【時の織り糸】第4話(全6話)
(第1話はこちら)
(前回、第3話はこちら)
33(ハヤカワ)
数分経って、ユカはどうやら落ち着いたらしい。
「さて、とりあえず、今日はこれで解散するか」
「え?ちょっと…あれかな…あたしが泣いちゃったから?」
「いや、蛍の光。閉店時間」
「あ、もう深夜2時?だからお腹がすいているのかな?」
ユカよ。お前は2時間前に大盛りヒゲカレー食っただろう…と言いたい所を飲み込んで、もう一度解散を告げる。
「えっ?このまま帰っても、絶対に寝れないんですけど」
「そんな事は知らん…ただヒゲカフェ、今日はどちらにせよ閉店だ。続きは、また明日、ココでやろう」
「お?という事は…こんなに可愛いユカちゃんを、飲みに誘うチャンスですよ?ハヤカワくーん?」
聞こえないフリをして、俺は続ける。
「明日はシフト入ってるのか?ユカ?」
「えーっと…早番!」
「あー、明日早番かー、今から飲みに行くとちょっと翌日大変そうだな、それだと早く家に帰って寝た方がいいな、残念だなー、はい。お家帰ろう」
「さっきの飲みの話…聞こえてるじゃん…」
「明日も夜、ココで集合な」
と、ユカに告げ、目の前にある国道に出てタクシーを捕まえ、ユカを乗り込ませる。挨拶もそこそこに別れ、俺はそのまま少し歩いて、自宅に帰る。都心部なので家賃は少々高い…とはいえ築年数が古いから、近隣からすれば破格だ。いつも、会社近くに家を借りていて良かったと心底思う。正直、通勤時間を金で買えるなら安いものだ。そもそも電車が苦手だからな…。さて、明日は残業が発生しないように仕事を調整しないとな…今、この時代の俺が、何の仕事をしているか解らないけど。とりあえず、家に帰ろう。考えなきゃならない事は山のようには無いが、深海のように…難易度の高いものが待っている。
ユカはあの時、なぜ泣いたのだろう…と歩きながら数分考え、途中のコンビニで飲み物だけを3本買い、家に着いた。
34(ハヤカワ)
さて、とりあえず風呂には入ったし…整理していくか。
課題が何で、その背景、打つべき手、はユカがほとんど整理してくれたようなものだ。持ち帰ったA3のコピー用紙の中から、白紙を一枚取り出し、書いてみる。
課題その1:社長と会長の関係性は、必ずしも強固ではない。
課題その2:その関係性を、崩そうとしている存在がいる。
背景その1:経営幹部とコンサルは、社長に主権を握らせたくない。
背景その2:経営幹部とコンサルが、楽に金を得られなくなるリスクが高いため。
想定工作その1:社長と会長の関係性に『ヒビ』を入れ続ける。
想定工作その2:社長の改革実行タイミングで、会長と社長の関係性を崩壊させる。
(改革実行タイミングは、経営幹部の悪行が成敗?されるタイミングと同じ)
まあ…こんな所だろう。そして打ち手の方向性は。
打ち手1:関係性にヒビを入れさせない。ヒビがあったら即座に修繕する。
打ち手2:そもそも、何があっても壊れない関係性を、今の内に作る。
じっくり考えよう。まず1本目の飲み物に手を付ける。2025年でも飲んでいるものと同じお茶…パッケージは少々違うのが、少し愉快だ。
まずは『ヒビ』を入れたいと考えたら、今の社長と会長の関係性から考えても…意見の食い違いくらいでは『ヒビ』にはならないんだよな…。だからAかBかみたいな、会長と社長の意見が大きく割れるものを、お互いがいる会議に経営幹部やコンサルが提示しても、あまり意味が無いと考えるだろう。となると、やっぱり個人個人にこっそりアプローチする発想だろうな。
ただ、経営幹部が社長に何か耳打ちをしても…社長はちゃんと聴く事もなく、何となく聞くだけで『聴いているフリ』をして、スルーして終わり。もしかすると、それを社長から会長にレポートすれば、耳打ちした経営幹部自身の身も危うい可能性がある。だから社長にアプローチする方法は、普通なら取らないだろう。となると、やはり『ターゲットは会長』に絞るのが自然になるはず。
で、そこで会長に何を耳打ち…インプットするかが問題になるが、普通なら『社長が、実は陰では会長を陥れようと、もしくは…自信の求心力高めるために…社内で工作をしている。従業員の仲間集めをしている』とかが、ごく自然に悪党なら考えそうな事だ。ほとんどの株はまだ会長が持っているだろうから、実権的な所は無理だとしても、会長の影響力を著しく下げて、社長自身の求心力やカリスマ性を最大限に上げるような施策で、会長を陥れるような事は、一応は…現実的な話として筋が通りそうだ。
