価値観を再起動する伴走者の「本気の自己紹介」
はじめまして。
との(殿)と申します。
長年にわたり、自分の本当にやりたいことを探していたような気がしています。昨年、自己理解プログラムを修了したものの、心の奥底にあった自分にやりたいことに踏み出せずモヤモヤしている状態です。
自己理解プログラム受講中はコーチが伴走してくれますが、これからは自走しないといけないです。
歩みは遅いかもしれませんが、やりたいことを実現するための道程をここで記していきたいと思います。
(1)イントロダクション:探求の始まり
私は1972年に神奈川で生まれ育ちました。私は、一人っ子として、幼稚園からの友人に誘われる形で小学1年生で足を踏み入れた剣道の世界は、そんな私にとって初めての自己表現の場となり、中学、高校と青春を捧げることになります。竹刀を握り、正対する相手との間に生まれる緊張と一体感、そして心技体の鍛錬は、幼い私の「自分とは何か」という問いに、無意識のうちに答えを与えてくれていたのかもしれません。
しかし、高校2年生の時に腰を痛め、日常生活にも支障が出るようになったことで、剣道を断念せざるを得なくなりました。それは、私の人生で初めて直面する、大きな挫折でした。さらに、一浪時には体調を崩し、受験にも失敗。この時期、私を襲った「心の弱さ」という漠然とした感覚は、なぜか私を合気道へと導きました。体調の波に翻弄されながらも、心と体の繋がりを模索する日々は、後の私に大きな影響を与えることになります。
二度の浪人生活を経て、Fラン大学への進学。しかし、大学4年になる頃には「もう少し勉強するか」という、これもまた漠然とした思いが強くなり、無利子の奨学金を活用して大学院へと進みました。指導教授の厳しい指導の下、修士論文の執筆に追われる日々は、「マジで学校に住んでますよね?ww」と後輩にからかわれるほど。この中で、「社会人になったら楽をしたい」という思いが芽生え、公務員を目指すという甘い計画を抱きました。そして、就職先選びの最優先事項は「自宅から近いこと」。目の前の忙しさから逃れたい一心で選んだ道が、私のキャリアの始まりとなるのです。
(2)仕事の経緯:揺れ動く心の航海
(2.1)入社~5年目:予期せぬ船出
1999年、私は某メーカーのシステム子会社へと入社しました。公務員試験用の書籍を抱えながらも、新人研修後の毎日の飲み会が楽しくて仕方がなく、結局、勉強はほとんど手につかずじまい。研修が終わると社内システム部門に配属され、目の前のタスクをただひたすらにこなす日々が始まりました。「楽をしたい」と夢見ていたはずが、気づけば、がむしゃらに働く自分自身がそこにいました。
(2.2)5~20年目:葛藤と幸福、そして転機
入社5年目、親会社向けの業務部門へと異動。この頃、同期の女性と結婚し、新たな家庭を築く喜びにも包まれました。結婚後、およそ5年半にわたり親会社の情報システム部門へ出向する経験もしました。しかし、所属会社へ戻ってきても、仕事に対する「楽しい」という感情はほとんど芽生えず、「これは本当に自分がやりたいことなのか?」という疑問が、心の奥底で常にくすぶっていました。それでも、目の前の仕事には相変わらず一生懸命取り組む日々。
しばらくして課長になり、10人ほどの部下を持つ立場に。その頃、待望の息子が生まれ、私の人生はこれ以上ないほどの幸福感に包まれました。ところが、息子が生まれて数年後、入社19年目を迎えたある日、上司の期待に応えられないというプレッシャーが私を襲い、猛烈な腹痛を発症。呼吸すらままならなくなり、救急搬送され一週間の休暇を余儀なくされました。この出来事は、心と体のバランスが崩れ始めていることへの、私自身へのアラームだったのかもしれません。
(2.3)20年目~現在:嵐の中の自己との対話
体調を崩して以降、私は(親会社と無関係の)お客様先へ常駐する業務へと移りました。そして、2023年から2024年にかけて、業務が超多忙を極める中、プライベートではさらなる試練が訪れます。母が認知症を発症し徘徊が始まり、ほどなく父も認知症が進行。老人ホームや特別養護老人ホームの空きを探しに奔走する日々が始まったのです。
毎週末、実家へ通い両親の身の回りのサポートをする中で、警察から母の保護連絡を受けたり、捜索願を出しかけたりと、想像を絶する事態が続きました。後に父も認知症が進み、母を迎えに行けなくなっていたことを知るたびに、胸が締め付けられました。母が徘徊中に転倒し大腿部を骨折、手術を経て老人ホームに入居できたときには、心から安堵しました。
しかし、安堵したのも束の間、緊張の糸が切れたかのように父の認知症が一気に進み、被害妄想の症状が強く現れるように。警察が実家を何度も訪れる事態となり、今度は父が入居できる老人ホーム探しに奔走する日々。地域の介護サポートセンタの方々の助言もあり、父を一時的に入院させ(4ヶ月間)、その間に老人ホームを探すという苦渋の決断もしました。なんとか入居先は見つかったものの、病院での刺激の少なさからか、父の症状はさらに進行してしまいました。
追い打ちをかけるように、父方の親戚間のごたごたや、両親に債務があることが発覚。私の心は猛烈に疲弊していきました。身内のごたごたを解決するため、父に成年後見を付けることを決断。弁護士の方の尽力で問題が解決したことには、本当に感謝しかありません。その間、父は誤嚥をするようになり、偶然にも申請していた特別養護老人ホームへ移ることができました。
