民主主義を破壊する反共カルトと戦犯③-11🏫イジメとネトウヨの棲息地11👹⛩[中間集団全体主義③(ナチス化🇩🇪と鬼畜育成学校制度👹)]
民主主義を破壊する反共カルトと戦犯③-11🏫イジメとネトウヨの棲息地11👹⛩[中間集団全体主義③(ナチス化🇩🇪と鬼畜育成学校制度👹)]
表向きの🇯🇵社会では、なかなか見かけないが、ネット上では暗躍して、
まともな日本人🇯🇵を嬉々として集団で迫害したり、虐殺に追いやったりする
ネトウヨと言う「鬼畜👹が実在」しています。薄々気づいてる人も多いですが、残念ながらこれは、ファシスト👹やナチズム🇩🇪との闘いであり、放置すると、
犠牲💀や被害が広がる一方で、もはや避けては通れない🇯🇵社会問題に
なりつつあります。しかし、ネトウヨはあれだけ大勢居ながら、奴らの生態は
資料や研究もなく、全く分かっていません。このシリーズでは「イジメ」
を介して、その発生や生態を読み解いて解明していこうと思います。
内藤朝雄氏📕の「いじめの構造」はやや難解なので、独自の解説を加えながら、
その「イジメの構造と鬼畜👹の実態を明らかに」していきます。

第5章2節2項 秩序の変容
【閉鎖的な密告制度変化で「👹群生秩序優位」になってナチス化🇩🇪する】
市民社会的な制度・政策的マクロ環境X👼から、学校や文化大革命や隣組などの
構造的に共同体を強いる制度・政策的マクロ環境Y👹へと、マクロ環境が
変化すると、社会の津々浦々で、「秩序の生態学的布置」が「👹群生秩序優位」になり、「あたりまえ」の現実感覚が変わる。
【モラ(NPD)が覚醒して威張って暴れ出す】
そして社会の隅々で、「卑屈な人間が暴君になり」、
「ニコニコ愛想いいお店のおじさんが怒鳴り散らす」
(後出【事例18・近所の人たちが狼に】)と
いった出来事が蔓延し出す。
また、優等生風の女子中学生が、ヒューマニズムを語る講演者を睨みつけ、
「死んじゃった、それだけです」と、
自分たちの小さな世界の常識を学校の来客に説明するようになる
(【事例3・遊んだだけ】)。
「卑屈な人間が暴君になり」、「ニコニコ愛想いいお店のおじさんが怒鳴り散らす」これが、ヘイトに便乗した調子に乗った自己愛性パーソナリティ障害(NPD)
のジジイやババアやおっさんやオバハンが保身や強欲から本性を晒して
「ネトウヨ化現象」する現象なのであろう。
第5章2節3項 まるで夢から覚めたかのように
このように考えると、👹群生秩序をはびこらせないために何をしたらよいか?
が明らかになる。
市民社会的なマクロ環境X👼のもとでは、👹群生秩序の圧倒的な優位が社会の隅々に憂延することはない。
次ページの図18のように、制度・政策的マクロ環境がYタイプ👹からXタイプ👼に変化すると、それに従って社会の隅々で、👹群生秩序よりも👼市民社会の秩序が優位になり、それにともなって人々の現実感覚も再び反転していく。

たとえば日本の敗戦とともに、かつての隣組で怒鳴っていた迫害者は
「ニコニコ愛想いいお店のおじさん」に戻り(後出【事例18】)、
大日本少年団の「小権力者は社会が変わると別人のように卑屈な人間に
生まれ変わった」(第7章)。
また学校の集団生活で残酷ないじめにふけっている者👹ほど、市民社会の論理👼が優勢な場面では「おとなしく、存在感の薄い」少年に変貌する。マクロ環境の変化とともに、こういったことが社会の隅々で一斉に起こるのである。