ただ、会長もその話を幹部から、聴いただけで安易に判断する訳はない。恐らく、社内を調査する。調査というと大げさだが、数名に聴けば良いだけだ。仮に聴いた相手が「そんな話は聞いた事が無いです」となる。それはそうだ、社長はそんな事をしない。少なくとも、俺やユカにそんな話は一度もした事がない。今日の『年寄り発言』には少々驚いたが、会長批判でも無く、他の経営幹部をすべてにおいて否定したモノではない。その結果、会長が再度…その幹部に確認する。
それを逆手に取り「会長!それは社長が口止めを当然しているからです」とでも、何とでも言える。「正直に答える訳ないですよ」とか、とにかく疑心…を生めば、それが小さなヒビとなる。それを積み重ねるだけで、きっと充分なのだ。
となると…この課題については『俺達が、先手を取る』だな。ここまで来れば、思考はクリアだ。
昔遊んだ、街を発展させるテレビゲームに、こんな文言があった。
「市長は良くやっていると思いますか?」
これを、会長や社長だけでなく、全役員…ついでにコンサルジジイを対象に、匿名で全社員から『○○氏は、良くやっていると思いますか?』アンケートを集めて、経営会議に出してしまえば良い。匿名だけれど、役員自身は個人が特定出来ない範囲の記号を付けて、捏造されたモノではない、とか、自分以外のアンケート結果は、やろうと思えば、個人や組織、店舗との紐付け可能。とかにすれば、データの信頼性は増すはずだ。
もちろん、その結果は、どう出たとしても何の強制力も無い。ただ会長にとって『信じるべき者は誰か?』の基礎情報にはなるだろうし、会長だけには、アンケート回答者全員の個人特定をしたモノを出しても良い。うん…今回はそれが一番いいか。
おそらくユカと俺が…今の俺が、全社員に号令を掛ければ、一瞬でアンケートは回収出来る。その自信はあるし、結果はやる前から明らかで、店舗の社員は、圧倒的に社長に高評価を付けるに違いない。実際ヘルプスタッフとしても機能しているからな。会長に対しても、基本店舗スタッフを叱る事はなく、店を訪れても、本部で会っても励ましだけだから、高評価が集中するかは解らないが、悪い評価になる感じはしない。
当然、突然店に来ては、偉そうに店長を呼びつけ、偉そうにしている他の経営幹部連中とコンサルジジイ…特にコンサルは、外部のクセに何でそんな上から目線で、特に売れるヒントも出ないんだから、間違いなく評価が低くなる。本部スタッフは、経営層との普段の距離が近いから、より、経営幹部に対しては、低評価が集まるだろう。
こういう基礎が作りこまれていれば、社長の改革のタイミングには『ヒビ』が微塵もないと仮定すれば、社長が、改革実行前に、会長に対してきっちり筋を通せば、恐らく大丈夫だろう。俺が知っている約二十年前の改革の時は、社長は誰にも…会長にも言わず断行したから、それは良くなかったと、今なら理解出来る。
「よし、これは行けるな…!」と、独り言だが、強く呟いた。
【特別アンケート企画!○○さんは良くやっていると思いますか?】
これを、10周年を迎える前に、事前企画としてやりたい旨を、俺とユカで、会長と社長にだけ実施の承諾を得て、実行すればOKだ。目的もこのタイミングで『現場も経営も一丸になるために』とか、何とか言えば、会長は承諾するだろう。そもそも社長は反対するイメージすら湧かない。
そして、他経営幹部には、事前に言わなかったのは『回答者に、変なプレッシャーが事前に掛からないように、このアンケート実施は、会長と社長だけが知っている状態にすべきと考えた』とでも、言えば筋は通る。さらに『本当は、各部長くらいまでは評価対象にしたかったけれど、ちょっと多すぎるので、今回は止めた。そもそも趣旨とは違う』とか言えばいい。
ミステリーショッパーならぬ、半ミステリーアンケートだ。後ろめたい事が無ければ、文句は言わないはず。もし仮にアンケート実施に文句を言うなら「何か、後ろめたい事でもあるんですか?」と、こちらは言えるだろう。
自分で言うのも何だが、手慣れた感じに、アンケート用紙と趣旨をまとめた企画書を作成して、とりあえずユカにだけメールで送っておいた。部屋にある目覚まし時計の針は午前4時。
ユカからは返信はない。なんだ、ちゃんと眠れているじゃないか。良かった。
もう、食事をする気にはならず、そのまま自分も眠る事にした。
35(ユカ)
シャワーだけをそこそこに、まずまず気に入っているパジャマに着替える。でも、やっぱり。どうにも、眠れない。布団に入ったものの、目をつぶったり、電気は消えているが視界は薄く開けている。白っぽく見える。
