とらぶた自習室 (13) 勉強メモ 野口良平『幕末的思考』第2部「内戦」第1章-2
勉強メモ 野口良平『幕末的思考』
第2部「内戦」
第1章「内戦の経験──第二のミッシングリンク」-2
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(筆)栗林佐知
2023年3月24日のメモ
新政府軍VS幕府軍の戊辰戦争。
西から迫り来る「官軍」の西郷どんと幕府の勝海舟の話合いで、江戸城は「無血開城」され(著者は、福沢諭吉の言葉を引いて「解城」という語をもちいる)、徳川慶喜は「恭順の意」を示して降伏。
京都で幕府を支えてきた(とても危険で不利な任務なのに、徳川慶喜に頼まれて引き受けた)会津藩は、武備はしつつ恭順の姿勢でことにのぞむ。
東北の大藩である仙台藩・米沢藩は、会津を救おうと、新政府方を説得してなんとか和平を扱おうとしたが、
薩長「新政府」軍は、「会津と庄内藩はゼッタイ叩き潰す!!」
ひどいー!!💢💢💢
だけど、こんな人たちもいたのだ!
彼らの必死の奔走を記した第一章-2に、感動。
■ 戦争回避に努力した人々
ほんとにたくさん、立派な人がいたのだ……。
あまりドラマとかに出てこない人たち。
◇米沢藩士の宮島誠一郎と若い雲井龍雄(小島龍三郎)
東北列藩同盟のなかでは、大藩である「米沢・仙台藩に小藩がしたがえ」という規約があったが、宮島と雲井はこれを改正させ、同盟内での「平等」を実現した。
えらいなあ! よくそんなことを主張して実現させたなあ。
この二人は、京都で新政府の参与、広沢真臣(長州人)と会って、和平をはかる。
雲井龍雄は、何だったかの大河ドラマに「処刑」されてしまうシーンが出てきたので、その悲運を知っていた。
宮島は?
辞書を引いてみたら、明治政府で活躍していたので少しほっとした。
雲井は宮島よりずっと若い。なんと20代で斃死してるのね。おいたわしや……。
二人の命運をわけたのはどんないきさつだったのか。
◇仙台藩士、玉蟲左大夫
……この人、なんて面白いんだろう!!
かつて勝海舟たちとアメリカへゆき、平等な社会へのみずみずしい驚きをしるしていた人。
その帰国後、製塩所建設や内外の事情調査に従事。 来たるべき世について、理想を書き記しているそうだ。
「理想の前に会津も長州もない」(『夢晤』)と。
《徳川にも薩長にも与せず、天皇を政治に巻き込まず、合議政体の確立により非戦の可能性をさぐりつづけること》本書p121
これが、玉蟲のたどり着いた理念だった。
列藩同盟の会議に、彼は政府としての機構設備を推進し、
・公議所
・軍務局
などを整えた。
そして玉蟲は、仙台藩の使いとして、会津へ降伏をすすめにゆく。
だが戦争回避は実らず……。
とだけ、本書には書いてあったので、この後、玉蟲はどんな活躍をしたのだろう、と、人名辞典で調べたら……うそでしょーっっ!!
ショックで呆然とする。
みごとな人物ばかり、明治前夜にたおれてゆく。
◇会津藩士、山本覚馬
鳥羽伏見の戦いで、薩長に捉えられ獄中に。失明にもかかわらず、
・新政府の青写真(三権分立のほか22項目)を描いて、薩長に提出。
・万国公法(欧米列強の奉ずる国際法)を紹介して、会津・桑名藩の救解を訴える。
山本覚馬は、もとから藩の任務として、京で諸藩の開明的な知識を持つ人々と交流していた。
この人は、この後どうなったのだろう……
辞書で見たら……同志社大学を作ったのね。よかった。新島八重の兄さんでしたか。
◇長岡藩家老、河井継之助
幕府の瓦解をみるや、テキパキと藩政を改革し、武装中立を宣言。
だが、新政府軍と談判するも「中立」は認められず。
長岡藩は、会津藩たち「奥羽列藩同盟」に加わった。
そして新政府軍に果敢に抵抗するが……
新政府軍の侵攻はつづき……
慶応4(1868)年7月23日
会津若松に新政府軍侵入(藩士一族市民に多大な犠牲)。鶴ヶ城包囲さる。
7月29日 二本松城陥落
7月29日 長岡藩、新潟港と長岡城(一度は長岡藩軍が奪還していた)新政府軍にとられる。
9月4日 米沢藩降伏
(9月8日 慶応4年、明治1年となる)
(9月13日 「明治天皇」、東京へ)
9月15日 仙台藩降伏
9月22日 会津藩、鶴ヶ城を開け、降伏
9月23日 庄内藩降伏
10月9日 盛岡藩降伏
無念じゃああああああ!!
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