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離島の小学校編 02 荷車と布団と、島の学校

教員はわずか5人。そんな小さな島の学校で、新しい生活が始まろうとしていました。 荷物を運び込み、まだ見ぬ子どもたちとの出会いを心待ちにしていたのです。

離島で勤務することとなった1教師の奮闘記です。 今から約20年以上前の2002年(平成14年)3月からのお話です。
※注:本文中の一部地名や固有名詞等は仮名(かめい)にしています。


1. 気持ちはすっかり島の学校に

島から戻った翌日、広島県から視察のお客様が来られるということで、久しぶりに出勤しました。 気持ちはもうすっかり島の学校に向かっていて、荷物の片づけも終わっていたのですが、最後に大切な用事が残っていたのです。
以前、放送・情報教育の大会があったこともあり、その様子を知りたいと2名の先生が訪ねて来られました。コンピュータ室をご案内し、設備や運営について説明したあと、校長室では大会当時のことやこれまでのメディア活用についてもお話ししました。

お客様を見送ったあとは、学校のホームページを最終更新。各学年の3学期トピックスをアップしました。立ち上げからずっと関わってきた管理者としての仕事も、これで一区切りです。島の学校でも、いつかホームページができるといいな…そんなことを思いながら作業を終えました。


2. 荷車を引いて、宿舎まで

3月28日と31日、2回に分けて荷物を運びました。港までは車で行き、連絡船に積み込みます。島に着いたら荷物を降ろし、宿舎まで徒歩2分の道を荷車で運びました。荷車というのは、いわゆるリアカーのようなもの。アルミ製で軽いタイプが学校に備品として置いてあり、それを借りました。
軽トラックのように一度に運べないので、どうしても何往復かすることになります。まだまだ必要なものはありそうでした。

そしていよいよ翌日から新学期。先生方とも全員顔を合わせることになります。不安と期待が入り混じる、島での学校生活のスタートです。宿舎にはまだ泊まっていません。今日も3便の船に乗り自宅に帰ってきました。しかし、荷物も心もいよいよ準備が整ってきました。


3. 36分の1がスタートしました

2002年4月1日,新年度の朝。第1便の船に乗り、島へ渡りました。 これまで30人以上いた職員から一転、教員はわずか5人。そのうち養護教諭の先生は小中兼任で、週2回は中学校に勤務されます。必然的に一人ひとりの分担は増え、私は教務主任をはじめ、体育主任や情報、特別活動など、たくさんの仕事を受け持つことになりました。

まさか離島で勤務することになるとは思っていませんでしたが、振り返ればこれは本当に貴重な経験でした。任期は3年間と告げられてはいませんが、暗黙の了解のようでした。36分の1がここから始まったのです。

担任は6年生3名。総合的な学習は5・6年生あわせて6名で取り組みます。昨年度の和菓子プロジェクトで見た、子どもたちの自信に満ちた笑顔を、この島の子どもたちにも味わわせたい──そんな思いが湧いていました。

とはいえ、まずは生活に慣れることが第一。少しずつ宿舎に荷物を運び込みながら環境を整えます。そして4月7日には初めて日直が回ってきて、宿舎に泊まることになっていました。布団も持ち込まないといけません。


4. 布団を抱えて初めての宿泊

4月最初の金曜日。始業式はまだでしたが、この日は日直。土日をはさんで月曜日が始業式になります。布団を抱えて島へ渡り、いよいよ宿舎に泊まることになりました。今晩は初めて宿舎で過ごし、翌朝土曜7時の船で本土に戻ります。

この時点ではまだ子どもたちと顔を合わせていません。正式にはもう島の学校の教員なのですが、日直は前任の先生のぶんを引き継ぐ形になり、子どもたちに会うのは始業式までおあずけです。教員が5人しかいないので、日直はすぐに順番が回ってきます。

昼下がり、運動場から子どもたちの声が聞こえてきました。中学生と一緒に野球をしているようです。静かな島の午後に響く声は、まさに「のどか」という言葉がぴったりでした。

そして翌日は土曜日,土日を挟んで月曜の始業式。いよいよ、この声の主である子どもたちと初めて出会うことになるのです。


離島の小学校編03へ続く

スピンオフ和菓子プロジェクトの舞台裏マガジン」(※更新中)


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