見出し画像

映画感想 オッペンハイマー

 その力は人類には早すぎた。

 黒いアメリカ特集第2弾。クリストファー・ノーラン監督の2023年の作品『オッペンハイマー』。「原爆の父」として歴史に名を残すオッペンハイマーを描く。
 原作は『オッペンハイマー 「原爆の父」と呼ばれた男の栄光と悲劇』(原題:American Prometheus)。この原作の映画化は2005年頃から始まり、サム・メンデス、オリバー・ストーンといった監督の名が上がったが、実現しなかった。コロナパンデミックの頃、映画プロデューサーのチャールズ・ローヴンがクリストファー・ノーランに本のコピーを手渡す。実はその以前からクリストファー・ノーランはオッペンハイマーに興味を持っており、2019年の映画『テネット』の主演俳優からオッペンハイマーのスピーチ集をプレゼントとして贈られていた(こういうものをプレゼントし、それを喜んで受け取る……というところでこの人たちのインテリぶりがわかる)。

オッペンハイマー ロスアラモス時代

 2020年、ワーナー・ブラザーズはコロナパンデミックで客足が遠のいたという理由で、映画の劇場公開とネット配信を同時に展開するという計画を発表する。これに憤慨したクリストファー・ノーラン監督は長らくワーナーとパートナーだったがこれを解消し、『オッペンハイマー』の企画をユニバーサルに持ち込んだ。ユニバーサルは「映画はまず劇場公開で」という条件に合意し、ここから制作がスタートする。
 2023年に劇場公開された本作は、制作費1億ドルに対し、世界で9億7600万ドルの収益をもたらした。こうしたお堅い伝記映画としては異例の大ヒットである。伝記映画としては『ボヘミアン・ラプソディ』『アメリカン・スナイパー』といった名作を抜いて歴代1位。第2次世界大戦を描いた映画としても歴代1位。R指定映画としては『ジョーカー』に続く第2位となった。
 ところが、日本での劇場公開は半年も延期される。公式には「原爆をテーマにした映画が日本人にとってセンシティブだったから」ということになったが、明らかに「バーベンハイマー」で大炎上したから。

 アメリカで本作と同日に公開された作品が『バービー』であった。『バービー』というファンシーな作品と『オッペンハイマー』という堅い作品が並んでいる状態がシュールで面白い……ということで映画ファンが2作を合体させた「バーベンハイマー」というイメージを作り出した。これを映画バービーの公式Twitterも投稿し、日本で大炎上した。
 クリストファー・ノーラン監督は日本での高い人気を誇り、『オッペンハイマー』も期待の作品として注目されていたはずだったが、この一件でしばらく「公開日未定」状態になってしまった。
 アメリカでは『バービー』と『オッペンハイマー』を同日に見る、という流れがブームになり、これが両作の興行収入に貢献したとされるが、日本ではこのブーム自体が炎上状態となった。なぜこうなったのか? それは日本とアメリカとで深刻な「原爆観の違い」があるからだ。それは感想文の途中で触れよう(有料部分だけど)。

 映画の評価は非常に高く、映画批評集積サイトRotten Tomatoesを見ると、批評家によるレビューは509件あり、肯定評価93%、一般レビューでも91%と高い。Metacriticでは100点満点中90点。
 第96回アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演男優賞、助演男優賞、撮影賞、編集賞、作曲賞の8部門受賞。他にもサターン賞、セザール賞、サテライト賞、英国アカデミー賞、ゴールデングローブ賞など、この年のアワードをまるごとかっさらうほどの注目を浴びた作品となった。

 それでは前半のあらすじを見ていこう。


 1929年、ハーバード大学を首席で卒業した若きオッペンハイマーは、イギリスに渡り、ケンブリッジ大学に留学していた。しかし周囲の環境になじめず、高圧的な教師に責められて精神的に病んでいた。そんな最中、ニールス・ボーアと出会い、「ドイツのゲッティンゲンへ行き、マックス・ボルンの指導を受けなさい」と助言され、移籍を決める。
 ドイツに渡り、有意義な学びを得たオッペンハイマーは、博士号を取り、ヨーロッパ中の大学を巡って物理学の講義するくらいになる。そんな最中、再びドイツに戻り、ハイゼンベルクの講義を聴き、ささやかな交流を持つ。
 その後アメリカに戻り、カリフォルニア大学で教職に就く。当時のアメリカには理論物理学は浸透しておらず、オッペンハイマーの教室に最初に入ってきた生徒はたったの1人。マンツーマンの授業だった。それでも生徒はやがて増えていき、教室は賑やかになっていった。
 1936年。スペインで内戦が始まった。国際的な共産主義運動が始まり、オッペンハイマーは弟とともに共産党集会に参加していた。そこでハーコン・シュヴァリエとジーン・タトロックと会う。
 特にジーン・タトロックとは恋仲となり、深い関係を築いていくのだった。


