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日本が誇る 国宝5城!

日本のお城はいろいろ周りましたが、やはり往時のホンモノ建築である、松本城松江城彦根城犬山城姫路城 の 国宝5城 が最高です。
オリジナル説明を添えてアップします。


松本城

国宝城のスケールでは姫路城が圧巻ですが、それに次ぐ規模にあって華麗さでは松本城です。赤い橋、そして赤い欄干がある月見櫓が風流でステキです。

戦国時代の永正年代(1504~1520)に信濃の守護であった小笠原氏の林城の支城として建てられた深志城が始まりです。天正年代に小笠原氏が下総に移ると、1590年、豊臣秀吉によって石川数正が松本城に入封しました。

2代目の康長の時代に、天守、乾小天守、渡櫓の天守三棟が造られ、本丸、二の丸、三の丸などが整備され、現在残る松本城の基本形が固められました。無骨で戦闘的な大天守と、後の泰平期に増築された辰巳附櫓、特に月見などを饗するために建てられた開放的な月見櫓の組み合わせはとても興味深いものです。(長野県 松本市 2010 / 5)

南側側面です。大天守に、辰巳附櫓が、そして月見櫓が増築されていることが分ります。造られた時代が異なる黒く重厚な部分と、宮殿的部分が混在していますが、全体としてミスマッチな感じはなく、優雅に美しいです
国宝城では、姫路城に準じた規模の、流麗な、黒装のお城です。私は左端の「月見櫓」が好きです(そこは平穏な江戸時代に入って追加構築されました)
大天守からの眺望です。東側の、枠で囲われた本丸御殿跡が見えます。本丸御殿は1727年に焼失し、以後再建されていません
埋め橋越しに眺めた乾小天守(左)と大天守
黒門の奥の一の門(櫓門)は昭和35年(1960)に再現されました
黒門の一の門には、松本城の基本形を造った石川数正が豊臣秀吉に入封された際に使用が許された五七桐(ごしちの桐)の紋も再現されています
天守閣一階。柱が多く、主に兵糧や武器の倉庫となっていました
天守閣最上階の六階。望楼ですが、廻縁(外周を囲っている張出廊下)がありません
左手前が私のお気に入りの月見櫓
月見櫓内。三方が開放されていて暗い天守閣他内部とは全く雰囲気が違います。城主が松平直政の時代の寛永年間に将軍家光を迎えるために増築が許され、実現されたものです

松江城

宍道湖を眺められる風光明媚な地にある大型天守が壮観です。
残念ながら周りの櫓や城壁の多くは明治期に破却されてしまいましたが、それゆえに残った大天守の迫力が引き立っています。

同城は、往時から現存する12天守閣の1つで、五層六階の望楼式天守からの町並みや宍道湖の眺望は素晴らしいです。
現存する全国の天守閣のうち、平面広さで2番目、高さで3番目、古さで5番目を誇り、武骨で安定感のある優雅さは非常に魅力的です。
長らく国指定重要文化財でありながら国宝に匹敵する名城でしたが、晴れて2015年7月付けで第5の国宝天守となりました。
(島根県 松江市 2011 / 1)
(同じ日の半日でも一緒に訪れられる出雲大社の写真も加えました)

一ノ門を入って南側から眺めた天守閣と周辺の本丸です。御殿や周辺の櫓は全て取り壊されて残っていませんが、高さ30m、外観五層、内部六階の堂々とした大天守です
外観五層内部六階の頂部。高欄(手摺)を巡らした望楼があり、全方位を眺望できます
天守閣南側(写真右)には天守閣への入口となる付櫓があります。その入口には鉄板張りの大戸があって、その中には枡形の部屋があり、敵の侵入を難しくしています
南の千鳥橋方向から眺めた松江城。石垣の上、左から南櫓、中櫓、そして右奥には太鼓櫓が見えます。いずれも明治初期の廃城令で取り壊されましたが、平成13年(2001年)に復元されました。中央上に天守閣が見えています
三階の内部。他階も含め、柱の多くには一本の柱に板を揃えて寄せ合わせ、鉄輪で締めた普通の柱より高強度の寄木柱が採用されています
四階から五階(最上階)への階段途中の踊り場から見下ろした四階内部。大規模な建築であることがうかがわれます
四階の跳ね上げ戸から眺めたところ。右上に宍道湖が見えます
最上の五階。望楼から全方位が眺望できます。開放的で明るく爽快です
五階望楼からの南側の眺望。松江市街の奥には宍道湖が広がって美しいです
三ノ門跡付近から見上げた天守閣

