が広がる一方で、もはや避けては通れない🇯🇵社会問題に
なりつつあります。しかし、ネトウヨはあれだけ大勢居ながら、奴らの生態は
資料や研究もなく、全く分かっていません。このシリーズでは「イジメ」
を介して、その発生や生態を読み解いて解明していこうと思います。
内藤朝雄氏📕の「いじめの構造」はやや難解なので、独自の解説を加えながら、
その「イジメの構造と鬼畜👹の実態を明らかに」していきます。

第4章2節2項 権力と利害図式
さて、ここでの主要なテーマとなる、権力の問題に入ろう。
さまざまな利害図式には、もともとのかたちが全能図式に転用されやすいタイプ
もあれば、されにくいものもある。たとえば、生命保険はA社とB社のどちらに加入したらよいだろうか?といった利害図式は、全能筋書のかたちに転用
されにくいタイプである。
それに対して、きわめて全能筋書にかたちを写しきられやすいタイプの利害図式
もある。”権力の骨格部分は、利害図式から構成されている”。
強盗が「金を出さなければ撃つぞ」と通行人を脅す場合を例にとって、
権力の骨格部分を示したのが、図14である。

【権力=全能感を味わいやすい】
この利害図式は、全能感を味わうためのひな型(テンプレート)として、
はなはだしくかたちを写しとられやすい。つまり権力を行使するチャンスを
手にした者は、利害の式からなる権力の図式を、他者をコントロールする
パワーに満ちた自己というストーリーに転用(流用)して全能気分を味わおうと
しがちである。権力が生臭いのは、利害図式からなる権力の骨格そのもの
ではなく、かたちを全能図式に写しとられやすいためである。
権力を行使するチャンスを手にした者は、他者をコントロールするパワーに満ちた自己というストーリーに転用(流用)して全能気分を味わおうとしがちである。
つまり、スターウォーズの悪役、ダースベイダーのように、権力を手に入れて、全能感(自己陶酔感)を手に入れるために、思い通りに支配したくなるのである。


【企業や家庭や入管や軍隊や警察など閉鎖的な環境では残酷になりやすい】
特に、狭く、生々しく、閉じた人間関係の場に埋め込まれた権力は、そのかたち
が全能筋書に転用されやすい。また、権力のかたちが残酷な全能筋書に転用され、
残酷な全能筋書の追求が「生きがたい」権力のかたちを生む悪循環が起こり
やすい。この循環の行き着く先に、集団心理-利害闘争の残酷な政治空間が
姿をあらわす。
刑務所や入管や軍隊や警察など、閉鎖的で秘密保持性が高く、ピラミッド型の
ヒエラルキー組織では、「狭く、生々しく、閉じた人間関係の場に埋め込まれた権力」が発生し、残酷なイジメや虐待や迫害、ジェノサイド💀が起きやすい。
善良な人が簡単に虐殺者になるのを示したのが、「ミルグラムの服従実験」など
である。
【発達障害者や女性などが生き辛くビクビクして生きている原因】
典型的な事例を見てみよう。
これは東京都のありふれた公立小中学校のケースである。
【事例14・いつも人の行動に注意して、びくびく生きている】
Aは学校生活を回想する。
「小学校に入学して以来、・・・・・・たえずその、生き馬の目を抜くというかね、
・・・・・・相手の行動を常に注視して、注意して、自分の行動を制御しなきゃ
いけないと、相手に合わせて生きなきゃいけない、というか、
そういう感じでしたね。
やっぱり、クラスの中にボスみたいなのがいて、それがいじめのリーダー
なんです。それにちょっと目をつけられると、もうダメだな、
みたいな感じがありましたね」