【モラ(NPD)があたかも別人のように偽装する】
このとき、人々は利害計算の値に反応していると同時に、夢から覚めるように、
内的モードがごっそりと別のタイプに切り替わっている。
下記は、ドラゴンボールの「ランチ」と言うキャラだが、清楚でお淑やかな女性が
クシャミ一つで、マシンガンをぶっ放す女ギャングに変身する。
また、こち亀の「本田」と言うキャラは、普段は大人しく気弱な男だが、バイクに乗ると顔つきが変わりオラオラキャラになる。このように、場所などをきっかけにまるで、別人のように変身することから「夢から覚めるように、内的モードがごっそりと別のタイプに切り替わっている」のイメージに役立つと思われる。


次の事例では、学校共同体から脱した女性が、まるで夢を見ていたかのように、
いじめにふけっていた数年間を回想している。
【事例16・フシギな気持ちです】
この女性が小学6年生のとき、同級生のA子とB男をクラス全員でいじめ、
A子を自殺未遂にまで追い込んだ。
「私たちにはホンの少しも罪の意識はなかった。
それどころか、いじめる楽しみで学校に通っていたような面さえありました。
冷たいようですが、彼らのことを"かわいそう”
と思ったことは一度もありませんでした。」
「もちろん、今では当時のことを深く反省しています。
クラスの他のみんなも私と同じ気持ちでしょう。
”なんであんなことをやったんだろう”とフシギな気持ちです。
(中略)先日、本屋さんで、たまたまA子と会いました。
私たちは”大人”になっているので、常識的に笑顔で世間話をしました。
だけど、彼女の心の中は、
いじめられた思い出でいっぱいだったんじゃないでしょうか。
私にしても、バツが悪くて、裸足で逃げだしたくなりましたから」(19歳女性)。
(土星守監修、週刊少年ジャンプ編集部編『ジャンプいじめリポート』集英社)
【閉鎖的なカルトのエコチェンバー内に居るとモラ(NPD)は自己陶酔で万能感を得る】
学校で「👹群れの生活をしているとき」と、「👼市民としての日々を送っているとき」とでは、生きている現実感覚が激変しており、そのことが当人にも
よく理解できていない。ただ、自分が変わったとしか意識できない。
当人は「フシギな気持ちです」としか言いようがないのである。
悪事や犯罪が明るみに出て、太陽の光が当たると消滅する「鬼滅の刃の鬼👹」
のようなイメージを持てば良い。

筆者は第1章で次のように述べた。
「加害生徒たち(そして教員たち)は、
自分たちが『学校的』な空間の中で生きていると感じている限り、
自分たちなりの『学校的』な👹群れの生き方を堂々と貫く。
彼らが、そのようなふるまいをやめるのは、
👼市民社会の論理に貫かれ、もはや『👹学校的な生き方』が
通用しないと実感したときである」
ここから、社会の仕組みを変えることによって、なくてもよいはずの生の苦しみ
を雲散霧消させる希望が開ける。「もはや『👹学校的』な生き方が通用しないと実感」するように、制度的に生活環境を変えれば、このような事態は、
「あれは何だったのか?」と思えるような仕方で、
夢のように消えてしまうのである。ここに希望がある。
ただし、自己愛性パーソナリティ障害(NPD)の全能感(=自己陶酔感)は、
特性であり、表に出なくなっても、家庭など閉鎖的な空間を作っては、
妻子を虐待する例は枚挙にいとまがない。
本能的にひとときも大人しくできず、加害欲の執念も異常なため、
自己愛性パーソナリティ障害(NPD)やサイコパスといった存在の扱い方も
肉食動物と草食動物の共生が不可能なように、再検討していく必要がある。