1年にわたる多忙な業務が落ち着くと同時に、父の体調は急激に悪化し、他界。(母は現在も元気に暮らしています)父の葬儀を滞りなく終え、ようやく一息ついた時、私の心に急激に問いがこみ上げてきました。「これは誰の人生なんだ?『自分』はどこにいるのか?」と。仕事への興味は今まで以上に薄れ、機械のように「やらないといけないこと」をこなすだけの時間になりました。自分に対しても生きている意味を見いだせず、何のために呼吸し、何のために心臓が動いているのかさえ分からなくなったのです。「たとえいなくなっても、子供は奥さんと家があれば育つ。ここにいる意味は何だろう?」 深い闇の中にいた私は、心の奥底で、本当の自分を探し始めていました。
(3)自己理解プログラム受講の経緯:探求の光
自分でも心の状況がおかしいと感じ始めていた私は、解決の糸口を求めて書籍やインターネットに答えを探し求めました。しかし、自己啓発系の書籍を手に取っても、まったく頭に入ってこない日々。そんなある日、家族で訪れた書店で、八木仁平さんの『世界一やさしい やりたいことの見つけ方』という一冊が目に飛び込んできました。
「大事/得意/好きの3つの丸が重なったところが本当にやりたいこと」という、シンプルでありながらも数学の集合のような考え方は、これまでにない新鮮さを感じさせました。私は迷わずその書籍を購入し、その日のうちに夢中で読み進め、ワークに取り組みました。普段の私からすれば異例ともいえる、この即座の行動こそが、心の奥底で求めていた「何か」との出会いを予感させたのかもしれません。
ワークを進めてみたものの、一人で深く掘り下げることの難しさを痛感し、自己理解プログラムの受講を検討し始めました。高額な費用に最初は戸惑いを覚えたものの、やはり自分で掘り下げてみても「浅い」と感じるレベルでしか自己理解が進まないことに、内心では受講を決めていました。自分の貯金から捻出することに不安はありましたが、妻に相談して背中を押してもらい、ついに受講へと踏み出すことになります。
まずは無料カウンセリングを受けることに。この時点で有料プログラムの受講も視野に入れていたため、コーチの紹介を慎重に見比べて候補を絞り込みました。カウンセリング受講前には、YouTubeで八木さんの「やりたいこと相談会」を何度も見返し、準備を重ねました。
そして迎えた無料カウンセリング。限られた時間の中で、事前に送付しておいたワークを見てもらいながら、コーチとの対話が始まりました。冒頭で「この時間では、やりたいことが明確になるところまではいかず、自己理解プログラムを受講することで、私がモヤモヤしていることがクリアになるかどうかの判断がつくだけ」と告げられたとき、私は逆にリアリティを感じました。「そんな簡単に理解されてたまるか」と、どこかで思っていたからです。
このような経緯を経て、私は自己理解プログラムの受講を申し込みました。それは、長年心の奥底にくすぶり続けていた「自分とは何か」「本当にやりたいことは何か」という問いに対する、真剣な探求の旅の始まりでした。
(4)自己理解プログラム受講後:モヤモヤの先に灯る、新たなビジョン
2024年11月末、私は自己理解プログラムを修了しました。**結論から言えば、受講して本当に良かったと心から思います。**修了直後は、「本当にやりたいこと」や「ビジョン」が明確になり、これまでにない高揚感に包まれました。「やれる」という根拠のない自信さえ、少しだけ芽生えていたのです。
ただ、コーチとの壁打ちを通じて心の奥底から見つけ出した「本当にやりたいこと」は、特定の職業や職種に縛られるものではありませんでした。それは、「自分の人生を生きている実感を持っている人を増やしたい」という、どこかフンワリとした、しかし私にとって何よりも確かな言葉でした。そして、その先に広がる私のビジョンは、「心が満たされ笑顔があふれる社会を築く」というものでした。
プログラムの終盤で、自己実現に向けて具体的な行動計画を立て、小さなドミノを倒し始めた矢先、いきなり大きな壁にぶつかります。受講前は感情が失われたかのように感じていた私ですが、今度は、明確になった「本当にやりたいこと」と現状との大きな乖離に、モヤモヤとした感情が押し寄せるようになりました。
「YouTubeやインターネット上には、プログラム受講後に自分のやりたいことを実現した人の成功事例がたくさんあるのに、自分はどうすればいいのだろう?」
現状、私が担当している業務では、この「本当にやりたいこと」を実現することはほぼ不可能です。会社や部門が私に期待しているのは、私がやりたいこととは全く異なる領域であることも理解しています。家族もいて、50歳を過ぎた私にとって、転職という選択肢も容易ではありません。
「これ、どうやって実現するの? どうすればいいんだ?」
ひたすら自問自答する日々が続きます。しかし、このモヤモヤは、ある意味で私にとっての回復の証でもありました。自己理解プログラムを受講したことで、私の心は癒され、「普通の人」のように心が動くようになったのです。
私は今、大きな壁の前に立たされています。しかし、この壁は私を諦めさせるものではありません。むしろ、明確になった「本当にやりたいこと」と「ビジョン」へ向かうための、新たな探求の始まりだと捉えています。私はこれからも、「自分の人生を生きている実感を持っている人を増やし、心が満たされ笑顔があふれる社会を築く」ために、このモヤモヤを原動力に変え、一歩ずつ、私らしい方法で前に進んでいくことを誓います。私の物語は、まだ始まったばかりです。
長文を読んでいただきありがとうございます。
次回からは、いま思っていることや私のインプットと現実の対比など、書いていきたいと思います。
よろしければ、また訪問頂けると幸いです。
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「やりたいこと」が見つかっても動けないあなたへ。元・ロボット人間より