【黒い羊効果】
小学校・中学校を通じて、
クラスには「ボス」「とりまき」「普通の人」「いじめられる人」
というヒエラルキーがあった。
数の上から圧倒的に多いのは「普通の人」で、
いじめられるのはクラスで2、3人だった。
Aは「普通の人」だった。
「普通の人」は、他の人がいじめられているのを見ながら、
”自分が犠牲者になる可能性に怯えて生きていた”。
「そういうのに対立しないように、特にボスとは対立しないように、
ということをたえず注意しながら生きていく」
Aは他の人がいじめられているのを見ながら、
絶えずヒエラルキーがあるのを思い知らされていた。Aは言う。
「誰も止めませんよ。止めると下手に、こっちの方にターゲットがきちゃう
かもしれないから」
「いやですねえ。見ててもねえ。被害者見てても嫌な顔してますしねえ」
イジメの4層構造とも言われるし、少し違うが大雑把には、
「ボス」=「加害者」
「とりまき」=「観衆」
「普通の人」=「傍観者」
「いじめられる人」=「被害者」
のヒエラルキーがある。
「普通の人」=”自分が犠牲者になる可能性に怯えて生きている人”である。
🇯🇵スクールカースト制度のような構造をしている。
そして、「最下層の被害者」は「不可触民(人間扱いされない人)」として、
命を軽視されていると考えると上手くイジメ現象を理解できる。

インド🇮🇳のカースト制度

🇯🇵スクールカースト制度



「保身に走る親子の言い訳」は、このnoteの最後に。
【イジメに加担する事で強く見られる、強い側でいられる「保身」ができる】
いじめられっ子が蹴られて泣く姿が嫌だった。
やる側とやられる側が一方的に決まっているプロレスごっこには
近寄らないようにした。
しかし中1のとき、Aは
「Bを舐めるなよ。Bを舐めたら汚ないぞ」
という替え歌を歌ういじめに加わった。
「そうしないと自分が強く見せられない。
強く見せられないとやられるかもしれない。
同情は禁物。人は敵と思え。下手につきあうと大変だ。
友だちも信用しない」
邪悪な環境👹の世界の子どもたちは、
「いつ誰が裏切るか?わからない疑心暗鬼の修羅の世界」
「友達も保身ですぐ裏切るから信用できない」
「イジメに加担する事で強く見せられる(気がする)」
で生きていることが分かる。
ネトウヨが保身で
「弱者叩きをしないと、自分が強く見せられない。
強く見せられないとやられるかもしれない。
同情は禁物。弱者は敵と思え。下手につきあうと大変だ。」
と保身に走ってColabo叩き、維新が公務員叩きなどに嬉々として参加するのは、
正当な理由が何一つない、「自分を強く見せたい」エゴのため
である事がよく分かる。
【大日本帝国カルトや権力や警察は繋がって「権力保身ネットワーク」ができている】
「上の方は繋がって」いた。
嫌なことをされて”こいつ1人なら何とかなりそうだ”と思っても、
”その繋がりで何をされるかわからない”から、我慢した。
また「普通の人」同士で付き合っていても、人を信じることができなかった。
今付き合っている「普通の人」が、
「急に、上の方の奴らとくっついて何かするかもしれない」と思うのだ。
「上の方は繋がっていた」つまり、権力を握る者同士が癒着しているのは、
日本の「政財官が癒着」していることでも一目瞭然である。そして、公安を始めとする警察権力👮♂️や検察がこのテロリスト支配層を必死で法律を歪めながら
秩序を守っているのが、現状の腐敗構造であろう。




