灰の街の色#後編|心が回復していく小さなファンタジー【小さな日々のかけらたち】
前編では、ノアが不思議なビー玉「ヒカリコ」と出会い、色のない世界の中で小さな光を見つける瞬間を描きました。
後編では、ノアが少しずつ色を取り戻しながら、自分自身の内面と向き合っていく物語が続きます。
どうぞ、ノアの心の旅路を最後まで見守ってくださいね。
※この物語は全2話です。
前編はこちら↓
***
翌朝、ノアはカーテンを開け、灰色の世界にため息をついた。
ヒカリコが話しかけてくる。
「おはよう!あんた、ずいぶん寝ぼけた顔じゃない。コーヒーでもゆっくり飲んだらどう?暖かくて落ち着くよ。朝ごはんも少しは食べなよ、会社で具合悪くなっちゃうよ。食べられるなら、でいいけど!」
ノアはヒカリコに言われるがまま、コーヒーを淹れた。
とくとく、と注ぐ音が聞こえ、香ばしくて良い香りが辺りを漂う。
トーストの焼ける音とバターの香りも。
ヒカリコがテーブルの上から「どう?美味しい?」と聞くと、ノアは黙って頷いた。
その時、コーヒーカップやトーストの色、それが乗っているテーブルの色に気づいた。
「あ、あれ?」
「ふふふ。あんたのコーヒーカップかわいいね。小さな花が描かれてる。それにトーストも美味しそうに焼けてるよ!チーズもとろとろして美味しそう。ああ、ヒカリコも食べてみたい!」
ノアは不思議な気持ちになりながら、朝の準備を済ませた。
「じゃあ行ってくるけど、何か必要なものはある?」
「いや別に。そうだな、強いて言うなら、今日も雨だから、行く前に傘を選んでみたらどう?あと帰ってくるまでに面白い物見つけたら、そのお話ししてほしいな。ま、あんたには期待してないから見つけられなくてもいいけど!」
「あぁ、そう…。じゃあ行ってくるね」
ノアは玄関にある傘立てを見た。自分でも驚く本数の傘があった。気づかないうちに買って溜めてしまっていたようだ。
ノアは一つ、傘を選んでみた。
通勤中に傘をさしてみると、街は灰色なのに傘だけ色があった。それは紺色の傘で、中から見ると水色だ。取っ手には金色のキーホルダーのようなものがついていた。
「僕こんな傘を買っていたんだな。」
通勤の足取りは、まだ重たいままだったけれど、ノアの手の中で揺れる傘の水色が、道端の水たまりに映り込んで揺れていた。
(見えてる…色が…)
そう思った瞬間、自分がそれを「嬉しい」と感じていることに、ノアは少し戸惑った
会社に着くと相変わらずの空気だった。
同僚の誰かが声をかけてくれたが、ノアはうまく返事ができなかった。
それでもー
「あの、ありがとう…」
その小さな一言を返せた自分に、ノア自身が驚いた。
昼休み、外で昼食を食べている最中、キーホルダーのついた傘の取手を触った。
いつもなら黙々と毎日同じ食事を取って終わるだけの時間だったが、今日はなんとなく空を見上げたりしていた。
「ただいま。」
家に帰ると、ヒカリコがすぐに声をかけてくる。「どうだった?なんか面白いことあった?」
「…別に面白くはなかったけど、少し、楽だった、かも。」
ノアは上着を脱ぎながらそう言った。
「ふーん、そう。じゃあ、ま、今日は合格かな。あんたなりにさ。」
ヒカリコは、どこか得意げに、でも嬉しそうに光っていた。
ノアはふと、今日感じたことを言葉にしたくなった。
「今朝、コーヒーを飲んで、トーストを食べて、それがちゃんと“美味しかった”って思えたんだ。それだけなのに、なんか…泣きそうになって」
すると部屋の中の色味が少しずつ現れてきた。
「それ、ちゃんと生きてるってことだよ」
ヒカリコの言葉は、いつもより静かだった。
「美味しいって思えるの、大事だよ。あんた、ちゃんと味わえた。すごい。」
ノアは黙って頷いた。
まだ完全に色づいてはいない。
でも、自分の中に、微かな予感が芽生えていた。
「明日も…ちゃんと起きて、コーヒー淹れてみようかな」
そう呟いた時、ヒカリコがころんころんと跳ねて嬉しそうに言った。
「いいね!自分で選んで、自分でやってみるってこと。それがさ、あんたの色を取り戻すヒントなんだよ!ヒカリコ、ちょっとだけあんたのこと見直したよ!」
ノアは、はじめてヒカリコに向かって、小さく笑った。
それからの日々、ノアはゆっくりと、でも確かに、自分の意思で動いていった。朝のコーヒーを淹れ、トーストを焼き、傘を選んで出かけるようになった。
街の色が、少しずつ目に映るようになってきた。
最初に気づいたのは、道端に咲くアジサイの青。
次は、スーパーの果物コーナーのオレンジ色。
それから、街路樹の紅葉した赤。
世界は確かに、少しずつ、色を取り戻していたー
ノアの中だけで。
職場では、相変わらず誰もノアの変化に気づかない。
でも、それでいいと思えた。
「ヒカリコ、今日は駅で花を配っている人がいてね。なんとなくもらっちゃった、ほら」
ノアは小さなスミレの花を、色の漂う部屋で差し出した。
「あら、かわいいね!スミレの紫って、あんたの部屋にはなかった色だね。素敵だね!」
ノアは、ヒカリコが入っていた瓶に水を入れ、スミレを刺しながら言った。
「ありがとう、ヒカリコ」
「やっと感謝できるようになったんだね!よくやった!」
夕方、ノアは久しぶりに机に向かった。
引き出しの奥から、古びたスケッチブックを取り出す。
ページをめくると、小さな頃に描いた絵がある。
クレヨンで、いろんな絵を、いろんな色を使って描いていた。
真っ白なページに、ノアは色鉛筆で何かを書き始めた。
書くのは今の気持ち。
何色とも言えないけど、確かにそこにある色。
この部屋、この街はもう、たくさんの色で溢れていた。
ヒカリコがそっと言う。
「ノア。ヒカリコ、もうそろそろ、ここからいなくなるかも」
「…そっか。なんとなく、そんな気はしてた」
「でもね。いなくなるって言っても、『あたしの役目』が終わるってだけ。あんたの中に、ちゃんと色があるってわかったから。」
ノアはしばらく黙っていたが、ポツリと言った。
「…寂しいよ」
「ふふふ、でも、きっとまた会えるよ。
ヒカリコのこと、思い出すたびに。
色を見れば、すぐ思い出せるでしょ?」
光の粒が、ふわりと宙を舞う。
ヒカリコは、瓶の上で美しく咲くスミレの花の中に、溶けるようにして消えていった。
ノアは部屋に一人残された。
でも、それはもう「ひとりぼっち」ではなかった。
机の上のスケッチブックには、色鉛筆で描かれた風景がある。
それは、誰も気づかないけれど、ノアにしか見えない、色付いた世界だった。
その街は、もう二度と、灰に戻ることはなかった。
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