第1回 バドミントン──教えるより学んでいたあの頃 【ふエ#12】 教師と運動の関わり 1/3
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今回のテーマは「運動記録」。 教員生活の中で、私がどんなふうに運動と関わってきたのか。 その印象的なはじまりは、まったく経験のなかった“バドミントン”との出会いからでした。
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はじめての顧問、はじめてのラケット
初任の2年間を地元で過ごし、3年目に赴任したのは山あいの小学校でした。 当時は「総合的な学習の時間」もまだ始まっておらず、ちょうど生活科が導入された頃。 私は体育主任を務めながら、3年間で5年生・3年生・6年生と担任をしていました。
着任してまもなく、校長先生から一言。 「うちの町では、社会体育としてバドミントンを指導してもらっているんですよ」
――バドミントン?
選手経験も指導経験もまったくゼロ。 体育は好きでしたが、いきなり顧問です。 もう一つ剣道のクラブもありましたが、そちらは地元の方が指導しておられたため、私は自動的にバドミントン担当に。
7時間目の体育館
町内には3つの小学校があり、それぞれに社会体育のバドミントン部がありました。 そのうちの一校には経験豊富な先生がいて、私にとってはまさに師匠のような存在。 練習方法を教えていただきながら、自分でも本を読み、練習メニューを研究しました。
放課後になると、体育館にはコツン、コツンとシャトルの音が響きます。 練習がない日の方が珍しいくらいでした。 教材研究や校務は、そのあと。 それでも不思議と疲れよりも充実感の方が勝っていました。平日の毎日1時間〜2時間の練習で,まるで学校の授業時間の延長でした。
できないから、研究した
最初の年は女子だけの部でした。 男子は自然と剣道へ。 町としては本当はサッカーを推したかったようですが、人数の確保が難しかったのでしょう。
私は「経験がない」とは言いたくなくて、とにかく学びました。 ラケットの握り方、フォーム、フットワークの基礎。 練習はランニング、準備運動、素振りから始まり、前後左右のダッシュ,ハイクリアー(シャトルを大きく飛ばす)などの基本練習を重ね、最後は試合形式へ。
本を読みながら、自分なりにメニューを組み立てました。 やがて自分用のマイラケットも購入し、子どもたちと打ち合いながらもフォームを研究。 子どもたちと本気で試合をして,「まだまだ負けないぞ」と若さにまかせて必死でした。

3年目には男子の希望者も現れ、低学年、たしか1年生からでも入部できるようになったと記憶しています。 人数が増え、体育館の活気もぐんと増しました。
指導者はプレイヤー以上に動く
町内3校による対抗大会もありました。 さらに、年に2〜3回は県大会もあり,年数回は実践形式の試合がありました。
町内の大会は,3校の教員が寄り合い,計画と運営。県大会には,出場手続き、選手名簿の作成、スクールバスの申請、保護者への案内などなど…。 練習の指導に加えて、事務処理もなかなかの量でした。
線審や得点係の仕事も子どもたちに任せるため、ルールやスコアの付け方も教えなければなりません。 もちろん、私自身も主審を務めたことがあります。
ラケットのガットがよく切れるので、修理道具を購入して自分で張り替えられるようにもなりました。 放課後の体育館は、まるで「バドミントン研究室」でした。
放課後が生んだ、優勝の瞬間
県大会には、町内3校に加えて、お隣の町、市内の学校などが参加していました。 当時はまだ参加チームは少なかったものの、どの学校も真剣そのもの。また,市内の会場までスクールバスで出ていき,日曜の試合も大変だったと今になれば思い起こされます。
その中には、のちにオリンピックの金メダリストを輩出することになる街中の学校も出場していました。 もちろん、当時その選手本人が出ていたわけではありません。 けれど、今振り返ると「あの試合の体育館にも、未来の芽が息づいていたんだな」と思わされます。
3年間のうちには、私の指導した6年生や3年生の子どもは決勝まで進み、優勝したこともありました。 当時,コートの横で一生懸命応援したことを覚えています。その決勝の相手は、隣町の小学6年生。のちに私が赴任する島の保育所で先生をされていた方です。 年月を経て再会し、「あのときの対戦、覚えてますか?」と笑い合ったとき、時間の不思議なつながりを感じました。
離島への赴任で不思議な再会👇👇
教えることで、教えられた
思えば、バドミントンとの出会いは偶然でした。 けれど、あの3年間で私は、運動の技術以上に“教える力”と“学び続ける姿勢”を学びました。
経験がなくても、やってみれば世界が広がる。 放課後の体育館の灯の下で、子どもたちと一緒に汗を流したあの時間こそ、 教師としての原点だったのかもしれません。
第2回 陸上の指導──夕暮れのトラック,4人の笑顔。👇👇
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