【喧嘩し続けて勝って多数派を作る=権力構造】
そして、つくづく「窮屈だな」と思った。Aは言う。
「いつも人の行動に注意してびくびく生きているというのは、みんなそう。
ボスだって、下のほうから突き上げが来て、喧嘩で負けると転落するから、
絶えず喧嘩に強くなければならないとか、
多数派をつくってなければいけないとか、
そういうのはあったと思いますよ」
Aが特につらかったのは、24時間つきあわねばならない宿泊行事だった。
何かされたというわけではなかったが、その雰囲気が嫌だった。
「恐怖のシステムみたいな感じでね。牢獄みたいなもんですね」
「何か、人に対して逆らっちゃいけないとかね、
いうことなんだ、基本的には、人の目を気にして生きるというのはね。
(中略)だから、家に帰るとホッとする」
Aは、宿泊行事に行く朝は腹が痛くなった。
教員は子ども集団の部外者であり、小学校の時は、教員よりも子ども同士が
怖かった。小学校6年のとき、いつもいじめられていた女子が、
「死ぬ」と3階から飛び降りようとして窓から身を乗り出した。
それを見て、男子も女子も「飛び降りろ」と拍手喝采した。
背中を蹴られて泣いていた子は、公立を嫌がり私立へ行った。
中学では生徒同士のいじめに加えて、さらに教員による「体罰」
(と呼ばれる教員による暴力)があった。
教員たちはこの中学校を、立派な学校だと吹聴していた。
中学に入学してしばらくは、誰が強くて誰が弱いのかわからず、
相手の出方を探り合っていた。そのときだけは、みんな態度が丁寧だった。
しかし、4月末にあった移動教室(合宿)のとき、ひとりのおどおどして弱そうな
生徒Bが、よってたかって脱がされた。
「当時ほら、まだ子どもだから、ま、皮が剥けてないってあるじゃないですか、
子どものあれが。それを無理矢理剥いて、見ろ見ろ、
みたいな感じで、ほかのやつらに見せるんですよね」
このとき指図していたのは「ボス」、指図に応じて包皮を剥き
「お前ら見ろよ、来いよ」と言っていたのが「とりまき」、
見たり見なかったりしているその他大勢が「普通の人」、
というふうにヒエラルキーがはっきりとあらわれた。
一方で、女子のグループも「ぶさいくな子」を被害者にしていた。
そして包皮を剥かれた少年と「ぶさいくな」少女は、
大部屋のなかに二人で閉じこめられた。
負けると権力を失って仕返しされるのを常にビビって常に恐れている
→公安や警察やネトウヨなどの子分を使って「必死で正義感ある国民を監視」
→フランス革命のように下のほうから突き上げが来て負けると転落するのを恐れる
のび太「悪いことをして怒られるの、当たり前だろ」と悪事を働けば、
公益通報や告発されて、糾弾されるのが当たり前なのだが、
維新の上山や片山元副知事がやたらと「クーデター」と印象操作しようと
しているのは、「群生秩序👹の中では、負けると権力を失って仕返しされる」
のを恐れてのことであることが伺える。





発達障害などの人が怯えて生きている理由
このようにいつどこで、誰からイジメられるか?わからない日本の環境では、
カーストの下位層の発達障害や女性や外国人といったマイノリティは、
「いつも人の行動に注意してびくびく生きていく」ことになる。
そして「息苦しく」「生きづらくなり」自殺が増えるのである。




体罰教師は、体罰するから「秩序を保てている」と勘違いし、
「自分たちが良い学校を維持している」と勘違いしている。

【ヒエラルキーの形成】
このようないじめのイベントを通じて、
こいつが強いのか?とか、
あいつがこいつの子分なのか?とか、
彼はいじめられそうだから仲良くするとあぶない、
といったことがはっきりあらわれてきた。
こういった身分が確定してくるにつれて、いじめはますます酷くなった。
闇バイトのように、首謀者、指示役、リクルーター、実行役など、
イジメの役割分担が決まっていく中で、
ヒエラルキーやカーストが形成されていくことが分かる。



【取り巻きに悪事をやらせる仕組み】
ボスは気まぐれでボコボコに殴ることがあるが、下の者たちがありとあらゆる
屈辱的な「いじめ」を行うのを、ニタニタ笑いながら見ていることが多かった。
「上の人たち」は、ことばによる侮辱を毎日、
けがをさせない程度の暴力を週に2、3回のペースで、
「2、3人のターゲット」をいじめていた。
ときには被害者がボコボコにされることもあった。
またBに対するオナニー強要が問題になって、
いじめグループが教員に呼び出しをくらったこともあった。

