離島の小学校編 01 船旅の先に待っていたもの
いよいよ、初めて島に渡る日がやってきました。1教師の奮闘記として、気楽に読んでいただければと思います。もう20年以上前の出来事なので、細部は記憶があいまいですが、当時の「熱中時代・島の学校編」を参考にしながら、あのときの気持ちをできるだけそのまま書き残していきます。
2002年(平成14年)3月からのお話です。 ※本文中の地名や商品名は仮名にしています。
1.駐車場はどこ?──初めての渡島準備でドタバタ
離任式から数日後、春休みに入ったある日。業務の引継ぎで、新しい勤務校となる青波島小学校(仮名)へ渡ることになりました。自宅から40〜50分ほど車を走らせ、南浦市(仮名)の琴島港(仮名)へ到着。
事前に届いた派遣依頼文書によれば、島へ渡る船は1日3便しかありません。港に着いたものの、まず「車をどこに置けばいいのだろう?」と不安が湧きました。島での生活を思うと緊張が高まります。
そこへ前任の先生が声をかけてくれました。引継ぎのために一緒に島へ渡るとのこと。さっそく駐車場所を尋ねると「すぐそばに月極駐車場があり、島に勤務する先生方はそこに車を置いています。ただし料金は給料から天引きです」と教えてくれました。
次に気になるのは船の切符です。前任の先生いわく、 「こちらの港から出るときは、出航30分前くらいに隣のガソリンスタンドのおばちゃんが切符を売りに来ます。でも往復切符は島の港の自動券売機でしか買えません。しかもそっちの方が少し安いんですよ」 なるほど、島民優先の仕組みだと納得。初めてのことばかりで戸惑いながらも、少しずつ島の暮らしの仕組みが見えてきました。
2.歓迎の主役は私じゃない!?──船旅の意外な展開
桟橋に並ぶと、同じ船に若い女性の姿がありました。私と前任の先生は船に乗り込み、約1時間の船旅が始まります。途中で別の港に寄るので少し時間はかかりますが、1日3便のうち2便目だけは直行便で10分ほど早く着くそうです。
この日は波も穏やかで、日差しもやわらかく、絶好の船旅日和でした。しかし前任の先生は「今日はめずらしいですよ」とひと言。その意味を知るのは後のことです。

島に着くと驚きの光景が待っていました。その若い女性を迎えるために、おじいちゃんやおばあちゃんたちが荷車や手押し車を持って港に集合。笑顔で声をかけ、大歓迎の雰囲気です。私たちとは大違い(笑)。
やがて分かったことには、その女性は島の保育所の新しい先生でした。前任者が急に辞めてしまい、後任が来るのかどうか島全体が心配していたとのこと。なるほど、この熱烈歓迎にも納得です。
さらに後日話してみると、彼女はかつて私の妻が勤めていた学校で学んでいた元教え子でした。私は若い頃、赴任先の小学校で社会体育のバドミントンを指導していて、県大会の決勝で彼女と私の学校の子が戦ったこともありました。彼女は私を覚えていて、「○○ちゃんのご主人さん」と呼んできました。妻を友達のように「○○ちゃん」と呼ぶ姿に思わず笑ってしまいました。島で不思議な縁を再び感じた瞬間でした。
3.宿舎の釣り竿ときれいな学校──新生活の入口
島には車も信号もなく、あるのは漁協の方が使う「バタバタ」と呼ばれる小さな荷運び用カートだけ。まるで時間がゆっくり流れているようでした。
まず案内されたのは宿舎。港から徒歩2分ほどの場所にあり、小・中学校の先生方が共同で暮らしています。建物は思ったより新しく、部屋には冷蔵庫や掃除機、洗剤の残り、さらには釣り竿(?笑)まで。前任の先生が「これはあげるから」と残してくれました。エアコンも完備され、鍵を受け取った瞬間から私の部屋になりました。
学校は宿舎から徒歩1分。芝生のグラウンドに改修されたばかりの体育館。「思ったよりきれいだな」──それが第一印象でした。校舎は中学校と並んで建っており、1階の特別教室は中学生も使うそうです。
校長先生は前日から日直で来ておられ、この日の11時の第2便で帰られる予定。校長室でご挨拶をし、その後は前任の先生と引継ぎ。どうやら私は初めての教務主任を務めることになるようでした。
昼食に弁当を食べ、私は15時の最終便で島を後にしました。帰りはもちろん往復切符を利用。次は布団やテレビ、調理道具など生活に必要な荷物を春休み中に運び込まなければなりません。
島の印象は「ちょっとワクワクするな」という期待と、「本当にやっていけるだろうか」という不安が入り混じったものでした。まだ誰も知らない新しい生活が、すぐそこまで迫っています。
「スピンオフ和菓子プロジェクトの舞台裏マガジン」(※更新中)
いいなと思ったら応援しよう!
応援いただいたお気持ちは、子どもたちの学びを物語として発信し続ける力となり、教育の現場で役立つヒントへとつなげていきます。