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日本のお城… 勝手に23名城郭! Japanese splendid castles

日本国内は47都道府県を踏破しました。それは、全国制覇したかったというより、一に温泉巡り、そしてお城を見て周ること(そしてできるだけその天守閣最上階に登る)が目的で、その結果でもありました。

お城を巡るなら、先ずは国宝格の、往時からの現存天守閣に登って、そこから大名殿様になったつもりで周りを眺めたかったです。
風光明媚な光景もですが、どこから敵が攻めて来て、どう守るのかを考えていたのだろう?といったことに思いを馳せたりもしました。

強大かつ壮麗な天守閣・城郭(一部)

窓ガラスなんてありませんから、夏はともかく冬は寒いだろうし、閉め込んだら中は暗そうだな…。
そんなことを考えてみると、城によって見かけ以上に造り、印象はさまざまです。天守閣より壮大な城壁御殿が印象的なお城も多いです。

中には平和な今なら住んでみたいような素敵な天守閣もありましたし、中が暗すぎて病みそう、といった天守閣もありました。
全国すべてを周った訳ではありませんし、行っておきたかったけれど未踏の名天守、城郭もあります。

国宝5城郭(左上より、彦根城、姫路城、犬山城、下左より松本城、松江城)

で、私のnote歴も1年目直前になりましたので(2025年2月2日が初稿日)、ここに記念として、撮り溜めた写真の中からお気に入り23城郭(往時の残存天守はできるだけ中の写真も加えました)を掲げます。

ゆるりとご覧くださいませ。


※ 撮影機材は、旅行や、仕事出張の合間が多いので殆どコンデジです。
 SONY DSC-HX90V、HX30V、Panasonic DMC-ZX1、Fuji Finepix F30ほか

松本城 Matsumoto

天守南面。大天守に、辰巳附櫓が、そして月見櫓(右の赤い欄干)が増築されていることが分ります。造られた時代が異なりますが、全体として違和感がなく美しいです。洒落た月見櫓は素敵です
本丸御殿跡(上の写真の右側)から眺めた大天守ほか構造物。天守三棟として、石川康長によって中央の天守閣と、その右に渡櫓と乾小天守閣が建ちます。天守閣は高さ29.4m、乾小天守閣は高さ16.8m。一方、天守閣左には、寛永年代(1624~1643)の泰平の世になって松平直政によって増築された奥から辰巳附櫓(たつみつけやぐら)、そして風流な月見の宴などを饗する月見櫓があります。手前には本丸御殿が建っていましたが焼失して再現はされていません(2010年撮影)
天守閣五階内部。天井が高く、四階あるいは六階の御座所の中間にあって、軍議等を開く間であったとも言われています
月見櫓内。三方が開放されていて、暗い天守閣他内部とは全く雰囲気が違います。城主が松平直政の時代の寛永年間に将軍家光を迎えるために増築が許され、実現された素敵な空間です

姫路城 Himeji

西の丸内から眺めた、わたし的に最も壮麗に映る天守閣アングル。連立天守の構造もよく分ります。3つの小天守それぞれ一棟で、他の小さな城の主天守並みの立派さです(2010年撮影)
「にの門」辺り(西)から連立天守を見たところです。独特な東洋的造形を感じます。左端奥に一部のぞくのは東小天守。その少し右の手前が乾小天守、右端奥は西小天守。それら小天守の間の上奥に見えるのが大天守です。手前の唐破風の大きく写っている立派な建物でもただの隅櫓です
二階の壮大な回廊と内側の展示区域
最上層(六階)の中の「長壁神社」。天守の丘にあった地主神で、ここへ移されたそうです

松江城 Matsue

南側から眺めた天守閣と周辺の本丸。御殿や周辺の櫓は全て取り壊されて残っていませんが、高さ30m、外観五層、内部六階の堂々とした大天守です
最上の五階。望楼から全方位が眺望できる開放感が珍しく、素晴らしいです
五階望楼からの南側の眺望です。松江市街の奥には冬の宍道湖が広がっています(2011年撮影)

犬山城 Inuyama

犬山城(白帝城)天守閣。望楼式3層4階、地下2階、高さ19mで、内外ともよく整備されています
犬山城は、木曽川沿いの丘の上に築かれた平山城です。丘は高く攻めにくいですが、次に載せる写真にあるように眺望が良く、平時に住むなら、きっとよい処でしょう
二階の窓から眺めた木曽川。名鉄と自動車道のツインブリッジが見えます