【男ボスの転落】
フラモン🐵は利害計算で、損すると逃げて離れる。
あるとき「ボス」が「ボス」の地位から転落したことがあった。
そのときは、「われわれ普通の人」も含めてみんな誰についたら得か?を考えながら、戦々恐々と「政変」をながめていた。
それまで「ボス」は教員に対して反抗的で、通りすがりに「ばかやろ」と言って
逃げたり授業中にうるさくしたりしていたが、
転落して「日陰者」になると、おとなしくなった。
一時は、安倍元総理の後継者として、首相にまで上り詰めた菅義偉だが、
権力を失って、パーキンソン病では?と噂されるほど、大人しくなったりして
地位から転落すると惨めになることがよく分かる。
また、日本のテレビ報道で、自民党の総裁選では、政策より、誰につくか?
など派閥や派閥の動向が注目されるのも、フラモン🐵の利害計算を
反映した報道なのだろうと伺われる。



【取り巻きが転落】
女子のグループでも、「とりまき」のひとりが集団無視をくらい、活発だった
のが急に変わった。彼女はそれまで、授業中いいかげんな態度をとっており、
「体罰」をしない教員には当てられても「わかんねえ!」などと対していたが、
急にふざけた態度をとらなくなった。
また彼女は、クラスのいじめ被害者をいつも罵っていたが、それもなくなった。
【手なづける保身汚職教員たち】
暴力をふるう教員たちは、「ボス」たちと「なごやか」に「友好的」に話をする。
この教員たちは、ちょっとした校則違反でも「普通の人」たちに暴力をふるうが、
ボスたちが「変ないろいろなもん」を持ってきても大目にみる。
「ボス」たちは、「普通の人」が食べ物やゲームなどを学校に持ってくると、
「なんでそんなもん持ってきてるんだ」と脅しをかけてくる。
体罰をする教員は、「イジメ加害者に媚びを売って」地位を保っていることが
分かる。つまり、体罰教員は、細かい校則にはうるさく「ルールに厳しいフリ」を
するが、一方で、暴力や犯罪禁止などの法律に対しては、「意図的にイジメを見て見ぬフリ」をして、「イジメの悪化を助長している」ことが明らかである。
つまり、暴力教師は「ただのダブルスタンダードの卑怯者」が正体であることが
分かる。
この辺は、イジメ自殺させた内田梨瑚容疑者が警察官👮♂️を性買収して癒着して、
捕まらないように、工作していた「旭川市の汚職警官と同じ」ようなもの
であろう。親から警官買収の手口を学んでいた可能性も高いと思われる。



【舐められたら終わりの世界で教員が暴力を振るう】
あるとき「とりまき」のひとりが3階の教室から、「ボスとツーカーの」教員の
ひとりに「○○のばか」というようなことを言った。その教員は血相を変え、
駆け上てきて、その生徒をボコボコに殴った。生徒は鼻血を出し、
目が腫れ上がり、顔には「あおたん」ができていた。
教員はうずくまった生徒をさらに蹴っていた。生徒は終始無抵抗だった。
教員は何か怒鳴りながら、生徒に机を投げつけた。

【巨悪を庇うことで出世するシステム】
その後に担任がやってきて「何あったんだ」と聞いていた。
担任は学級委員を職員室に呼びだした。
学級委員は「普通の人」から選ばれる。
学級委員は「ぼくらが悪かった」と泣いて帰ってきた。
担任は学級委員に「おまえらが悪いんだから、おまえらの責任だ」と
「こっぴどく言った」そうである。「怒らせたのが悪かった」と。
その後、Aは、この教員が生徒にホースで水をかけ続けるのを見た。
水をかけられた生徒は泣いていた。
この教員は後に輝かしい昇進を遂げたそうである。
「怒った教員がおかしい」にも関わらず、目上の教員を「怒らせたのが悪かった」と「おまえらが悪いんだから、おまえらの責任だ」と「巧みに責任転嫁」し、
「常に顔色を伺って怯えさせる従順な人間」に洗脳🧠することで、
「優れた指導力ある教員として出世させる仕組み」を構築しているのである。
教員に対する評価が根本的におかしいのである。


