「探究横丁」であることの意味と価値。

以前の記事で、「探究の民主化」に代わる言葉を探したい、と書いた。

そういう中で、私は今自分が取り組んでいる「探究横丁」というコミュニティの名前が非常に気に入っている。

なぜかと言うと、「横丁」という言葉のイメージが非常に日本的だからである。

「横丁」は辞書的には「表通りから横に入った通り(町筋)」を基本的な意味とし、「横町」という表記もあるがいずれも同義らしい。

ChatGPTも使いながら調査したところによると、元々日本語である「横丁」は16世紀、つまり江戸時代の頃から用例があるようで、地割・町割に根差した呼称として普及したようだ。近代から戦後にかけての都市化の中で地名・町名などとしても定着していき、戦後の闇市から飲食店街の発達と共に「小規模酒場が密集する路地」というイメージが広まったらしい。

私は、「横丁」が意味するこの下町感というか、想起される日本的な風景が結構好きだ。それぞれ個性豊かな飲食店や商店が立ち並ぶ通りで、人々が賑やかに盛り上がっている様子が脳裏に浮かぶようだ。

「探究横丁」も、そんな場所を少しずつ広げていくイメージでつくっていくことができないだろうか。メンバーの1人1人が、それぞれ自由に個性あふれる多様な探究をしていて、それを深掘り、お互いにシェアし、賑やかに楽しんでいく。

太陽が昇っている時間帯は、明るい広場に子どもや若者たちが集まり、遊びながら探究を楽しんでいる。太陽が沈みかけた夕暮れには、オレンジの明かりが灯された飲食店街の多数の酒場に大人たちが集まり、ディープな探究トークを繰り広げている。そしてそれらが通りとして「横丁」を形成し、それがさらに小さな町のように発展していく。

「探究の民主化を目指す」という西洋的な言葉を使うよりも、「探究の横丁を広げる」という日本的な言葉を使う方が、日本人にとってずっと馴染み深く、かつイメージが想起されやすく、しかも希望のあるビジョンとして描きやすいのではないか、と思っている。

だからこそ、「探究横丁」から探究を広げる活動をする意味があるのだ。フランス革命のような市民による革命や闘いによって獲得する民主化ではなく、かといって戦後日本のように「お上から与えられる民主化」でもなく、横丁に集まる人々が温かみのあるつながりを生み出すことで、「探究的学びは面白い」というムーブメントを起こし、その波及効果で探究の価値を草の根の運動から広げていく。

そんなことができたら、日本的なやり方で社会をより良い形に変えていけるのではないだろうか。

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