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野口良平「幕末人物列伝 攘夷と開国」 第5話 本居宣長(6)

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 宣長の学問をつらぬいていた動機。それは、強者や優者が自分に向ける視線を内面化するのではなく、この自分に深く感じられている自分自身を他者の前に置き直すこと、言い換えれば「自画像制作」(加藤典洋『増補 日本人の自画像』)だった。

 宣長の学問には、堀景山経由で手にした二つの重要な参照項がある。一つは、荻生徂徠古文辞学。もう一つは契沖から賀茂真淵にいたる列島の古典研究(いわゆる「国学」)である。

 徂徠は、幕府公認の朱子学が、儒学を開いた孔子の教えを勝手に解釈していると考えた。しかもそれを列島の学者たちは、原文(「中国語」)ではなく、勝手に解釈され、読み下された「漢文」を通して学び、研究している。それでは孔子の真の教えに迫ることなどできない。ではどうすればよいか。

まず、過去の異質な言葉(古代中国語)で書かれた文献(古文辞)である『論語』を、厳密に研究し読み進める(=崎陽の学)。そのうえで、当時の生活のなかでの孔子の言葉のありように迫り、そのありようを生かした訳文を現代の自分たちの言葉(「日本語」)で表現してみる(=訳文の学)。
そうすれば、たとえば『論語』に出てくる「過則勿憚改コウ・ツエ・ホ・ダン・カイ」も、「あやまてばすなわあらたむるにはばかなかれ」ではなく、「しくじってもやり直すのに遠慮するな」という俗語に置き換えるのが正確であるゆえんも理解されてくるだろう。実は「中国語」そして「日本語」の概念自体が、この徂徠の方法によって発見されているのである。

荻生徂徠『論語徴』小川環樹訳注、平凡社東洋文庫

 この研究法に基づいて徂徠は、孔子の教えの根本が、頭でっかちな理屈でも説教でもなく、治者(君子)が万人の生活を安んじる政治に向けられていることを、学問的に明らかにした。そして、「道」には治者の道としての政治と、被治者(女子と小人)の道としての道徳とがあり、前者を「大」、後者を「小」とする孔子の理路を、合わせて掘り起こした。

 徂徠の方法が列島にもたらしたものは、「近世的公私観」ともいうべきものだった。それは、政治の目的は人と人、治者と被治者とがつくりあげる「公」のためにこそあり、治者による苛政や失政は当然批判されるべきだという観点である。だが一方でそれは、「公」に比べれば「私」などは取るに足りないという観点、言い換えれば、治者を「大」、被治者を「小」とする価値の序列を前提にするものだった。

 宣長は、徂徠の方法から二つの示唆を得ていたと言える。
一つは、他者の肖像を描くことは、自分自身の肖像、すなわち自画像を描く作業に通じるはずということ。
もう一つは、自分という一人の人間が列島の地で自画像を描く以上は、孔子が想定していた治者と被治者の序列を逆転させ、「小」が「大」に、あるいは「私」が「公」に価値的に優先されるべきゆえんを明らかにしなければならないのではないかということである。
そして、列島の古典研究こそがその二つの示唆を生かす方法であるというメッセージを、宣長は契沖、そして真淵という先行者から受けとったのだった。

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※ ヘッダー写真:(魏)何晏//集解『論語集解』第1冊 巻3-4,〔室町末期〕. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1288252 (参照 2025-08-02)
(論語集解(ろんごしっかい)は、三国時代の魏の儒学者である何晏等によるものとされる『論語』の注釈書。経書の刊行本としては、日本で最古のもの。これは室町時代に堺で医師や商人が出版したもの。堺の道祐居士が正平19年(1364)に刊行したという跋文がある)〔編集部〕

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◆参考文献

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◆著者プロフィール

野口良平(のぐち・りょうへい)
1967年生まれ。京都大学文学部卒業。立命館大学大学院文学研究科博士課程修了。京都芸術大学非常勤講師。哲学、精神史、言語表現論。

〔著書〕
『「大菩薩峠」の世界像』平凡社、2009年(第18回橋本峰雄賞)
『幕末的思考』みすず書房、2017年
『列島哲学史』みすず書房、近刊(2025年9月)
〔訳書〕
ルイ・メナンド『メタフィジカル・クラブ』共訳、みすず書房、2011年
マイケル・ワート『明治維新の敗者たち 小栗上野介をめぐる記憶と歴史』  みすず書房、2019年
〔連載〕
「列島精神史序説」(「月刊みすず」2020年7月号~2022年9月)
「幕末人物伝 攘夷と開国」(けいこう舎マガジン)!!!!!!

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◆著作権等について


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