第5章 コラム2:いじめは日本特有か?
しばらく前まで、「いじめは日本特有🇯🇵」という先入観があったが、
一定の環境条件下では世界のあらゆる地域で蔓延しうる。
決して日本固有のものではなく、アメリカ🇺🇸でも酷いイジメがあり、
それを学校や大人が放置していたことにより、加害者への復讐のために、
銃の乱射事件なども起きており、決してイジメを軽視しては
ならない事はよくわかる。
【モラ(NPD)が居るのでイジメは世界中どこでもある】
たとえば、日本より成熟した社会であるかのように誤解されがちな英米圏や北欧圏でも、学校が若い人たちの生活をトータルに囲い込む共同体のスタイルをとっているので、いじめの酷さはかなりのものだ。
日本人🇯🇵やドイツ人🇩🇪など、元々自己愛性パーソナリティ障害(NPD)が多く、
「群生秩序👹」を好んですぐに再生してしまう民族も居るが、どこの国でも
自己愛性パーソナリティ障害(NPD)は居て、放置したり、権力を握らせてしまうと、ネタニアフ🇮🇱のようにモラ(NPD)が独裁者になった閉鎖的な社会では
🇵🇸虐待が横行し、優生思想が蔓延し、🇵🇸ジェノサイド💀が起きる。
ジェノサイド💀を引き起こすのは自己愛性パーソナリティ障害(NPD)と言う
認識で、よく管理しないと、国を戦争に導き自滅させることがよくわかる。
イギリスの社会学者🇬🇧のスミス🇬🇧とシャープ🇬🇧によれば、同国では毎年6〜7人の🇬🇧若者がいじめを理由に自殺している(スミス&シャープ編「いじめととりくんだ学校」ミネルヴァ書房)。イギリス🇬🇧の人口がだいたい日本🇯🇵の半分であることを考えれば、かなりの数である。
日本の10代の死因の1位が自殺💀である。
しかし、学校の過酷な環境など無視して、ノホホンと
カウンセリングサービスを提供している辺り、ビジネスしか考えていない
事が明白である。大人の無理解が悪化させている要因の一つである。

同じく社会学者のオルウェーズ🇳🇴によれば、ノルウェーでは生徒の7人に1人がいじめにかかわっており、スウェーデン🇸🇪のいじめはもっと酷い。
(Olweus,D.Bullying at School,Blackwell)。
彼は同国の新聞記事から次のような事例を取り上げている。
【事例17・クラスメイトの玩具】
13歳のジョン🇳🇴は、2年間にわたってクラスメイトたちの玩具にされた。
ジョンはカツアゲされ、雑草を食わされ、洗剤入りの牛乳を飲まされ、
便所で殴られ、音に紐を結ばれ、「ペット」として引きまわされた。
取り調べを受けた加害者たちは「面白いからやった」と答えているそうだ。
(オルウェーズ前掲書より)
【モラ(NPD)は閉鎖的でバレないと鬼畜化👹する】
人間は天使でも悪魔でもなく、いわば天使と悪魔の混ぜものである。
13歳ぐらぐらいになれば、「やっても大丈夫」な密室状況であれば、一定数の
者がこれぐらいのことをことを平然やる。
日本人🇯🇵であるないに関わらず、である。
【虐待や迫害をやってもOKな場所になる理由は?】
大事なことは、なぜ「やっても大丈夫」な状況が2年間にもわたって続いたのか?
なぜ学校が「やっても大丈夫な特別な場所」と受けとられ(状況定義され)
てしまうのか?ということだ。これは制度・政策的な環境条件のせいである
といってもよい。
大切なことは、どういう制度・政策的環境条件下で、どういうタイプの集団に、
どういうメカニズムでもって、いじめが蔓延しやすくなるか?、ということだ。
学校と言う閉鎖的で、「未成年だから」と、法の秩序及びにくい環境で、
自己愛性パーソナリティ障害(NPD)やサイコパスが、全能感(=自己陶酔感)
を求めて、イジメを始めやすい傾向が見られる。
ギャングや悪党が、闇バイトなどで、幼過ぎて刑事責任を問われない
子どもを殺し屋として、チャットアプリ経由で雇っているなど、
悪党が法の隙間を狙って、凶悪事件を拡大していることが伺える。
【「藩校ではなく、地域を舞台」で暴れてた】
たとえば江戸時代の薩摩藩は、地域コミュニティ(郷中)を舞台として青少年(年少を維児(ちご)、年長を二歳(にせ)という)を濃密に囲い込む、
独特の自治的集団教育(郷中教育)を振興していた。
稚児や二歳たちがくりひろげるマッチョな暴力(そしてあの有名な薩摩の同性愛)は、「藩校ではなく、地域を舞台」にしていた。地元のマッチョな勇士たちも、
「藩校では比較的おだやかで礼儀正しく振る舞っていた」という。
郷中教育の精神には、「良いことも書かれている」反面、実態としては、
全く守られておらず、イジメやギャングの巣窟になっていたことは、
以降、見ての通りである。

