野口良平「幕末人物列伝 攘夷と開国」 第6話 渡辺崋山(6)
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海に囲まれた田原藩領は、外から攻め込まれればひとたまりもない。
家老就任と同時に「海岸掛」を兼任した崋山は、海防の実をあげるために蘭学の研究をはじめた。
崋山が修めた学問は儒学、とりわけ体制の学としての朱子学であり、その基礎は最後まで保たれていた。
文化8(1811)年、19歳の時に崋山は、謹厳をもって知られる朱子学者佐藤一斎(1772-1859)に入門。
林家中興の祖・林大学頭述斎(1768-1841)を師とする一斎は、述斎の整備した昌平坂学問所の塾頭であり、山田方谷(1805-77)、佐久間象山(1811-64)、横井小楠(1809-69)は、その門人だった。

(パブリック・ドメイン/ファイル:A portrait of Hayashi Jussai 林述斎像稿本.jpg)

重要文化財、東京国立博物館蔵
(パブリックドメイン/ファイル:A portrait of Satoh Issai by Watanabe Kazan.jpg)
だがその一方で、神島の描写にも現れているとおり、西洋への関心はかねてより崋山のなかにあり、洋画の技法の習得に努力したことは、崋山の描く肖像画に独自の迫真性をもたらした。
その代表作の一つが、試行錯誤のすえに完成させた「佐藤一斎像」(1821頃)だが、謹厳な朱子学者を洋画の技法を用いて描くことには、現行の権威への挑戦の趣意がこめられていなかったとは言えない。
崋山は、巣鴨の老公三宅友信に蘭学研究をすすめ、友信の理解を得て、地理、風俗、歴史、砲術、兵学など多方面におよぶ多くの蘭書をとりそろえた。

(『田原町史 中巻』/ パブリック・ドメイン https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Miyake_Tomonobu.jpg?uselang=ja)
そして知人を介して知り合った、奥州水沢出身の蘭学者高野長英(1804-50)、岸和田藩医の小関三英(1789-1839)、それに友人鈴木春山を友信に推挙して雇い、収集した蘭書の翻訳にあたらせた。

(国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2532343 )
小関三英が抄訳した『新撰地誌第二稿』の一部分を崋山が筆写し校訂したもの。
原書はオランダ人プリンセン(Pieter Johannes Prinsen 1777-1854)の
『世界地理書』(Geographische oefeningen)第2版(1817)
さらに崋山は、韮山の代官江川英龍(1801-55)、長崎出身の幡崎鼎(1807-42)、古河藩家老鷹見泉石(1785-1858)らの蘭学者たち、あるいは江戸に参府したオランダ商館長ニーマン(1796-1850)とも交流し、視野の拡充につとめた。
それらの蘭学者のなかで、崋山による肖像画が残るのは鷹見泉石である。
泉石は、早くから海外事情に関心を寄せ、ロシアより帰還した大黒屋光太夫を江戸の薬園の居宅に訪ねたこともあった。

国宝、東京国立博物館蔵
(パブリックドメイン/ ファイル:A portrait of Takami Senseki by Watanabe Kazan.jpg)
崋山描く泉石像は、大坂城代の主君を補佐して大塩平八郎の乱を鎮定した帰りに崋山を訪れた、天保8(1837)年のもの。開明的知識をもつ一方で、救民の旗を掲げた反逆者を鎮圧する意力をもつ表情の奥行きとその陰影を、崋山は注視した。
崋山は、語学も、医学や地理学などの専門知識も蘭学者たちにはおよばなかったが、そのぶん、人類全体における西洋文明の姿を大づかみに、しかしその陰影までをとらえ、評価することができた。水戸藩士藤田東湖(1806-55)が崋山に与えた表現を借りれば、蘭学における「大施主」だったのである。
崋山の洞察によれば、迫りくる西洋文明は、プラス面とマイナス面をあわせもつ両義的な対象である。その隆盛の秘密は、自然も社会も万人が納得しうる理に従い認識しようとする「窮理」の精神にある。
その精神は一朝一夕に成ったものではなく、教育および研究制度の産物である。
職業選択が自由で、身分にとらわれず、公開の場で議論が行われる西洋社会は、人命尊重の風に富み、井の中の蛙の弊風がない点、本邦よりもすぐれている。
だが一方で西洋は、領土拡張のためには手段を選ばない暴虐非道の「権略の政」をもって、今まさに非西洋世界に侵攻しつつある。
非西洋世界から生まれた儒教の道義性は、西洋文明のモノサシからみれば遅れたものかもしれないが、その西洋の自己矛盾を批評しうる点で、今日もなお意味をもちつづけている。
――これが徒手空拳で編み出した、崋山の状況認識だった。
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■写真について
※ヘッダー写真:渡辺崋山写『新釈輿地図説』しんしゃくよちずせつ
(国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2532343 )
小関三英が抄訳した『新撰地誌第二稿』の一部分を崋山が筆写し校訂したもの。原書はオランダ人プリンセン(Pieter Johannes Prinsen 1777-1854)の
『世界地理書』(Geographische oefeningen)第2版(1817)。
https://dl.ndl.go.jp/pid/2532343/1/4
■参考文献
■著者プロフィール
野口良平 のぐち・りょうへい
思想史家、文筆家。
著書に『「大菩薩峠」の世界像』(平凡社、2009年、第一八回橋本峰雄賞受賞)、『幕末的思考』(みすず書房、2017年)、最新刊に『列島哲学史』(みすず書房、2025年)がある。
訳書にルイ・メナンド『メタフィジカル・クラブ 米国一〇〇年の精神史』(共訳、みすず書房、2011年)、マイケル・ワート『明治維新の敗者たち 小栗上野介をめぐる記憶と歴史』(みすず書房、2019年)。
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(けいこう舎編集部)