彦根城 Hikone

2007年の築城400年の際に飾りが再現され、元々の白亜の建築がとても美しいです
天守閣3階内部
窓にはガラスが入っているので明るいですが、冬は暗い、こじんまりした室内でしょう
天守閣3階から北東の琵琶湖方面を眺めたところ

江戸城(皇居)Edo(Imperial Palace)

二重橋から眺めた伏見櫓。京都伏見城から移築したとされる長屋状の洒落た櫓です
二重橋から南の正面石橋を眺めたところ。眼鏡状でそちらが二重橋と間違われることがありますが二重橋は手前欄干の鉄橋のことを言います。ともに皇居を象徴する立派な橋です
大手門。当初は門前には橋がかけられていましたが、後に現状のように埋め立てられています
江戸城天守閣は1607年に2代将軍秀忠の代に完成し、3代家光の代に国内最大の外部5層内部6階、地上高さ58mのものに大改築され1638年に完成していました。しかし、わずか19年後に明暦の大火の飛び火で全焼し、以後再建されず、この天守台が往時の天守閣の威容を示しています

熊本城 Kumamoto

本丸周辺の中核部。上段は左から数奇屋丸二階御広間、そして天守閣本丸御殿。下段中央から右に田子櫓、七間櫓、十四間櫓、四間櫓、源之進櫓等で本丸御殿内部も壮麗に再現されています。城外南東に位置する熊本市役所14階展望スペースから眺めたところです(2011年撮影)
本丸(東側)から眺めた連立天守閣。天守は西南戦争開戦直前に焼失しましたが、熊本城としては52日間の籠城に耐え通して戦争の勝敗帰趨に影響しました。左の大天守は地上6階地下1階、石垣の上の高さ約30m、右の小天守は2層地上4階で高さは約19mあります。1960年(昭和35年)に鉄筋コンクリート造りで再建されました。2016年4月の熊本大震災で天守から櫓までかなりの被害を受けましたが力強く復興されています(ただ、大規模な石垣の完全復旧にはまだ数時十年もかかるとされています。それほどに壮大で精緻なのです)。及ばずながらtompeiも復興城主証」を頂きました
左から小天守大天守、そして右手前の宇土櫓。宇土櫓は第三の天守とも言われ往時の木造建築です。築城時は他に五階櫓が6、櫓門が18、櫓が49もあったとされています
大天守閣から眺めた宇土櫓と右奥は戌亥櫓

大阪城 Osaka

梅林、桃園、そして咲き残る桜越しに眺めた天守閣南東面
内堀外、北西の公園から眺めたところ。天守閣周りの石垣は複雑な構成となっており、往時には多くの櫓などがあったことが推察されます。徳川領有後までに豊臣秀吉の遺構は殆ど戦いで焼失したり破却されていますが、往時の壮大さは今にも伝わっています

名古屋城 Nagoya

大天守閣(右)と連立している小天守閣。竣工は昭和34(1959)年10月となった。再建大天守閣は5層7階、内部にはエレベーターもある鉄筋コンクリート構造です(2006年撮影)
天守閣内最上の金鯱。城内に展示されているものとも実大レプリカですが、往時の実物金鯱は一対で215kgの金が使用されていたそうです。しかし、太平洋戦争末期に大天守とともに焼け落ち、その金は別の形に変えられて保管されています。尚、この屋根頂部レプリカにも一対で約88kgの金が使用されているそうです
 屋根2層・内部3階の西南隅櫓。濃尾大地震(1891)で石垣と共に崩壊してしまいましたが、修理復旧され、鬼瓦などに菊の花紋が見られます。左奥は大天守閣

松山城 Matsuyama

本丸から眺めた大天守(右)と小天守(左)。大天守は三重三階地下一階の天守で、2つの天守と隅櫓を廊下で結んだ連立式城郭となっています。江戸時代後期に落雷で焼失しますが、1854年に再建されました。明治以降の破却や戦災などを免れ、往時の木造構造の多くを残して今に至ります。
本丸3階より本丸南東を眺めたところ。北西-南東に長い本丸が分ります。左端は二ノ門南櫓。奥にはロープウェーがあり市街から登城できます

