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わたしが「自分軸」で救いたかったものは

今日は、久しぶりにまた一つ心の核心に迫る問いに答えが見えてきた気がしたので、心のアカスリ・内省系のnoteです。

きっかけは、ナツキさんに行っていただいたインタビューでした。
「灯火さんは、選択の自由が奪われていること、不公平さを少しでもなくしていきたいと強く思ってるんですよね。それはなぜですか?」という質問。

インタビューいただいたとき、ハッとしたまま、うまく答えられませんでした。わたし自身はどちらかというと恵まれた環境で学生時代過ごしていたことが多かったので、正直「選択の不自由や不公平さ」に虐げられた側ではありません。

▽ナツキさんにインタビューしていただき、まとめていただいたnote▽

そして、この想いは例えば、障がいを持った方やいわゆるマイノリティ側に肩入れしようとする際に、自分自身が自分に向けた言葉の刃を感じていました。

「でも、お前はそちら側ではないだろう。」

確かに、心療内科には行きました。適応障害で休職しました。薬も処方され服用した経験もあります。でも、うつ病ではありません。半年や1年以上休職するわけではなく、休職期間は3ヶ月です。子どもたちに、今のところわかっている身体的な障がいや発達障害などはありません。

そんな自分に語る権利があるのか、というのはずっと引っかかっていました。HSP気質なだけであって、本当のHSPではないかもしれない。適応障害の診断時にADHDの検査もしましたが、一時的にその傾向が出ているだけかもしない。”わかっている風”なだけでないかというのがありました。

もちろん、そこに対しての答えは「当事者だけが語れるわけではない」というカウンターとなる論理はありますし、自分でもそう思っています。今回のテーマは、そこに対しての答えでもあるのですが、すみません、前置きが長くなりました。結論にいきますね。

わたしが助けたかったのは、当時のわたしだった

なぜ、アートやリベラルアーツなのか。それは、自分にとっての大切なことである「表現」という自分軸にとって必要だからでした。

そして、それは自身の納得感のある”選択”というのが、非常に大きなカギになっています。もちろん、これは人によって「納得感があることが重要かどうか」に差はあると思いますが、わたしにとっては、自分軸=自分が生き生きとしていられるのかの大きな要素の一つに「納得感」がありました。


だから、選択そのものができないこと、知らず知らずの内にそうなってしまったことを回避できたらという強い想いになりました。

そう、もちろん、自分のせい以外誰のせいでもないのですが、情報を調べて取りに行こうとせずに、「こんなはずじゃなかった」と途方に暮れていたのは、社会人なりたての自分でした。

一応、知名度がそこそこある私立の大学に行かせてもらったにも関わらず、就活や仕事、社会を舐めた自分。もっと会社のことや仕事のことを高くリテラシー高く積極的に調べていたら…

卒業するまで親に頼りっきりでお金に困窮したことがなかった自分。いざやりくりをしてみたらズタボロで、気がつけば借金まみれになっていました。親のせいにせずに、ちゃんと金融リテラシーを上げていれば…

相手にどうなってほしいかを伝えることへの気後れ

そして、先日長男と話をしていました。ちなみに、長男は一緒に児童相談所に行ったこともありますし、小学生時代は物理的に他人にも迷惑をかける人間でした。しかも、一度や二度ではありません。

そんな悩みの種だった本人が、中学生になった今、建設的な議論をしていること自体が感慨深いものがありました。

わたし自身は、今まさに一つのまとめた内容にしようと考えていますが、「所属する集団で少数派であること」が生きづらさの正体だと思っています。だから、もし生きづらさを感じていて、それを解消したいと願うならば、そこに道を作っていきたいと考えています。

ですが、その人がどうしたいかは人それぞれだと思っています。だからこそ、わたしのメンバーシップでも「一人ひとりが想い描く未来に、互いに刺激を受け合って目指す」という主旨にしています。

あわせて、相手がどうするかは「相手の問題」と切り離していることもあり、「わたしが結局どうしてほしいのかわからない」というフィードバックを長男からもらい、改めてハッとさせられました。

その苦労は、あなたが望んでいることではないのか?