第4章2節3項 身分不相応は大罪
【大日本帝国と同じで祭りを指揮する事で権力を確認し自己陶酔を得る】
ここで「ボス」は、自分を中心とした勢いで<祝祭>を仕切ることによって、
「コントロールするパワーに満ちた自己」という全能を自分に対しても他人に
対しても現実化する(<祝祭>)については第3章参照)。
「とりまき」も<祝祭>の勢いにあやかることで、同じような全能を身分相応に
自己の側に具現する。このように全能をこの身にあらわす「ボス」や「とりまき」は、やり、やらせ、見せる。
「ボス」は、自分の示唆に対して「とりまき」が創意をこらし、被害者が悲痛を
あらわし、周囲が拍手喝采し、自分を中心とした全能の域=<属領>が賑わう
のを見る。生徒を囲い込む学校の空間は、このような<祝祭>の積み重ねに
よって、グループの<属領>になっていく。
「とりまき」は、「率先してイジメに加担する」によって立場を上げる。
会社では、「率先してパワハラに加担する」「率先して不正に加担する」ことによって、「気が利く部下」「気が利く女性」として立場を上げていく。
高市などが出世したのもそのためであろう。
【法やルールを逸脱することが身分特権(いきがる権利)】
身分は、この<祝祭>の全能をどれだけこの身に宿せるかによって決まってくる。
ノリの秩序(👹群生秩序)においては、身分不相応なふるまいは大罪である。
身分不相応に個人でノッていたり、勢いづいていたり、輝いていたりすると、
徹底的に痛めつけられる。また教員に逆らうとか、「校則」に違反するものを
学校に持ってくるといったことは、身分特権(いきがる権利)として
位置づけられる。
日本で「障害者への合理的配慮」がイジメの原因になる理由
例えば「障害者への合理的配慮」が日本社会で難しい理由も、群生秩序👹から
簡単に理解できる。ノリの秩序(👹群生秩序)においては、身分不相応なふるまいは大罪である。
「障害者への合理的配慮」として、「特別扱いすること」は、
「欠陥人間として低い身分である障害者」が「身分不相応に調子に乗っている」とみなされ、「身分不相応な大罪を犯している」ことになるのである。
なぜなら、「合理的配慮」として1人だけデジタル機器を使うことを許し
「特別扱いすること」は、ルールに違反するモノを持ち込めるイジメ加害者たち
の「身分特権(いきがる権利)」を”侵害する行為だから”である。
【デカイ態度やイキガル態度は特権であり、特権階級から落ちると大人しくなる】
だからノリのグループは、「普通の人」が学校に食べ物やゲームを持ってくるの
を許さない。また、「ボス」が「ボス」の座から引きずりおろされたり、
「とりまき」がグループから無視されたりすると、いじめや教員への「反抗的」
な態度は、それが身分的な位置のあらわれ(分際)である限りにおいて
影をひそめる。彼らの、表情や、声の抑揚や高低や、その他さまざまな
生気づいた態度は、「ノリの秩序のなかで与えられる身分的な位置によるもの」
なのである。
空騒ぎしながらひたすらノリを生きている中学生のかたまりは、無秩序・無規範
どころか、こういったタイプの集団的全能具現の秩序に隷従し、はいつくばって
生きている。ところで、こういったことのすべては「やっても得こそすれ、
損をしない」という計算の上で成立している。
(筆者の聞き取り調査より)
【悪ノリに加担する事で「保身を図る」】
<祝祭>で悪ノリするときの存在感は、群れのなかでの有利な身分や勢力を
与える。「いじめ」による<祝祭>は脅しによって力を顕示し、
自己勢力を拡大する合理的な戦略にもなっている。
要するに<祝祭>に参加して全能を求めることは、自分の身を守り、自分の勢力
を拡大する合理的戦略を兼ねている。
ただ、面白いから悪事に加担するだけでなく、「悪ノリに加担する事」で
「①自分の保身」と「②自分の勢力を拡大する」と言う2つの利害が得られる
ため、積極的に悪ノリに加担していくのである。
典型的なのが「ビジネス右翼」と呼ばれる人たちであろう。
「ビジネス右翼」の悪ノリして勢力拡大の例
典型的なイジメの例として「ビジネス右翼」たちが共謀して、
レイプ被害者の「伊藤詩織」さんを誹謗中傷して、デマを流し、
徹底的に貶めた「セカンドレイプ」の例が挙げられる。