高知城 Kochi

天守閣。3層6階で、内部は山内家の時代のまま残されていて重要文化財指定です。本丸内の本丸御殿(下写真)ほかが全て残っているのは高知城だけです
本丸から本丸御殿、天守閣に入るところ。本丸御殿(懐徳館)は寛延2年(1749)に再建されました
天守閣と追手門は江戸時代の山内家が建築したもので、現在、両者を同時に見ることができるのは高知城だけと言われています

会津若松城 Aizuwakamatsu

本丸御殿跡から見上げた天守閣東面。右下が天守入口(2015年撮影)
左の鉄門から本丸に入ったところ

弘前城 Hirosaki

弘前城天守閣。石垣修理のため、本丸の中央に移動されています。中には入れたのですが、石垣の上ではない状態で(攻められたら守りようがない)ちょっと残念でした(2018年10月撮影)

岡山城 Okayama

南側の本丸から眺めた黒が基調の天守閣(戦後再建)。連立する左の対照的な白い建屋は塩蔵です
後楽園園内から臨んだ岡山城天守閣。下に見えるのは廉池軒です。イキで素敵です

上田城 Ueda

こじんまりとした上田城の人気を高める真田氏の名物真田十勇士の記念撮影看板
南側石垣下から見た南櫓。かつて、石垣下は堀となる川が流れていました

首里城 Shuri(Okinawa)

首里城・正殿。1945年の沖縄戦で焼失しましたが、1992年(平成4年)に、ほかの主要建物とともに、内外ともきれいに再現され、2000年には世界遺産に指定されました。しかし残念ながら、2019年(令和元年)10月31日未明に、大火災によりこの正殿など7棟が失われてしまいました。現在、強力に再建中です。沖縄復興の象徴でもあった首里城の早期再完成を祈ります(2016年撮影)
首里城。水堀というより人工湖の「龍潭」(りゅうたん)湖畔より眺めたところ(2016年)
首里城・正殿2階の大庫理(うふぐい)の国王が鎮座した御差床(うさすか)。ここも再建中です

中城 城 Nakagusuku

中城城跡(なかぐすくじょう跡、沖縄)。下掲の勝連城の脅威から首里城を守護するために存在したと言われています。角が曲面で纏められた城壁が美しく、ペリーが日本を周った際にその建築技術に感心したとされます
写真左には海が広がっています。この城址も世界遺産に登録されています

勝連 城 Katsuren

勝連城跡(沖縄)。15世紀に阿麻和利(あまわり)を城主として栄えました。居館跡はないですが、沖縄城郭特有の曲面が穏やかで美しいです
勝連城址城壁。海沿いの小山の頂上に位置し、海を眺める眺望が素晴らしいです

安土城址 Azuchi

安土は大手門跡を過ぎて登り始めたところです。石段の両側には、家臣 の館などが配され、敵からの守りを考えていたことが分ります。 わずかに雪が残っています
三重塔。室町時代に甲賀に建立されたものを信長が 天正三年(1575年)頃に移築したものとされ往時のものが修復されています。安土城の貴重な遺構として重要文化財に指定されています
織田信長の安土城天守閣については具体的な画や図面が残っている訳ではなく簡単な資料しか残っていませんが、様々な学者、研究家が推定案を出しています。この実大5階、6階再現模型(1992年スペイン・セビリア万博出展)もあくまで推定案ですが内部壁画等とも素晴らしい考証物です
(「安土城天主信長の館」(滋賀県 近江八幡市) 2010年撮影)

丸岡城 Maruoka

420年余りの風雪に耐えてきた日本最古の丸岡城天守閣です(もちろん補修整備は幾度も繰り返されて来ましたが)。柴田勝豊(柴田勝家の甥)の築城(1990年以前の撮影)

小田原城 Odawara

小田原城天守閣。宝永3年(1706)に再建され、1870の廃城まで存続していましたが、写真の天守閣は昭和35年に鉄筋コンクリートで再建されたものです。周りの城址公園内には動物園や遊園地が併設されています

広島城 Hiroshima

落ち着いた雰囲気の天守閣です。毛利輝元により創建され、福島正則、そして開城まで浅野家が城主でした。原爆で焼失し、昭和33年に再建された天守閣です。内部は鉄筋コンクリート構造。堀の外から眺めたところです。耐震強度不足であるそうで、再建築されるそうです(2009年撮影)

吉田城(豊橋城 鉄櫓) Yoshida

吉田城(豊橋城)鉄櫓。今川氏の時代に始まり、以後、池田輝政、三河吉田藩、松平藩へと続きました。 建物は昭和29年(1954年)に再建されたものです


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