このことは、教育勅語にも同じことが言え、「良いことも書かれている」反面、
実態としては、全く守られておらず、教育勅語を称賛する議員は、全員が
違法な裏金💰作りをしていると言うことで、「教育勅語や道徳」が
イメージロンダリングの隠れ蓑になっている事が明らかになっている。







【「学校を培養基にして地域に露出」】不良グループが起源
それに対して現代の日本では、青少年のいじめの多くは学校を舞台としているか、
「学校を培養基にして地域に露出」している。
しばしば陰惨なリンチ事件を起こす「地元」のチンピラ風若者グループの多くは、
中学校の人間関係がその起源となっている。学校で暴力やいじめにふけっている者も、町の八百屋や自動車教習所では礼儀正しい市民として振る舞う。
郷中を舞台に、地域を舞台に暴れているのは、今も同じで、ヤンキーや半グレ、
不良や暴走族や闇バイトなど、「地元」のチンピラ風若者グループは
「地元の中学校や高校の人間関係がその起源」だと考えられる。
なので、前に出てきたように、「地元の仲間や先輩・後輩が自慢」であったり
するので、彼らにとっては「地元大好きアピール」「地元ファースト」が
”仲間の合言葉の一つ”だと考えられる。余所者が言うと喜ぶ。
また、青年会議所(JC)や商工会議所など、地元の経済団体内でのヒエラルキーが
「村や町の群生秩序👹」となっており、体育会系や土建屋は「表では礼儀正しく振る舞って見せる」が、荒れた暴走族なども動員し「裏で鬼畜化👹する」
事が伺える。また、そのネットワークが「大日本帝国のスパイネットワーク」
であり、「選挙の組織票」や「村八分」や「イジメ自殺事件の隠蔽」や
「地元の不祥事の隠蔽や口封じ」「デマや悪評の流布」などを生み出すこと
が伺える。
サラリーマン金太郎の例
例えば、創作マンガではあるが、サラリーマン金太郎の例が分かりやすい。
「暴走族」だった金太郎が、土建屋建設業の会社員になって活躍する話である。



土建屋建設業の「元暴走族」の新入社員になるところから始まる。
初出勤では「暴走族(軍団)の群生秩序👹」に沿って、
仲間を連れて初出社したりするような「軍団の繋がり」が
維持されてる事がわかる。


また、ストーリーの途中でも、会社の様々な危機に際して、
「軍団の繋がり」を復活させて、「暴走族仲間を再集結させて」
引き連れて会社のトラブルに対処したり、あるいは、トラブル
になった相手の反社ヤクザ組織に「元軍団仲間反社がいて従う」
など、「悪事仲間である暴走族(軍団)の繋がりはずっと続く」
仕組みになっていることがわかる。
サラリーマン金太郎は、マンガであり、「正義感が強い男」
として描かれているため、反社性が少ないが、大半の「元暴走族」
は、正義感のないチンピラであることは想像に難くない。



残念ながら、マンガとは異なり、「”自殺偽装”して踏切で社員を殺害」した
塗装工事会社「エムエー建装」の社長と社員のように強欲で卑劣な社長と社員
なったり、産業廃棄物処理業「泰幸」の専務のように、日常的に
「股間を蹴り上げたり、バットで殴る」、あるいは、岸和田市長の輪姦性加害事件
ような鬼畜👹になっているのであろう。