今日は色々な事が多すぎた。脳がオーバーヒートしている感覚。ハヤカワには見事にスルーされてしまったが…本当は、バッカみたいにお酒でも飲んで、酔ったまま、流れで寝てしまいたかった。…独りになると、今日はあった事が鮮明に浮かび上がって、頭の中をぐるぐる回ってしまう。何しろ情報量が多すぎる。
今日話したハヤカワは二十年後の五十歳のハヤカワが中身であって、あたしの知るハヤカワでは無かった。だって明らかに違う。もちろん見た目は、今までと何にも変化が無いようにも思うし、多分本当にそれはそうなんだろう。あくまでも中身だけ。でも本人は、まったくそんな『異常な状況』を気にしていない…というよりも、楽しそうに、期待をしたような気持ちでいるのが、何だか、ほんの少し、気持ち悪い。
わかる。アイツにとっては、二十年も前の時代に、若返って戻って来た、みたいな感覚なんだろう。五十歳のハヤカワがどんなもんなのか…あたしは何にも知らないけれど。
あとは…なんだろ…今までは同世代?同士?戦友?として、ずっと一緒だったような感覚なんだけど、今日は、どれだけ手を伸ばしても届かないような…。ずっと先に行ってしまったような。そもそも繋がっていないような。
何だか、色んな大変な事があった一日だったのに、考えているのは、そんな事ばかり。この感覚と感情が何かは正直よくわからないけれど。
ふと、ケータイを手に取る。…メールの通知がめちゃくちゃある。珍しい。パカッと開けて、差出人とタイトルをざっと見てみる。
…ああ、あたしは今日が、誕生日だったのか。昨日で二十九歳は、さようなら。
なんだか、急に酷く疲れたような気がして、ケータイをベッドから落ちない範囲に放り投げた。
うん。なんとなく眠れそうな気がする。
36(ユカ)
朝6時。自分にしては異常に早い目覚めだ。
そんなに深い眠りにはならなかったみたいで…流石に少し眠くて身体も重い。
ケータイを探して、寝る前に、そのままにしていたメールに返事をしていく。
ん?ハヤカワから?あの後メールして来てたのか…悪い事したな。ファイルが付いている。
うーん?【特別アンケート企画?】…なるほどね。面白いじゃんか。よしよし、ハヤカワ専属秘書のあたしが、会長と社長にアポ入れてあげよう。あの2人は朝6時には、なぜかもう出社してるはずだから。そして…今日は…うん店は休めるな。休もう。というかシフト変更でしか無いけど…まあ…副店長には申し訳ないけど、今は会社の危機だ。
途中、ケータイの電池が無くなりかけて少し慌てたけど、会長と社長に電話でアポイントを取り付け、サブ店長には顔文字たっぷりのメールで、シフト変更をお願いした。焼肉一回ご馳走するから!で、見事な契約成立。
さて、ハヤカワさまは寝ぼすけさんだから、やっぱり電話じゃなくてメールがいいかな。
差出人:ユカ(mizutama-yuka-bear@noezyweb.ne.jp)
件名:朝10時から、会長と社長にプレゼンですよ
本文:あなたの秘書、ユカです。企画プレゼンの約束を、会長と社長にしておきました。今日の朝10時から社長室です。よろしく~遅刻厳禁★
こんなもんかな…送信。
ケータイを、またベッドに放り投げた。
37(ハヤカワ)
目が覚めた。腕時計の表示は…使い物にならないから…目覚まし時計…は、朝の…8時くらいか。何だか、寝起きの身体が軽い。
20年遡った時代のケータイを何となく見る。時刻表示は09時02分。おそらく正しい時刻を表示しているようだ。
メールが1件だけ届いていた。内容は、ユカからの「無茶な連絡」だった。始業時間ぴったりから、会長と社長に話すのか…スゴイ調整?強制力だな、ユカは。
慌てて、身支度をして会社に向かった。
会社に向かう道中で、ふと気付く。よく考えれば、俺は20年前からずっと同じマンションに住んでるんだな…昨晩はまったく意識していなかったけど、帰宅時は自分が20年前に来ている事を完全に意識していなかった。というか、引っ越ししてなくてよかった。最悪どこに住んでいたのかの記憶が怪しかったかもしれないし、間違って知らない人の玄関ドアをガチャガチャしていたかも知れない。
そんな、本来ならどうでもよい事を色々と考えている内に、あっという間に会社に着いた。
IDカードも、慣れた手つき…慣れたというよりも、20年過ぎても染みついている動きで自然にカードリーダーにあて、会社の門を潜った。