【自壺党🏺の権力争いと同じ】
悪事に加担する事で保身を図る。
ノリの小社会は、「生き馬の目を抜く」ように、いつ何どき仲間内で
足をすくわれるか?わからない過酷な環境である。
「ボス」ですら、絶えず「強さ」を実演し、多数派工作をし続けていないと、
いつ転落するかわからない。いじめの<祝祭>に参加し、群れの空騒ぎに
紛れこむことは、自分が被害者になる可能性を減らす。
「とりまき」や「普通の人」は、見通しがきかない人間関係のなかで、
自分がいつ被害者に転落するかもしれない不安な日々を生きる。
彼らにとって<祝祭>に参加することは、「舐められない」ように強く見せかけ、
大勢のなかに紛れ込む「保身策」となる。
【悪ノリする権力ゲームは自己陶酔感と利害が絡み合っている】
集団生活で悪ノリする権力ゲームは、他者コントロールの全能追求で利益を
最大化できる、あるいは利益のためにこの全能追求に「気合いを入れ」なければ
ならない利害構造に支えられている。
このように「全能の半面と利害の半面」は、「緊密に支えあって」いる。
【五輪や万博や都構想の選挙や選挙などの<祝祭>を取り仕切ることで権力を維持する】
権力が弱ければ<祝祭>を遂行するのが困難になる。
また<祝祭>がなければ権力は人が凝集する仕掛けを失って弱体化する。
<祝祭>は権力にとってイベント資源となっている。
そして権力と<祝祭>がこのように支えあう積み重ねから、事例で示したような「祭政一致的なノリの政治空間」が生じる。
例えば、自民党や維新が、「五輪や万博」などのイベントをやりたがるのも、
神社本庁⛩や日本会議⛩や統一協会🏺が「祭事をしたがる」のも、
会社が飲み会やボーリング大会のイベントや、ツアー旅行などしたがるのも
それを信者たちや社員に見せつけて、「権力を誇示する狙いがある」からであろう。逆に言えば、選挙や万博などのイベントが無くなれば、”急速に弱体化する”
から、”万博を止められない”のもあるのであろう。住民投票、選挙、万博など
”動員すること”によって、”組織の結束力を保っている”からである。
維新だけでなく、神社本庁⛩や日本会議⛩も、地域で「地元の企業やヤンキー共を動員」して”祭りや選挙”を開催して、”結束させることで権力維持”をしている
構造がある。これは伝統仏教などのイベントや祭事も同じである。
なので、日本会議⛩のカルトたちは、「大日本帝国の神社⛩のイベントが必要」であり、なんとか「義務化&強制化」しようと躍起になっているのである。
「軍事パレードと同じ」ように、イジメとは少し違う「祭りや選挙に動員する」
ことによって日本会議⛩や創価学会🍘の権力を誇示する狙いがあるのである。
そして、そこで地元でのヒエラルキーや自分のポジションが確立されるのである。




【事例14】の生徒たちにとって権力とは、他者コントロールの形態を用いた
全能具現の営為であると同時に、利害構造のなかでの戦略的行為でもある。
利害構造のなかの戦略的合理性という観点からは次のように言うことができる。
<祝祭>(悪ノリ)は人びとの戦略によって導かれ、この<祝祭>を通じて
当の戦略がさらに合理的となるような政治空間ができあがっていく。
そしてこの政治空間のなかで、<祝祭>はますます戦略的に合理的なものになる。
この繰り返しの中で、巻き込まれた者たちの内的モードは、心理的断片群が
瞬時に群れの勢い(空気)に応じて作動する、「群れ人格👹」のモードへ
転換していく(図3のBモード)。