 ここまでのお話しで25分。若き日のオッペンハイマーとその彼がカリフォルニア大で教職に就くまでが描かれている。
 本作のストーリーだが、すこし取っつきにくい部分がある。というのも、登場人物多過ぎ、シーンの展開が速すぎ。「え? 今のどういうこと?」と考えている間もなく、どんどんシーンが進んでいく。私も初見時はお話しがよくわからず、2回目の視聴の時に「あ、これは凄い映画だぞ」と気づいた。初めて見る人でも、ネタバレにならない程度に登場人物のチェックはしておいたほうがよい。

 もう一つ、初見視聴者を困惑させるのは白黒パート。これは原子力委員会委員長であったルイス・ストロース視点の物語を表現している。

 ルイス・ストロース視点の物語だから、ルイス自身を撮る時はこの画角。

 一方、オッペンハイマーを撮る時はあえてちょっと距離があるような描き方になっている。クローズアップが少なくなり、距離を置いたり、背中から撮ったり……ルイスから見た視点で描かれる。
 クリストファー・ノーラン監督は構図作りも完璧なので、ルイスパートでどう構図を作っているかにも注目したい。同じシーンでもカラーで描かれる場面はオッペンハイマー視点で構図が作られている。この違いにも注目したい。

 白黒のパートが作られたのは、オッペンハイマー以外の視点であることを見分けやすくするため。次に「第三者からオッペンハイマーがどのように見えていたか」、3つめの目的に「ナレーション」の意味がある。それぞれのシーンで何が起きているのか、わかりやすく掘り下げる役割を持っている。

 例えばこのシーン。画面だけを見るとなんなのかわからないが、この直前に「FBIが共産党集会にやってきた車のナンバープレートを撮影していた」ということが説明される。そういう解説を入れるために白黒パートがある。ちなみに、この場面から後にオッペンハイマーが共産党集会に参加していたことが暴露されてしまう。

 では、本編ストーリーを見ていこう。

 イギリスに留学していたオッペンハイマーだったが、環境になじめず、高圧的な教師にいつも責められていた。あるとき、オッペンハイマーはリンゴに青酸カリを注入する。
 しかし、この一件は真偽不明の話とされている。あるとき「友人に話した」エピソードの一つだったが、それは事実なのか、何かの比喩でこういう話をしたかもよくわからない。ただはっきりしているのは、当時のオッペンハイマーは重度の鬱病に陥り、ケンブリッジ大学も停学、保護観察処分になっていた。
 こんな真偽不明の話を、どうしてわざわざピックアップしたのか? たぶん「オッペンハイマーは自分の人生をコントロールできなかった」ということを強調するためではないか。いつも自分の思い通りにならない。「原爆の父」として賞賛されるが、実際にはその栄光とはほど遠い人生。それを現す最初の一歩として、このエピソードが採用されたのではないか……

 恩師ニールス・ボーアから「ドイツに留学しなさい」と助言を受けて、ドイツのゲッティンゲンに渡り、精神的に立ち直ったオッペンハイマーは、物理学を学ぶとともに、当時の文化を貪欲に吸収した。
 この場面では3つの作品が取り上げられている。T.S.エリオットの『荒地』と、『春の祭典』、ピカソの作品だ。それぞれ見ていこう。