社長室はすぐだ。左腕を持ち上げるよりも先に、折りたたみケータイの表示時刻を見る。朝9時50分。カンペキだ。
38(ハヤカワ)
ノックをして「どうぞ」の声と同時に、社長室に入る。
社長、会長、ユカ、全員すでに勢揃いし、直前まで談笑していた雰囲気がその場に残っている。
「あ…俺、もしかして…遅刻しちゃいましたか…?」
「ハヤカワ…会長と社長、そしてこのユカ様を待たせるとは、良い度胸してるじゃない?」
ユカが、意地悪な表情でそう言うが、社長の顔を見る限り、そして同時に壁掛け時計を見る限り、時間ぴったりのようで安心した。
「ユカさん。そういう意地悪はしないようにね…と言っても、多分ハヤカワさんにしか、そういう悪戯はやらないんだろうけど」
社長が話してくれて、遅刻していないのが確定。とりあえずホッとした。
「ユカ、そういう冗談はやめてくれよ…会長も社長も遅刻にめちゃくちゃ厳しいの知っているだろ…朝から、血の気が引いた」
「ごめんごめん。さあ全員これで揃ったから、早速会長と社長にプレゼンしよっか」
俺は、昨晩というか早朝というか、作成している資料をプリントアウトしたものを、会長、社長、そしてユカに手渡した。そして【特別アンケート企画!○○さんは良くやっていると思いますか?】について、一通り説明を終えた。
十秒ほどの沈黙。そして社長は切り出す。
「ハヤカワさん、面白いね、この企画。確かに10周年を迎える前に、みんなが結束するきっかけは、合った方が良いと思った…僕はこのアンケートやっても良いと思う。…会長はどうですか?」
「内容については異議なし。やれば良いと思うが…ハヤカワくん、ウチの社員は本音でこれを書いてくれると思うか?…結局、経営陣をヨイショするだけになったり、この手のアンケートは、必ずしも真実が導ける訳ではないと思うが。本音と建前が混在したアンケートほど、無駄なモノはない…後は無回答で提出されてしまうかもしれん。…これは匿名で提出か?」
俺は自信を持ってこう答える。
「まず匿名を可にしてしまうと、真実には近づくかも知れませんが、受け止める側が真実として受け止めにくくなると思っています。ですので、氏名は記載してもらいます。ただし、そこを紐付けて見る事が出来るのは、会長と集計役の俺…私だけという条件で通達を出します」
「なるほど」
「ただ、今後は第三者機関を使うなどして、より公平性や透明性を高めたいと思っている前提として。あくまでも今回のみ、第三者役を会長にお願いしたいと考えています」
ほんの一呼吸の後に、会長は話す。
「よしわかった。その役目は引き受けよう。ではアンケート結果はまずはすべて、こちらで一度預かる。その後ハヤカワくんに渡して、集計作業を行ってもらおうか。そこでの不正…は、ハヤカワくんは絶対にしない事は解っているが、その様に通達を出した方がいい」
「ありがとうございます。会長」
「しかし、いつまでに提出してもらうつもりなんだ?これもよくある話なんだが、〆切までに余裕が無さ過ぎても、有りすぎても、上手くいかない事が多い。どう計画するつもりだ?」
「はい、今日の昼に社内ポータルで通達を出します。そして期限はちょうど1週間後。自分達で言うのも何ですが、ユカと俺…私で声かけながら提出を促せば、すぐに回答は集まってくると考えています」
会長は「よしわかった。やりなさい」と言い、その時の社長は見たことのない表情をしていた。少しだけ…一瞬だけ…策略家のような…そして何も言わなかった。
39(ハヤカワ)
1週間後。
実際、あっという間にアンケートは集まった。自分で言うのもなんだが、やはりユカと自分でお願いをすると、ほとんどの社員はすぐに動いてくれた。店舗組はユカが。一部ユカとは折り合いの悪い店長もいるが、不思議とそのメンバーは自分を慕ってくれていたりする。本部メンバーは基本自分が動けば、たいていのメンバーは動いてくれる。本部側のアンケート未回収者には、同じようにユカが補填をしてくれた。ただ、そもそもみんな、何かしらのストレスがあったのかもしれない。
ともかく、全社員からの回答はアンケート用メールアドレスに集まった。それを会長にも報告して見てもらった…と言っても、5分ほど、ざっと目を通して「よし。では、集計を頼む」と。
実質、俺がこういう事で不正行為をしないと信じてくれているのが嬉しかった。