こうして、保身と勢力拡大の手立てを計算しながら、バカになって悪ノリする者
たちが生み出す心理-社会的な政治空間が完成していく。そしてこの政治空間を
成立平面として、さらに次の時点での権力と<祝祭>が生み出される。
このようなループが回り続けるとき、政治空間は動かしがたい社会的現実になる。
そしてこの社会的現実のなかで、いじめはどんどんエスカレートしていく。
「伝統として」この政治空間を成立平面として、さらに次の時点での
権力と<祝祭>が生み出される。
恐らく、世襲の自民党議員の息子などが、青年会議所(JC)の会頭などになり、
地元の祭りなどのイベントを指揮することで、「権力やヒエラルキーを誇示」し、
組織票や動員力を得る仕組みができているのであろう。



第4章3節 制度の問題へ
第4章3節1項 利害構造はたやすく変わる
まず、これまで述べたことを振り返ってみよう。
権力の骨組は利害図式(図14)から構成されている。
このかたちが、思い通りにならないはずの他者を思い通りにして全能気分を味わう
ための筋書(他者コントロールの全能筋書)に転用される。
本書で扱う権力は、いわば「利害図式を骨格」とし、
そのまわりに「生臭い歪んだ権勢欲」という肉がこびりついててきている。

ところで、利害図式を骨格とする権力は、それを取り囲む「何をすればどういう
損や得をするか?誰が誰に対して、何をすることができ、何をすることが
できないか?」といった生活環境の利害構造に枠づけられている。
こういった利害構造が、権力を枠づける鋳型となっている。
制度や政策が変われば、このような生活環境の利害構造は容易に変わる。
たとえば内申書制度が廃止されれば、教員は気にいらない生徒の将来を断ち切ることを「やりたくてもできない」。
学校に法が入れば、気にくわない人を「殴りたくても殴れない」。
学校が閉鎖的でなく、人間関係を選択できる自由度が高ければ、
「友だち」を「シカト」で震えあがらせることはできない。
制度や政策を変えることによって、生活環境の利害構造を容易に変化させる
ことができる。生活環境の利害構造が変わると、それを鋳型にして生じる権力
のありかたが変わる。そして、権力のあり方が変わると、他者コントロールの
全能がはびこったり衰えたりする仕方も激変する。
第4章3節2項 学校という環境
生徒たちがどのような集団心理-利害闘争の政治を生きることになるか?は、
大局的には、学校がどういう風に制度・政策的に設計されているか?
によって決まってくる。
先の【事例14】が示すような政治空間は、制度・政策的な環境の効果として蔓延する。本当は一緒にいたくない迫害的な「友だち」や「先生」も
終日ベタベタしながら共同生活をおくらなければならないという条件に、
さまざまな強制的学校行事が重なる。
さらに暴力に対して司直の手が入らぬ無法状態であるということが、
この事例ような集団心理-利害闘争の政治空間がはびこる好条件を提供している。
逆に、このような観点から👹群生秩序を衰退させようと計画された制度改革は、
若い人々の生活の質(Quality of Life)を著しく向上させるだろう。
次の第5章では、現行の学校制度がもたらす環境の効果について述べる。
続けて第6章では、教育制度の改革案を示したい。
例えば、👹群生秩序を衰退させようと計画された制度改革が、
若い人々の生活の質(Quality of Life)を著しく向上させた例として、
発達障害児で海外🌍に移住して、海外の学校🏫に通うと
おかしな暴力教師や、おかしな校則がないため、
問題なく楽しく学校に通って成績も伸びる例が多数報告されている。
これは、「👹群生秩序が働かない」海外の学校制度が理由だと考えられる。


保身に走る親子の言い訳(漫画)
イジメられてるハルコちゃんの
イジメの現状を親が調査して把握していきます。























マルティン・ニーメラー牧師の警句🚨


書籍紹介
🏫イジメとネトウヨの棲息地👹⛩シリーズまとめ(INDEX用)
民主主義を破壊する反共カルトと戦犯シリーズまとめ(INDEX用)
伊丹万作「騙されることの責任」
もちろん、「騙す方が100%悪い」のは紛れもない事実である。
その上で更に「騙されることの責任」を考えよう。

もう一つ別の見方から考えると、いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
つまり、騙す者だけでは戦争は起らない。騙す者と騙される者とがそろわなければ戦争は起らない。一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。騙されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
伊丹万作「戦争責任者の問題」より
