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林浩治「在日朝鮮人作家列伝」09   李良枝(イ・ヤンジ)(その8)

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李良枝──言語以前の言語を求めて疾走した在日二世女性作家(その8)


8.小説家として


 1982年、李良枝はソウル大学国語国文科に入学するがすぐに休学して日本に戻ってしまった。
 高裁にまで進んだ両親の離婚裁判が終わり正式に離婚が決まった。
 数年後父は日本人女性と結婚し、千葉で民宿を営みはじめた。良枝は父に甘えだした。
そんな姉を妹の栄は、〈姉はまるで、ファザーコンプレックスそのものだった。恋愛相手は年上の、それも父に似た人となってしまう。〉と評した。

 「ナビ・タリョン」に続いて、1983年『群像』4月号に「かずきめ」を発表、9月には「ナビ・タリョン」と合わせて、単行本『かずきめ』を講談社から刊行した。12月号に「あにごぜ」を発表。1984年、『かずきめ』が韓国語に翻訳されソウルの母音社から『해녀(海女)』として出版された。

 同年、ソウル大学に復学したが、9月ソウル大学でスパイ事件が発覚し、真相究明を求めた学生たちが除籍処分され、抗議運動が起こった。李良枝は抗議学生たちに同調して試験を拒否し、4日間部屋で原稿を見ていた。

 1984年『群像』8月号に「刻」を発表。同年下期に芥川賞候補に上がり、審査員評は概ね好評で、安岡章太郎は「一つの歴史を私は感じた。」「在来の朝鮮人文学には見られなかった領域をひらいた。」と評価した。
 また開高健は、「ぬかるみのように不定形の作品だが、やけくそがかった活力と、ところどころに素質としての鋭い感性が破片としてある。」、中村光夫も「時代の産物として興味をひかれました」と高く評価している。
 しかし李良枝本人は『刻』だけは失敗だった、と語っている。後の『由熙』が自己を客観視することに成功しているの比して、『刻』は余りにも生々しい私小説だったためかと思われる。オンナであることの心地よさにたいする怯えは、年長の男性たちへの甘えの自覚から来ていた。

 1985年「影絵の向こう」を『群像』5月号に、「鳶色の午後」を11月号に、翌86年「来意」を5月号、「青色の嵐」を12月号に発表し、順調に作家としての仕事を積み上げている。同年韓国の図書出版三神閣から『来意』が発行された。
 しかし1985年11月28日の天野敬子宛書簡に「“書く自分”のことを書いている人の文章を読むと、生理反応として嘔吐感がこみあげてきます。」と書いている。

『刻』講談社文芸文庫、2010年5月(解説:リービ英雄)

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◆参考文献


*本文の著作権は、著者(林浩治さん)に、版権はけいこう舎にあります。

◆著者プロフィール

林浩治(はやし・こうじ)
文芸評論家。1956年埼玉県生まれ。元新日本文学会会員。
最新の著書『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社、2019年11月刊)が、図書新聞などメディアでとりあげられ好評を博す。
ほかに『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年、新幹社)、『戦後非日文学論』(1997年、同)、『まにまに』(2001年、新日本文学会出版部)
そのほか、論文多数。
2011年より続けている「愚銀のブログ」http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/は宝の蔵!



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