とはいえ。ああ、これが2025年なら、もっと簡単なアンケートツールもあるんだけどな…今は2005年だから、回答がバラバラに集まるのは仕方ない。その他のやり取りはFAXがメインだけど、流石にそれはちょっとキツイ。とりあえず店舗にもノートパソコンが1台ある時代で良かったとしよう。同じ体裁で、デジタルデータで集まってくるだけマシだ。メールと手書きFAXの混在…なんて事になったら、とんでもない…。
さて、どうやって一つのデータにまとめようか…と考えながら、少し苦しい気持ちが生まれた。
2025年の自分が、こんな風に声を掛けて、動いてくれる仲間って何人いるのか…せいぜい片手で数えられる程度…いやもしかすると一人もいないかも知れない。やはりこの時が、自分の人生のピークだったのだ。
一つも幸せになれない思考を、無理やり断ち切って、2025年までに得たパソコンの技術で、200件ほどのアンケート結果を一つのファイルにまとめていく。ああ、こういう技術的な知識は、この時代にも持って来られるのか…進化している事も自分にはあるんだな…。
頭の中だけでブツブツと言いながら、集計結果をプレゼン資料にまとめる。こんなの捏造だ、と言われないように、アンケートデータを信頼出来るものだと宣言するページも漏れなく作る。こういう所も中年の頭脳として活かせている。集計結果をグラフにして、資料は完成した。
アンケートの結果は、完全に予測通りだった。
今回は第三者役の会長への評価回答は無しだ。結果は…社長は圧倒的に支持を集め、その他の役員陣は、ほんの一部を除いて『最悪の結果』であり、ついでに回答してもらった、コンサルジジイの評価は『地獄のような結果』だった。
それをまずは会長と社長に、メールで報告、結果も送付しておいた。
40(ハヤカワ)
アンケート結果を集計した、翌朝。
全社…というか経営陣とコンサルジジイに向けてのサプライズ。アンケート発表の日。そして、今はその報告会の5分前。社長室の前だ。社長室からは何も声が聞こえては来ないが、おそらく自分以外の全員はすでに『待ち受けている』。
正直、もう今日の展開は読めているが、気合を入れて社長室に入る。資料は事前に配布済みだ。ちなみに今日、ユカは呼んでいない。こういう面倒な事は、若いヤツにはやらせるべきではない。と言っても、自分も今は二十九歳か。
「ハヤカワです。失礼します」
全員が無表情に自分を出迎えた。しかし驚くほどに、部屋の空気は淀んでもいないし、動いてもいない。
そんな中、目が合った社長は、瞬時にいつもの柔らかい顔になり「ハヤカワさん、お疲れさま」とだけ声を掛けて、両手を振り下げ、俺に着席するよう促した。
社長が立ち上がり、こう言った。
「今日は、私が皆さんにも事前に転送したハヤカワさんからの資料…我々経営陣への評価…社内へのアンケート結果を報告してもらいます。この目的は、ハヤカワさんとユカさんからの提案で、来年のブランド10周年を前に、現場と経営が一体化…さらに一丸となるために、現場社員が我々経営陣をどう評価しているかを答えてもらったものです。この提案を受けて、なるほど確かに、いつも経営側から社員を一方的に評価していましたが、確かにこういうのもアリだな、と思いまして、社長として実行を許可しました。」
一部の経営陣の表情が曇っているのがよく解る。社長は続ける。
「もしかすると、こういう制度がある事…社員から経営陣を評価する…もちろんそれには社員に権限は与えられませんが、そういう仕組みがある会社…というのは採用活動にもプラスになるかも知れません。ちなみに、回答社員の匿名性を担保するために、誰がどう回答したかは、会長と集計をしたハヤカワさんだけが今回は知っている、という形にしました。データの信頼性と匿名性を同時に担保する方法は、今後は外部を使うなど検討中との事です」
社長がチラっとこちらを見る。大きく頷いておく。流石だな…社長は。そこまで先に言ってしまえば、誰も、もう何も言えない。
「今回は初めての試み…という所ですので、まずはそのまま集計結果をお手元にお配りしています。この結果について、社長である私から特別にお伝えする事はありませんし、この結果を受けて何かをしようという、考えもありません。ただ、これは社員の声であり、正しく信頼出来るデータです。それぞれが真摯に受け止めましょう。以上です」
なるほど…社長は、俺から発表を敢えてさせないようにしているんだな。確かに俺から結果を報告して、みたいな形だと、ちょっとまずかったかも知れない。この部屋に入るまでは、自分で話すつもりだったが…どうせ失うものはないけれど、ここは社長に甘えておこう。ただ、少し『弱い』か?
