第2回 夕暮れのトラック、4人の笑顔。【ふエ#13】 教師と運動のかかわり 2/3
「秋の連続投稿チャレンジ」に合わせて、今回も“運動記録”をテーマにした記事を投稿します。 第2回は、私が地元の小学校で立ち上げた陸上クラブの物語です。 放課後、子どもたちが走ったあのトラック。その夕暮れが、今も胸に残っています。
第1回は,バドミントンの話👇
【目次】
任されたバトン、迷いのスタートライン
山あいの学校で3年間バドミントンを指導したあと、地元の小学校に異動しました。 後に研究大会,大学院派遣,和菓子プロジェクトの実践を実施した9年間在籍することになる学校です。 前任の体育主任は陸上の指導に熱心だったそうで、着任早々、同僚からこう言われました。 「今年も有望な子がいるから、ぜひ頼むよ」
その一言に、少し身が引き締まる思いがしました。 見に行った練習では、すでに動きがしっかりしていて、自分のやり方をどう生かせばいいのか迷いました。 それでも、できる限りの声かけとフォームの確認を重ね、一緒に大会に向けて取り組みました。

迎えた秋の県小体連(小学校体育連盟)陸上運動記録会。 有望と聞いていた子は見事に自己ベストの記録を出し、結果は0.01秒差の2位。 あと一歩優勝に届かなかったものの、その懸命な走りを見て胸が熱くなりました。 と同時にちょっとした悔しさも。あの瞬間、自分の中にも新しい挑戦の火がついた気がします。
チャンスは、自分でつくるもの
翌年、市内の別の学校から「全国大会に出場する選手が出た」というニュースが届きました。 それは県の小体連の大会ではなく、陸上競技協会が主催する全国大会への出場でした。
私は思いました。 「うちの学校にも、全国を目指せる力を持った子がいるのに……」
小体連の大会は、県内すべての小学校の5・6年生が参加する教育行事。 一方、陸上競技協会の大会に出場するには、別途クラブとして登録し、会費や参加費を支払う必要があります。 つまり、仕組みの入口が違うのです。
「ならば、自分たちでクラブをつくればいい」 そう考えた私は、陸上競技協会に加盟するクラブチームを立ち上げることを決めました。 うちの子たちにも、挑戦する舞台を――その一念が始まりでした。 校長の許可を得て,保護者への文書発送と,希望者を募りました。
全国へつながるトラック
クラブの活動が始まると、次々に挑戦する子どもが現れました。 100m走、走り高跳び、走り幅跳び。 その努力の延長に、ついに2年連続で全国大会(旧国立競技場)に出場する子も生まれました。 学年も種目も違いましたが、いずれも自分が関わってきた子たちです。
とはいえ、現場は「指導」よりもむしろ「お世話」の連続でした。 大会当日は,朝早くから会場へ向かい、出場時間の確認、アップの付き添い、サブトラックの移動――。 出場種目が重なると、走っては呼ばれ、戻っては送り出し。 一日が終わるころには、体の芯までぐったりでした。
それでも、同僚の先生が応援に駆けつけてくれたり、スタンドから手を振ってくれたり。 その一瞬の支えが、本当にうれしかったです。

全国大会では、県代表団として他クラブの指導者と行動をともにしました。 宿泊や移動の世話、子どもたちの体調管理。 指導者講習会やここで出会った先生方との交流もあり、様々な刺激を受けました。 走るのは子どもたちですが、学んでいたのは私も同じだったのです。
コツコツが育てた、4人のチーム
クラブでは、3年生からの希望者が参加できるようにしました。 朝7時半からの30分、まだ眠そうな顔で集まる子どもたち。 もも上げ、ストライド走、リズムダッシュ――同じような基礎練習を、毎日コツコツと続けました。
「こんな地味な練習で力がつくのだろうか」と思うこともありましたが、気づけば、彼らのフォームは少しずつ美しく、走りは確かに力強くなっていきました。
やがて、クラブ自体も年を重ねるうちに軌道に乗ってきました。 大会が行われる会場は全天候型で、大人であれば専用スパイクシューズで走ります。 小学生にも、靴底がトラックに噛み込む専用のスパイクがあり、履くとタイムが1秒ほど違ってくるのです。
最初のうちは、個人負担になるため無理にとは言いませんでした。 それでも保護者の中には「せっかくなら」と購入してくださる方も現れました。 やがて、サイズが合わなくなったり、卒業して不要になったスパイクをクラブで譲り受け、使い回すようにしました。 その結果、少しずつ記録も向上し、練習への意欲も高まっていきました。
その中でも、忘れられないのが4年生のときから入部した4人の女子たちです。 この学年の子たちは,私が4年生の時と6年生の時の2回担任しました。 とても思い入れのある学年でした。 いつも明るく、互いに励まし合いながら練習を続ける姿は、本当にまっすぐでした。 雨の日も風の日も、体育館の端でバトンパスの練習をしていたのを思い出します。
6年生になっても全員がクラブを続け、リレーのメンバーとして何度も息を合わせてきました。 秋の県大会を前にした放課後、彼女たちは自分たちでバトンの受け渡し位置を1足ずつ数えながら調整していました。
「先生、もう一回やらせてください!」 最後の1本を走り終えたあと、4人が顔を見合わせて笑ったあの瞬間。 ああ、この子たちはもう“自分たちの力”でここまで来たんだ――そう感じました。

そして迎えた県大会。 リレーの決勝を走り終えたトラックには、夕暮れが降りていました。 結果は見事入賞。優勝や全国大会出場という華々しい結果ではありませんでしたが、それで十分でした。私の心の中では金メダルでした。
辺りがすっかり暗くなったあと、表彰を終えた4人と並んで撮った写真があります。当時はデジカメもなく,保護者の方が撮ってくれました。 照明の光に照らされた笑顔は、どの瞬間よりもまぶしく見えました。
3年間、積み重ねた努力が生んだ笑顔。 あの写真を見返すたびに、「続けることの尊さ」を思い出します。 あの日の4人が教えてくれたのは、勝負の結果ではなく、努力が心を育てるということでした。 ――あれから何年経っても、私の教師人生の宝物です。
(次回予告) 次回は「PTAスポーツ編(仮題)」。 教員でありながら、プレイヤーとして汗を流した日々を振り返ります。
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