【「いじめの培養基の所在と制度・政策的環境条件との関係」】
これは一定の制度・政策的環境条件のなせる技である。
世界のさまざまな地域や歴史上のさまざまな時点を比較研究してみると、
「いじめの培養基の所在と制度・政策的環境条件との関係」が
明らかになってくるだろう。
二宮皓によれば、世界の学校は、
①若い人の生活をトータルに囲い込むことを期待されるタイプ(英米型)と、
②もっぱら勉強を教えることを期待されるタイプ(大陸型)と、
③学校ではなく地域集団のほうで集団主義教育をするタイプ(社会主義型)
の3つに分類することができる。
アメリカ🇺🇸やイギリス🇬🇧などの学校は、
若い人たちを濃密に囲い込むタイプ(英米型)であり、
それに対してドイツ🇩🇪やフランス🇫🇷などの学校は、
そういうことを期待される傾向が相対的に小さい(大陸型)という。
(二宮皓編著『世界の学校』福村出版)。
【「地域軍団型」が反社やジェノサイドの温床】
しかし、世界の国々の教育政策は錯綜しているので、
「英米」とか「(ヨーロッパ)大陸」といった名前よりも、
「学校共同体型」とか「学校教習所型」といった機能を示す名前の方が良い。
「社会主義型」は、「地域軍団型」に改めたほうがよい
(薩摩藩の郷中教育を社会主義型と呼ぶのおかしい)。
「学校教習所型」は、指導員による合格させないなどのイジメは起き得るが、
生徒同士では、ほとんど接点がなく、個別に自分のスケジュールに沿って
学習して行くだけなので、イジメは減ると予想される。
【ベタベタ濃密なモラ(NPD)や自壺党🏺好み型】
教習所型の場合、基本的に学校は乱暴なことを「やっても大丈夫な居場所」
ではない。学校は共同体とみなされないので、自分たちのムカツキを受けとめる
容れ物、あるいは包み込む子宮のような空間とはみなされない。
暴れたらあっさり法的に処理され、学校のメンバーシップも、
しばしばあっさり停止される。
それに対して日本🇯🇵は「生活を囲い込んでベタベタさせる」学校共同体型の、
極端に突出したタイプである。その極端さが「日本的🇯🇵」と呼ばれてきた。
【統一協会🏺や伝統仏教や自衛隊の”集団修行型”も
「生活を囲い込んでベタベタさせる」洗脳環境🧠】
日本にかぎらず、世界中の「生活を囲い込んでベタベタさせる」「学校共同体制度」が、程度の差はあれ、若い人たちを本書で描いてきたような境遇に
追いやっている。いじめは、日本特有🇯🇵ではなく、世界共通(あるいは人類管画)の心理-社会的なメカニズムによって蔓延し、世界共通(人類普遍)の心理・社会的なメカニズムによって減らすことができる。
自衛隊や海上保安、軍隊や警察も「生活を囲い込んでベタベタさせる」
環境であり、「イジメや性加害は陰湿で組織的」な事が、五ノ井さんの
性加害事件などから分かってきている。
フランス🇫🇷では、イジメ厳罰化が進み、イジメを犯罪として
扱う方向に進んでいる。

マルティン・ニーメラー牧師の警句🚨


書籍紹介
-
🏫イジメとネトウヨの棲息地👹⛩シリーズまとめ(INDEX用)
民主主義を破壊する反共カルトと戦犯シリーズまとめ(INDEX用)
伊丹万作「騙されることの責任」
もちろん、「騙す方が100%悪い」のは紛れもない事実である。
その上で更に「騙されることの責任」を考えよう。

もう一つ別の見方から考えると、いくら騙す者がいても誰1人騙される者がなかったとしたら今度のような戦争は成り立たなかったに違いないのである。
つまり、騙す者だけでは戦争は起らない。騙す者と騙される者とがそろわなければ戦争は起らない。一度騙されたら、二度と騙されまいとする真剣な自己反省と努力がなければ人間が進歩するわけはない。騙されたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘違いしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。
伊丹万作「戦争責任者の問題」より
