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ドーハの夜、橋の上で。【ふエ#16】/ ふりかえりエッセイ 16

前回は、阪神ファンになった頃の話だった。
今回は、若き日の体育主任が出張中に巻き込まれた、ちょっとした“珍事件”である。
今でも思い出すと笑えてくる、あの夜の話だ。


出張=合宿?体育主任たちの絆

今から三十年ほど前のこと。
大学院に行く前、和菓子プロジェクトをした学校で、私はバリバリの体育主任だった。

私の勤務する県では、翌年に県レベルより少し大きな研究大会を控えていた。
そのとき、市内の学校も大会で提案発表をすることになり、残念ながら(笑)発表者は私ではなかった。

ただ当時の市は、ちょうど体育主任の“黄金世代”だった。
同年代の主任が多く、水泳大会が終われば打ち上げ、陸上記録会が終われば打ち上げ、体操発表会でももちろん打ち上げ。
もはや「反省会」という名の恒例行事だった

発表者を支える空気も、ある意味そういう“仲間意識”から生まれていた。


体育主任の出張は夜に始まる

そんな中、発表者を応援するため、前年に同規模の研究大会が行われる広島県へ視察に行こうという話になった。
市内十一校のうち半分くらいの体育主任が参加。 どれだけ体育好きなんだと思う。

ただし前日の木曜は研修日で、日中は学校を抜けられなかった。
そこで出た結論は—・・・
「夜出て、車を交代で運転し、早く着いたら車の中で寝よう。」
体育主任は無駄に体力がある。
計画もだいたい勢いである。

集合は夜。
車は日産のワゴン、三列シートに小さなテレビ付き。
「おっ、夜中に日本代表の試合あるで!」 誰かが言った。
「それ見ながら行けるやん!」 遠足前の子どもみたいに盛り上がる主任たち。


沈黙のハンドルと、ため息のリレー

夜の高速道路。
ワゴンの小さなテレビには、日本代表の試合が映っていた。
車内は完全に居酒屋の二次会モードだ。

「行けー!」
「惜しいっ!」
「これ勝ったら、アメリカ行きやぞ!」
運転席からも「おおっ!」という声。
助手席の誰かがつぶやいた。
「この試合、歴史に残るかもしれんな」

結果的に、その言葉は当たっていた。
ただし、いい意味ではなかった。
このあと“日本中が沈黙する夜”になることを、私たちはまだ知らない。
そして、自分たちにも別の意味で“沈黙の夜”が待っていることも。

後半ロスタイム。
テレビの画面の時計が、異様に遅く見えた。
「もうすぐ終わるぞ!」
誰もが前のめりになった瞬間、あのボールがゴールに吸い込まれた。

車内に、言葉にならない「うわぁ……」が広がった。
テレビでも、解説者が声を失っていた。
全員がしばらく無言。
「……しゃあないな」
「惜しかったな」
そんな言葉しか出てこなかった。

そう、あの夜の試合。
それが、のちに“ドーハの悲劇”と呼ばれる、ワールドカップ最終予選の日本対イラク戦だった。
代表がアメリカ大会出場を逃した、あの歴史的な瞬間である。

そのわずか五分後。

「あれ、なんかおかしい」
運転席の声がした。

……こちらの悲劇も、幕を開けた。


笑うしかない夜の橋

車を路肩に寄せた。
エンジンが止まった。
「え? 止まった?」
「止まった。」
「……マジで?」
“悲劇”が二連続で起こるとは、誰が予想しただろう。

非常電話でJAFを呼び、三十分ほどで到着。
「ディーラーでないと直せませんね」
隊員さんが申し訳なさそうに言う。
まるで日本代表の監督みたいな顔をしていた。

「ここ、橋の上なんで、最寄りのインターまで牽引し,近くのディーラーの前まで行きます」
「島で降りて,Uターンして元のインターまで行けば三十分、渡りきると一時間ですね」