出雲大社

松江城を訪れたら一緒に周りたい出雲大社。
有名な吊られている巨大な「しめ縄」は、全幅約 13m、重量は 5トンを超えます。祀られている 大国主大神 (おおくにぬしのおおかみ)は、常陸国の 少名彦命(すくなひこのみこと)と国造りをした所縁で、縁結びの神社であり、同様な大きなしめ縄があります。(島根県 出雲市 2011 / 1)

出雲大社 神楽殿正面です。祀られている大国主大神 (おおくにぬしのおおかみ)は、常陸国の 少名彦命(すくなひこのみこと)と国造りをした所縁で、縁結びの神社です。分霊社として茨城県に上述の少名彦命を祀る「常陸国 出雲大社」があり、同様な大きなしめ縄があります
巨大なしめ縄は、全幅約 13m、重量は 5トンを超えます
大国主大神とウサギの青銅の御像。「因幡の素兎(いなばのしろうさぎ)」の話しは古事記に記され、語り継がれています。境内にはほかにもウサギの石像が多いです

彦根城

井伊直弼で名を馳せた井伊藩の城。
小さな天守ですが、飾りが綺麗で琵琶湖に近く(昔は湖畔に接していたそうです)、風光明媚な処です。

同城は、国宝の三層の天守閣を中心に、琵琶湖に近接する二重の堀に囲まれた城郭で、約400年前の建築が残っています。
初代藩主井伊直政は、関が原の合戦での功で石田三成の佐和山城の城主となりましたが、早くに亡くなり、遺臣が近い彦根山に本城を創建しました。
その後、十四代藩主井伊直憲まで、260年の間、一度の国替えなどなく、明治初期の廃城令による破却も免れ、創建当時の建築が現存しています。姫路城などには及ばぬ大きさながらも、様々な破風の屋根の組み合わせが美しい白亜の天守閣ほか、日本の城(天守閣)ではとても美しく、気高い雄姿を誇っています。(滋賀県 彦根市 2009 / 2)

小さい天守閣(地上3階)で小じんまりとしていますが、独特な破風(各屋根端の形)や装飾が洒落ていて、琵琶湖などの眺望はなかなかです。彦根藩 井伊家の居城として有名です
2007年の築城400年の際に飾りが再現され、元々の白亜の建築がとても美しいです
入場門となっている 表門 から入って進むと写真の 廊下橋 をくぐってすぐ左に回り込んで 廊下橋 を渡り、右上の 天秤櫓 から本丸前段の 太鼓丸 に入ります。防護性の高い建築です
前方に 天秤櫓 があり、その手前に上写真の 廊下橋 が見えます。この周辺はよく歴史映画等で撮影に使われる迫力ある建築です
彦根城模型。中央上に天守閣が見えます。天守閣の右斜め下方に広がるのは西の丸です
西の丸の方(北西)から眺めた天守閣。西の丸より高所にあるので石垣が目立ちます。石垣も往時のままで、よく400年の風雪に耐えました。廃城令での破却を免れたことは幸運でした
天守閣3階内部
あえて登り難くして、敵の侵入を難しくすべく、本城に限らず階段は非常に急傾斜です
天守閣3階から北東の琵琶湖方面を眺めたところ。かつては手前に湖畔があったそうですが、今は干拓等で遠のいています

犬山城

犬山城は、戦国時代の天文6年(1537)に織田信長の叔父の信康が、砦であったものを造り変えたのが始まりです。
その後城主は代わっていきましたが、慶長年間初め(1600頃)、城主石川光吉が現在のように完成させたとされます。その後長く成瀬家が城主となり続け、明治4年に廃城と決まりましたが天守閣は残りました。
その後、かつて犬山藩主であった成瀬家が譲り受け、同家の私有する国宝(昭和10年~)という珍しい文化財となりました。
(愛知県 犬山市 2010 / 10)