一瞬、部屋の中はざわついた雰囲気に包まれたが、すぐに静けさを取り戻した。
じゃあ、今日のところは解散…という空気になった、その一瞬。
「社長、それでは甘すぎる」と、会長が切り出す。
「会長?」
「甘すぎる。ここまで社員に明確に良し悪しの評価をされて、何も行動を起こさないのでは、回答をした社員達に申し訳ない。今回…全員の回答を一つずつ、じっくり時間をかけて読み込んだ。絶対にアンケートを書きながら、何かを期待したはずだ。もしかしたら自分の立場が悪くなるかも知れないという…恐怖感に打ち勝って、だ。正直、社員達はみんな当たり障りのない回答をしてくると思っていた。リスクがあるアンケートであると感じたのが正直な所だろう。経営は全員良くやっている…と。でもそうではなかった。生々しい実態が書いてあったりもした。特に自由記述欄に表記されている事…本当に驚いた…というのが正直なところだ」
再び、場がざわつく。
「とりあえず…今日の所は解散でいいが、然るべき対応を考える。そうでなければ、このアンケート結果は意味がまったくない」
2日後。
2日後…何があったのかは知る由もないが、朝9時の始業のタイミングで、一部経営幹部の電撃的な解任と、コンサルの契約終了が発表された。社内は少しざわついたものの、お昼頃にはいつも通りに、みんなはランチに向かい、いつも通りに午後の勤務に集中する本社スタッフ達がいた。
店舗スタッフにも通達が行っているはずだが、同じくらいの反応…もしくは、たまに入るチラシFAXと共に捨て去られているのかも知れない。
特別この件で、俺の所に、誰からも連絡が来ることは無かった。
41(ハヤカワ)
ケータイの表示で時刻は18時ちょうど。本社スタッフ退勤時間。明らかに興奮気味のユカが走ってくる。
「ハヤカワ!やったねえ!」
「おお…あんまり、大きな声を出さないでくれるか…何か悪事を働いたかのように見られる」
「これってさ、ハヤカワの言ってた事からすると『未来を、間接的に変えた。変える事に成功した』って事だよね!」
「ああ。あの通達の後、気になって腕時計の表示を見たんだが、まったく減っていなかったよ。まあそれはそれで、時間表示が増えも減りもしない時計も不思議でしかないけどな。正直な所、不気味で気持ちが悪いよ」
まあ、それは。とユカが続ける。
「とりあえーず、ご飯行こ、ご飯行こ。終わりでしょ。今日は」
「う、え、あ…はい、あがります…」
「あなたのユカさんは、早番あがりで、ぴゅーっとここまで来たのですよ?」
「いや、早番のあがりは19時のはずだ。今18時だぞ。どんな力使ったんだ」
とりあえず、夕食を食べに行く前に、少し話をしてからの方が良い。祝勝会には…まだ早い。
「ユカ」
「はあい?」
「とりあえず、ちょっとヒゲカフェ行こう。んで、久々に飲みにでも行くか」
「いいねー、いいねー。じゃあ、少しヒゲで話をしてから行きますか」
話が早くて助かる、という気持ちを抱きながら、ヒゲカフェまでゆっくり一緒に歩いて向かった。
………。
出来れば、全てを、はなしたくないが。
(次回、第5話はこちら)
