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野口良平「幕末人物列伝 攘夷と開国」 第6話 渡辺崋山(10)

「渡辺崋山」(9)からのつづき
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  病気療養につとめていた蟄居中の崋山のもとには、真木定前ら藩政改革派の同志たちが訪ねてきて、崋山の意見をもとめるようになった。
すると、藩政に対する崋山の影響力への警戒心を高めた藩当局は、6月になって、当初は黙認していた外部との往来と文通を強く制限した。
7月ごろより崋山は、わずかな支給米しか得られず困窮した六人家族の生計を支える必要から、少しずつ絵を描き始めた。

 10月、来訪した弟子の福田半香ふくだはんこう(1804-64)に多くの絵を描いて与えた。半香は、師の窮状を知って郷里を含む三遠地方で画会を開いて絵を売って、崋山のもとに届けるようになった。
やはり崋山の絵を手に入れた、半香と同じ遠州出身の画家三宅鴨渓(1794-1857)も画会を開いたが、鴨渓の場合は純粋な動機からではなかったようである。
翌年になると、蟄居中にもかかわらず、崋山が不謹慎にも絵を売りさばいて金銭を得ているといううわさが広がり、崋山を極度の不安に陥れた。
画会が開かれた場所には、老中水野忠邦の領地遠州浜松も含まれていた。おそらくは、この状況を崋山の政敵たる藩守旧派が巧みに利用したのだろう。水野が浜松に学問所をつくるために小田切要助を派遣したが、それは崋山の行状探索のためであるという風聞が、崋山の親戚を通じて崋山のもとに伝わった。

福田半香 
椿椿山画「福田半香像稿」嘉永4(1851)年
市指定文化財 田原市博物館蔵★
自分が崋山を死に追いやってしまったと、半香は生涯くやんだという。



天保12(1841)年10月11日、池ノ原の屋敷の小屋の一角で、家族に見つからないようにひっそりと、腹を左から一文字に右に切り裂き、咽喉を突いて自死をとげた。

崋山が自刃したと伝わる小屋(著者撮影)

遺書は五通。そのうち江戸の椿椿山つばきちんざん宛の冒頭にはこう書かれていた。

――わたしは老母の養生につとめたいという一心から、うかつにも半香の画会に身を入れて、三月分まで絵を描きました。あとは途中で投げ出したままですが、このごろ無実の悪評が広がるにつれて、災いをひきおこすのが避けられない状況になりました。そうなったうえは主人の安危にも関わりますので、わたしは今晩自殺いたします。

その末尾は原文でも引いておく。

「数年の後一変も仕り候はば、悲しむべき人もこれあるべきや。極秘永訣かくのごとく候。
(数年後世の中が一変しましたなら、悲しんでくれる人もいるでしょうか。極秘ながら、これをもって永訣の言葉といたします。)」

渡辺崋山 椿椿山宛遺書
椿椿山あて遺書 天保12年 重要文化財
田原市博物館蔵★

長男のたつ宛のものには、残されるたかへの孝養を、追伸で姉弟の今後も託しながら、
「飢死ぬるとも二君に仕ふべからず 不忠不孝の父」
と記してあった。

墓標に代わるものとして崋山は、「不忠不孝渡辺登」の七字を書き遺してもいた。藩主および自分によくしてくれた巣鴨の老公に迷惑をおよぼし、またそのことで老母や家族が武家社会で生きにくくなることに、崋山は耐えられなかったのだろう。
だが「不忠不孝」の文字には、自分をわなに陥れた者たちへの抗議の念までが、隠しようもなく表されていたのではないだろうか。

不忠不孝墓碑 田原市博物館蔵★
日比野秀男 [著]『渡辺崋山の作画と海防思想』p174 より
(国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3121509)  https://dl.ndl.go.jp/pid/3121509/1/178


「黄梁一炊図」(1841)は、死の前日に描いた崋山最後の画作で、一切が一場の夢に過ぎなかったという「邯鄲かんたんの夢」の故事のもと、自らの凄惨な心境にわずかな慰みを見いだそうとする意力を感じさせ、忘れがたい印象を残す。

黄梁一炊図 個人蔵
(日比野秀男『渡辺崋山の作画と海防思想』より
(国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3121509 https://dl.ndl.go.jp/pid/3121509/1/144)


この70年あまりの後に、夏目漱石(1867-1916)は『こころ』(1914)の最後に、自殺を決意した「先生」が、遺書を書き「私」に未来を託す自らの行為を、崋山が「邯鄲という画を描くために、死期を一週間繰り延べたという話」と重ね合わせるくだりを描いた。


だが、崋山の真骨頂がより鮮明に現れているのは、それよりも前に描いた「千山万水図」(1841)ではないだろうか。
ここに表現されているのは絶望的な孤独ではあるが、現実逃避ではない。
かつて神島で磯の大岩によじのぼった際に崋山の眼の前に開かれてきたような、目前の世界とは違う世界を人が描くことのできる、大きなキャンバスである。

千山万水図 重要文化財 田原氏博物館蔵★
田原市博物館発行のパンフレットには、
《通常の山水画よりも広い範囲が画面に収まっています。絵の 色彩は淡く、それでいて明るい印 象を受けます。落款に「快風」と あり、清々しさを感じる作品です》とある。
中景には外洋へと旅立つ船の影が描かれている。
千山万水図(部分) 重要文化財 田原氏博物館蔵★
上下とも 日比野秀男 [著]『渡辺崋山の作画と海防思想』.p147
(国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/3121509 https://dl.ndl.go.jp/pid/3121509/1/146)


(了)

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■写真について


*ヘッダー写真:千山万水図から(上部) 重要文化財 田原氏博物館蔵★
日比野秀男 [著]『渡辺崋山の作画と海防思想』p143
(国立国会図書館デジタルコレクション/https://dl.ndl.go.jp/pid/3121509/1/145

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■参考文献

■著者プロフィール


野口良平 のぐち・りょうへい
思想史家、文筆家。
著書に『「大菩薩峠」の世界像』(平凡社、2009年、第一八回橋本峰雄賞受賞)、『幕末的思考』(みすず書房、2017年)、最新刊に『列島哲学史』(みすず書房、2025年)がある。
訳書にルイ・メナンド『メタフィジカル・クラブ 米国一〇〇年の精神史』(共訳、みすず書房、2011年)、マイケル・ワート『明治維新の敗者たち 小栗上野介をめぐる記憶と歴史』(みすず書房、2019年)。

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(けいこう舎編集部)
 

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