12枚のCDより強かった、阪神タイガース。【ふエ#15】/ ふりかえりエッセイ 15
たまには,堅い話ではなく,どうでもいい話を書いてもいいと思う。
いや,どうでもいいようで,人生のけっこう大事なターニングポイントだった……かもしれない話を。
地方民はまず巨人に染まる運命
子どもの頃、家のテレビは巨人戦しか映ってなかった。
「放映権とは何か」なんて概念を知らない小学生にとって、野球=巨人という方程式はもはや自然法則だった。
これは野球ファンというより「マスコミによる優しい洗脳」だったと今なら思う。
小学校の担任が、デーゲームの日本シリーズを教室テレビで見せてくれた。
最近では考えられない荒技である。
故・長嶋茂雄の現役引退試合もリアルタイムで見た。
――そら巨人ファンにもなる。
阪神県では、夜の食堂テレビがすべてを支配する
大学進学で、甲子園がある県に移住する。
私は民間食事付き寮に住んでいたのだが、食堂の大型テレビでは毎晩阪神戦。
寮のおっちゃん(経営者)が熱狂的阪神ファンで、試合の流れに合わせて毒舌も飛ぶ。
阪神が負けると、唐突に「ワシももうファンやめよかな」とか言い始める。
翌日は何事もなかったかのように応援している。
阪神ファンあるあるだと後で知ることになる。

角度によって見えにくくなったが,当時としては高価だったと思う。
とはいえ私は巨人ファンを貫いていた。
寮の観戦ツアーで甲子園に行ったときも、わざわざ巨人応援席に移動した。
同じく地方出身である鹿児島出身の友人と、こっそり「打倒阪神」と誓い合っていた。
今思えば若かった。
あと、ちょっと意地っ張りだった。
通勤1時間、CDチェンジャーが負けた相手
初任校を終え、山の学校に勤務した頃。
最初の年は学校近くの宿舎暮らしだったが、結婚してからは少し離れた麓(?)の宿舎から車で約1時間の通勤をすることになった。
当時の車には「12枚収納CDチェンジャー」という未来的な装備を搭載していたのだが、それでも1か月もすれば聴き飽きる。
ちなみに山の学校勤務時代は,バドミントンを指導していた👇👇
そこでラジオをつけたら流れてきたのが、道上洋三さんの番組。
この人の阪神愛は強烈で、朝から「昨日の○○の守備が~」と語り出す。
※この○○が誰だったかは記憶が曖昧だが、阪神ファンなら「たぶんあのへんの誰か」で察するだろう。
気づけば私も「ああ、○○な。うんうん。」と相づちを打っていた。
まずい。
虎の洗礼が静かに進行していた。
修学旅行で甲子園にさらわれ(ビール付き)
決定打は修学旅行の引率だった。
町内3校合同で、なぜか1泊分を使って甲子園のナイター観戦(しかも阪神応援席!)が組み込まれていた。
相手はヤクルト。
たぶん真弓がいた頃。

そして事件は観戦前の夕食時に発生する。
大広間にて、子ども側・教師側に分かれて座る。
「いただきます」と同時に――教師席に、ビール登場。
私(心の声)「いやいや勤務中やし!しかも目の前に小学生おるし!」 …が、管理職の先生たちは「おう、これこれ」と自然に杯を掲げている。
結局、私も流れに乗った。
今なら「教師が修学旅行でビール」は一撃アウトだろうが、時効という名のフェンスを越えたことにしておく。
でも当時は「先生も飲むんやなあ」と子どもたちも謎に納得していた。
時代ってすごい。
帰っても阪神が離してくれない夜
試合は延長戦へ。
時間の都合で途中で帰るが、教師一同「結果どうなった?」と宿でテレビをつける。
明日の打合せをしながら阪神を応援。
確かタイガースがサヨナラ勝ちをしたような記憶が・・・。
この「教師×阪神×甲子園の共有体験」は強烈だった。
そして私の中で、20年近く支えてきた巨人ファン魂が静かに引退する。
道上さんに共感する毎朝
その日から私は完全に阪神タイガースファンとなった。
朝は道上洋三。
寮のおっちゃんも遠くで笑っている気がする。
あの日のビールはもうとっくに消化されたが、阪神ファンになった理由だけは体に残っている。
気づいたら、道上洋三のラジオに「ほんまそれ」と返事する自分がいて、もう巨人には戻れなかった。
ただ、その後まさか“ロサンゼルスの青”に心を持っていかれるとは、あの頃の阪神ファンになりたての自分はまだ知らない。
【12枚のCDより強かった、阪神タイガース。】完
ふりかえりエッセイはマガジンにもしています。👇👇
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