どちらにしても深夜のドライブ。
「せっかくやし、渡りきろうか」
誰かが軽く言って、全員がうなずいた。
冷静に考えれば何も“せっかく”ではない。

二人は牽引車へ。
残りは故障車へ。
私は後者だった。

「絶対に動かないでくださいね」 JAF隊員の声に従い、地蔵のように固まる。
斜めになった車内でひたすら一時間、沈黙の修行である。


学生時代の味に救われた夜

ディーラーの前についた。
さて、どうするか。
お腹も空いた。
あたりを探すと、24時間営業の「たいこ弁当」という店があった。

実はこの店、私にとっては懐かしい名前だった。
学生時代に住んでいた民間寮(前回登場した、阪神ファンのおっちゃんが経営していたあの寮)の近くにもあったのだ。


前回のはなし👇

深夜になると、よく友人と一緒に行った。
弁当だけでなく、おでんやうどんなどの軽食も食べられて、あの頃は「夜の食堂」みたいな存在だった。
この当時コンビニもほとんどなく,腹を空かせた学生にとって温かい店だった。

出典: Wikimedia Commons より 写真:「Taiko Bento Hirohata」(撮影:Corpse Reviver, 2009年) CC BY-SA 3.0 ※本イラストは上記写真をもとにAIでイラスト化した派生作品です。 派生作品も同一ライセンス(CC BY-SA 3.0)に基づき公開します。

まさか何年か後に、再びこのロゴに救われる夜が来るとは思わなかった。

店に入ると、湯気の立つおでん鍋が目に飛び込んできた。
「大根と卵、あと一本ずつね」 店員さんが笑顔で言う。
五人で分けて食べた。
あの時、心まで温まったのは、間違いなくおでんの汁と“たいこの思い出”だった。

結局、車の持ち主は車に戻ってディーラー前の道路に駐車して仮眠。
私たちは最寄り駅へ向かった。
始発までまだ二時間。
ベンチは風が通り抜け、手すりで区切られて横にもなれない。
1人は上着を丸めて枕にし、すぐに寝息を立てた。
「さすが体育会系、どこでも寝られるな」 誰かがつぶやいた。

笑いが小さくこぼれたあと、また静けさが戻った。


○○大橋の悲劇──笑い話になるまで

正直、研究大会の内容はほとんど覚えていない。
眠くて寒くて、意識がもうろうとしていた。
それでもなんとか公開授業や分科会に参加し、一日を終えた。
大会が終わり、車の持ち主に連絡するとすっかり直ったと明るい声だった。

帰りの車内は、行きの沈黙とは打って変わって明るかった。
眠気と安堵と、あの夜の“たいこ弁当”の思い出が、次々に笑い話に変わっていった。
「おでん、もう一皿頼んどきゃよかったな」
「いや、あそこで寝たのが奇跡や」
「ベンチより床のほうがあったかかったかもな」
そんな他愛のない会話が延々と続いた。
大会の話は一切出なかった(笑)

車窓には、行きに越えたあの大橋が見えていた。
まるで、もう一度笑いに変えるためにそこに架かっているようだった。
この一夜の出来事は、のちに市内の体育主任の間で“○○大橋の悲劇”と呼ばれるようになった。
だが、実際には悲劇でもなんでもない。

あの橋の上で止まったエンジンと、駅のベンチでの仮眠と、たいこ弁当の湯気。
全部ひっくるめて、あの頃の私たちの“若さ”と“勢い”そのものだったのだと思う。
それ以来、誰かがトラブルに巻き込まれるたび、決まってこの話が引き合いに出された。
「まあ、大橋の悲劇よりはマシやろ」・・・そんなふうに。

そして今でも、あの夜を思い出すたび、 あの湯気と笑い声が、どこかで立ちのぼっている気がする。

「ドーハの夜、橋の上で。」完

これまでのふりかえりエッセイマガジン👇👇


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