少し話が変わりますが、以前、わたしが尊敬する方にお時間をもらって、色々聞かせてもらったことがありました。

その方は、わたしから見ると「いつも楽しそうで、肩の力を入れすぎず、自然体で仕事や事業、投資もやってらっしゃる」イメージの方です。東大、まだ有名になる前の楽天、Googleとわたしから見ると、泣く子も黙る説明不要のキャリアを十二分に持っている方です。

その方に聞いてみました。なぜ難しい顔や苦しい顔を見せないようにしているのかを。その方の答えは明確で、そういう表情をしている人は「やりたくてやってるんじゃないか」という答えでした。

つまり、イライラしている顔を見せれば、話しかけづらくなる、気を遣ってくれる(かもしれない)。苦しそうにしていれば、これ以上無茶なことは言われなくなるかもしれない。そうしたことを思っているのかもしれない。もっとラクな方法はあるのにねという主旨のことを言っていました。

かなり衝撃でしたが、ここでまた一つスイッチが入った気がします。
そうか、つまり、やりたいようにやるための方法を探せばいいのか。苦手なことは無理にしなくても回る方法を意識するようになります。

あなたが望んでいることならそれでいい。ただ、もしこんなはずじゃなかったと思うなら

わたしが子どもたちに伝えたいことはこれでした。
「こんなはずじゃなかった」と思うような状況になってほしくない。自分でわかっている状態で道を選んで欲しい。

今の時代は、昔よりもレールや「型」というのがなくなってきている。動きやすくなってはいるが、その分だけ自分がどう立ち回るかが重要視されてきている。

強い言葉ですが、相対的な貧困になれば思考力は低下し、結果的により多くの情弱狩り、そして、そのターゲットを増やします。
ただ、それは社会人一年目で早々に多重債務者となり、転職を繰り返す道に入ってしまった自分への言葉でした。

結果的に向き合い続けざるを得なくなったからこそ、自分軸でのジョブチェンジや個人事業主としての独立、人生における目標設定の変更などに繋がったわけですが、それはただラッキーだっただけだと思っています。

「ブロック」していた自分へ

取り留めもないnoteになってしまって恐縮ですが、最後に少しテイストを変えて、今まであまりお伝えしていなかった部分をシェアできればと思います。

わたしは個人事業主時代、事業を軌道に乗せることができず、パートナーに渡す生活費は数万円の月があったり、子どもたちもいるのに「これでどうするんだ」と泣かれたこともあります。

そんな状態ですので、所属しているSOHOビジネスのコミュニティでも、キャッシュ不足で変な揉め方をして最終的には辞めるに至っています。

もちろん、その後も関係がある方とのご縁を今も大切にさせてもらってはいますが、結局、金銭的な余裕のなさが思考のリソースを大幅に奪い、精神的にギスギスしていました

今だったら、人に嚙みついてもいい方向にはいかないことがわかります。でも、当時は自分の不甲斐なさを自分が一番認識していて、だからこそそれが露呈するのが嫌で周りに噛みついていただけでした。

なぜそうなっていたのか。

今考えると、わたしは自分で意識的にブロックしていました。

「本当に軌道に乗せるための計画を考えていなかった」からという風に自己分析していましたが、それ以上に「自分はお金を儲けてはいけない」と心のどこかで思っていたのだと思います。

そんなことはないと最近までわたしも思っていましたが、では、なぜ周りの成功している経営者にもっと話を聞きに行かなったのか。当時のわたしは、ただ相手が自分に発注してくれる可能性があるかや、自分の考え方に共感してくれるかだけを考えていました。

もちろん、「仲間探し」的な意味で後者は今も大切にしていますが、もっとしたたかな立ち回りはできたはずです。当時の自分では到底払えないサービスを提供している方に噛みついたりもしていました。完全にただの嫉妬です。

結局「自分を認めてくれ」路線の一点張りで、それでは事業を大きくすることはできない。当然の結果でした。また、王道を行けていない=「道を誤ってしまった」と認識している自分は、その報いを受けなければいけないとどこかで自分に言い聞かせていたのだと思います。


カジュアルなお話し会やってます!

ということで、つらつらと書いてしまいましたが、
・本気で近づきたい理想がある方
・リテラシーを上げていきたい
・そうした想いを伝えていきたい

という方と、ぜひつながっていけたらと思います。

お話し会という形でカジュアルにオンラインMTG(顔出しなしでも大丈夫です)を開放していますので、お気軽にお声かけください!

コメント欄や、直接以下のアドレスにメールいただければと思います!
ご連絡お待ちしています!
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