犬山城(白帝城)天守閣。望楼式3層4階、地下2階、高さ19mのこじんまりとした構造です
犬山城は白帝城とも呼ばれ、木曽川沿いの丘の上に築かれた平山城です。最上階からの景観は風流な感じさえします。城主として安穏に住めるなら、この天守が最高かもしれません
木製の天守閣模型
一階内部
一階南側廊下。左は城主の部屋
二階内部。左の武具の間の周りを武者走りが巡っています
二階の窓から眺めた木曽川。名鉄と自動車道のツインブリッジが見えます
三階「破風の間」。左は唐破風内側
高欄(手摺り)の設けられた廻縁(まわりえん)が四階高欄の間をまわり、丘の上の天守閣の望楼からの雄大な景色が観られます。高欄には他の城のような安全柵や網などはなく、往時のままの天守閣から眺望できました
最上4階からの西側の木曽川の眺めです

姫路城

残存城郭では最大の規模を誇る姫路城。
大天守に加え3つもの小天守、そして櫓群が残存していてじっくり観て周るには1日は欲しいところです。熊本城等と並び、映画の舞台としてもよく使われている立派な遺構です。

播磨の守護赤松氏が1333年、ここに砦を築いたのが始まりで、関が原の戦いの後、徳川家康の娘婿池田輝政が8年を費やし、現在の規模の城域、5層6階地下1階の天守閣を築きました。
その後入った本多忠政は長男忠刻とその妻 千姫のために西の丸を完成させ、1618年に現在の全容を完成させました。
天守閣は大天守と3つの小天守、そしてそれらを結ぶ渡櫓により結ばれ、複雑な城内縄張りで、攻め入る敵を防ぐようになっています。創建当時のものが今も残る城の中では最大の城郭・天守閣です。
国宝5城中、最大で、白い壁の美しさから白鷺城(「しらさぎじょう」。但し、正しくは「はくろじょう」)とも呼ばれます。平成5年に世界文化遺産に登録されました。

2009年(平成21年)から2015年(平成27年)に「平成の大修理」と言われる大天守保存修理工事が行われました。以下の写真はその直前のものです。(兵庫県 姫路市 2009 / 2)

姫路城の正面入り口周辺。左奥に天守閣が見えます
日本最大の創建当時のままでは最大の国宝名城です。大天守、連立する3つの小天守、そして櫓や御殿、塀も多くが往時のまま残っていて、丸1日かけて周りたいところです(平成の大改修前 2009撮影)
姫路駅から歩いて入場すると広がる光景(パノラマ撮影)
天守閣から眺めた手前の二の丸と西の丸(奥)。中央やや左下の三国堀の上には現状遺構の実質城内に入る「菱の門」が見えます
南西から眺めた天守閣。下は池状の三国堀。右の大天守の最も左側は乾小天守、その右は西小天守。2つの小天守でも、他の小城の天守閣並みの大きさがあります
「はの門」に至る坂。右の壁には多数の鉄砲狭間(例えるなら銃眼)が並んで見えます。このアングルは 黒澤明監督映画「影武者」に、何と、長篠城内として登場しました
南から眺めた天守閣。右の大天守の左に連立する小天守、櫓が見えます
大天守の構造案内図
「にの門」辺り(西)から連立天守を見たところです。独特な東洋的造形を感じます。左端奥に一部のぞくのは東小天守。その少し右の手前が乾小天守、右端奥は西小天守。その2つの小天守の間の奥に見えるのが大天守です。手前の唐破風の大きく写っている建物は、ただの隅櫓です
2階の回廊と内側の展示区域。荘厳な木造建築です(2009撮影)
5階の内部。存在を隠すように明かり取りも少ないです。2つの階段沿いの太い柱は大天守を支える大柱
最上層(6階)の中の「長壁神社」。天守の丘にあった地主神で、ここへ移されました
下の看板で紹介される「お菊井」(井戸)

姫路駅から大きく見える姫路城

コングラボードを連続でいただきました


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