野口良平「幕末人物列伝 攘夷と開国」 第6話 渡辺崋山(3)
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とはいえ、少年崋山が勉学によせた志には、厚い壁が立ちはだかっていた。渡辺家の生活上の困窮である。いくら勉学を積んでも、生活の支えにはならないし、当座の生活にはむしろ妨げになる。
不幸中の幸いというべきか、崋山には幼いころから絵心があり、大叔父の田原藩士平山文鏡(1732-1801、狩野派の画人)に絵の手ほどきも受けていた。
事情さえゆるせば画家になりたいという思いも一方にはあった。絵の世界には、他の場所にはのぞみがたい自由の境地が広がっている。その崋山に、絵の修業をすれば生計の助けになると親身にすすめてくれる人がいたのである。
だが、最初に師事した白川芝山(1759-1850、書画家)は、画料が払えないことを理由に崋山を破門。
悲嘆に暮れる崋山に、父定通が藩主の姻戚の家臣金子金陵(?-1817、花鳥画を得意とする画人)を紹介する。

(パブリック・ドメイン/ファイル:Kaneko Kinryō Dog and Peonies.jpg)
金陵は、江戸画壇で大をなしていた南画家(文人画家)谷文晁(1763-1840)の門人で、崋山が入門したのは文化6(1809)年のこと。
同じ年、崋山は文晁にも入門した。

(パブリック・ドメイン/ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E6%96%87%E6%99%81)

(パブリック・ドメイン/ファイル:Kaneko Kinryō Dog and Peonies.jpg)
(東京国立博物館 情報アーカイブhttps://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0025650)
南画(文人画)とは、18世紀の初頭から、中国(清)より列島に輸入されはじめた絵画様式で、反権力的な社会的実践を封じ込められ、疎外感と鬱屈を抱えた知識人・文化人にむかえられた。
その究極の目標は、窮境にあっても自らたのしみうる境地を最大限に切り開くことだった。
中国のもとの形(直観を重視する南宗画と努力を重視する北宗画)にあっては、その担い手は支配階級=儒者知識人としての「士大夫」だったが、武士が支配階級を構成し、儒者がそれに仕える形をとる列島では、商人、農民などさまざまな身分層の担い手を得るにいたる。その意味では、生活のために崋山が身を置くにいたった場所は、境界侵犯的(マージナル)だった。
金陵、そして文晁への入門ののち、崋山は修業を重ねる。
そして日記によれば、藩の仕事に加え、睡眠時間を著しく削り、時には病をおしながら読書、画作、そして家計を支えるための内職(初午燈籠の彩画、凧絵、さらに春画の制作)に打ち込んだ。
この間崋山は、同門の知友たちとの交流を深めたが、その一人には、曲亭馬琴(1768-1841)の長男で、松前藩お抱えの医師だった滝沢宗伯(琴嶺、1798-1835)がいたが、その宗伯を通じて父の馬琴とも知己を得て、書物の貸し借りや意見交換を通じてのつきあいが長く続けられた。
馬琴は性狷介、心が狭く、自説に固執するかたくなな人物だったが、崋山の学識、画才、そして分け隔てのない誠実な人柄には一目置いていたようである。自らの随筆集『玄同放言』(1818)の挿絵を崋山にゆだねたのは、そのあかしである。

宮城県図書館古典籍類所蔵
(叡智の杜Web https://eichi.library.pref.miyagi.jp/miyagi_da/detail?cls=collect15&pkey=50057)
天保6(1835)年5月、病弱だった宗伯が危篤状態になった際に馬琴は、大事な息子の肖像画を描かせたいと思い、崋山を呼んだが間に合わなかった。
到着した崋山は、棺のなかの宗伯の遺体に、事もなげに自然に手をふれて、一時間ほど写生したので、馬琴はその剛毅さに驚いた。
並みの画家ならこういう場合、記憶をたよりにするだろう。
翌年、崋山はそのデッサンに彩色をして肖像画を完成させる。馬琴は喜んだ。

個人蔵、天理大学付属天理図書館寄託
(パブリックドメイン/ファイル:A portrait of Takizawa Kinrei by Watanabe Kazan.jpg)
崋山と親交を結んだ金陵門下には、旗本の末っ子で、やはり微禄を養うために画業を志した8歳年下の椿椿山(1801-54)もいた。
椿山は、金陵の没後は崋山を師と仰いだが、深い信頼関係に支えられた二人のつきあいは、崋山の死の直前まで続けられることになる。

(崋山死後13回忌を記念して描かれた)★
(パブリック・ドメイン/ファイル:Watanabe Kazan.jpg)
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■写真について
※ヘッダー写真:崋山画「蝙蝠」扇、東京国立博物館蔵
(東京国立博物館研究情報アーカイブス
https://webarchives.tnm.jp/imgsearch/show/C0041019
※★田原市博物館蔵 https://jmapps.ne.jp/taharaaichi/det.html?data_id=195
■参考文献
■著者プロフィール
野口良平 のぐち・りょうへい
思想史家、文筆家。
著書に『「大菩薩峠」の世界像』(平凡社、二〇〇九年、第一八回橋本峰雄賞受賞)、『幕末的思考』(みすず書房、二〇一七年)、最新刊に『列島哲学史』(みすず書房、二〇二五年)がある。
訳書にルイ・メナンド『メタフィジカル・クラブ 米国一〇〇年の精神史』(共訳、みすず書房、二〇一一年)、マイケル・ワート『明治維新の敗者たち 小栗上野介をめぐる記憶と歴史』(みすず書房、二〇一九年)。
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(けいこう舎編集部)