○『荒地』 T.S.エリオット
 1922年、『クライテリオン』創刊号に発表された、全5部作からなる詩集。伝統的な詩の形式を壊し、独自の手法で新しい詩の形を提唱した。描かれているのは第1次世界大戦以後の西洋の混乱、神話や宗教への回帰などである。
○『春の祭典』 イーゴリ・ストラヴィンスキー
 1913年に初演されたバレエで、その前衛的な音楽と振り付けに当時物議を醸した。初演の時は客席から嘲笑と罵倒が上がり、賛成派と反対派が上演中にもかかわらず対立し、殴り合う暴動に発展した。劇場のオーナーが飛び出してきて「とにかく最後まで聞いてください!」と叫ぶほどの事態だったという。
○ピカソ
 ご存じ20世紀を代表する芸術家。それまでのアカデミックな芸術形式を破壊し、新たな芸術観を築いた人として、絵画史上に残る偉人。

 いずれの作品も、伝統的・古典的な芸術観を破壊し、新たなスタイルを作り出す革命的な作品だった。オッペンハイマーは最先端の学問を学ぶとともに、この時代最先端の潮流を浴びるように吸収していた。これが、やはり当時最先端の政治思想だった共産主義に傾倒していく……という流れになっていく。つまり、当時の「インテリ系若者文化」だったものをオッペンハイマーもかぶれていた……という描写になる。

 ヨーロッパで博士号を得たオッペンハイマーは、各地域でそれぞれの言語で講演をやるほどになっていた。その旅の最中に出会うのがイシドール・ラビ。
 このシーンでは最初に「長旅になるから何か食え」とラビが勧めるが、オッペンハイマーは「結構だ」と断る。話がしばらく続き、「今では疎外感も感じてないだろ。全員ユダヤ人だからだ」と話して再び食べろ、という流れなっていく。同じユダヤ人、つまり同胞だと明かした上で、食べ物を勧める展開になっている。この流れが鮮やかでうまい。
 このやりとりの後、ラビはオッペンハイマーの心情を代弁するキャラクターとなり、後の聴聞会でも食べ物を持ってきてくれる。役割が固定されたキャラクターとなっている。
 ところで、当時の物理学者はユダヤ人ばかりだったというのは本当だろうか。この時代の代表的な物理学者を見てみよう。
 アルベルト・アインシュタイン
 ニールス・ボーア
 マックス・ボルン
 ヴォルフガング・パウリ
 ジョン・フォン・ノイマン
 当時の著名な物理学者の多くはユダヤ人だった。物理学を学ぶ生徒もユダヤ人。ユダヤ系学者が最前線にいた。ユダヤ人は欧米でも迫害の対象で、学問の世界でも差別や制限があった。しかし数学や物理学は西洋白人が手薄な学問だったから、才能あるユダヤ人が多く集まった……という経緯があるらしい。

 アメリカに帰国する前、オッペンハイマーはドイツに戻り、ヴォルナー・カール・ハイゼンベルクに会いに行く。
 この人物は何者なのか?
 ハイゼンベルクは後に、ナチスの下で原爆開発をすることになる科学者だ(当時、物理学は「ユダヤの学問」と言われていたし、ハイゼンベルクもナチスから「白いユダヤ人」などと呼ばれ、その下で原爆研究をするのは立場的にもつらかったらしい)。といってもオッペンハイマーと仲が悪かった訳ではなく、互いにリスペクトして、少し交流もあったくらいだ。しかし戦争になり、それぞれ別の国についたことによって袂をわかってしまった……そういう悲劇的な関係を表すためにここで登場させている。
 ハイゼンベルクはこの1シーンしか登場しないが、この後、台詞の中に「ナチス側の物理学者」として名前だけ登場する。ここで描かなかったら「ハイゼンベルクって誰だ?」となるからこの段階で登場させた、というところだろう。

 1929年、カリフォルニア大学バークレー校で教職に就いたオッペンハイマー。当時は理論物理学はアメリカにおいて超マイナー。最初の生徒は本当に一人だけだったらしい。その最初の生徒であるロマニッツは、後のマンハッタン計画に参加し、重要人物の一人として映画の中に登場し続ける。

 1936年、スペインで内戦が勃発する。スペイン共和国政府(共和国側)とフランシスコ・フランコ将軍(国粋派)とに分かれて争った。戦争は1939年まで続く。
 共和国側はスペイン第二共和国の政府を支持し、その下には社会主義者、共産主義者、無政府主義者がついた。背景にはソ連が支援した。
 国粋派はフランコ将軍が中心となり、保守派、カトリック教会、ファシスト政党がついた。ナチスやファシスト・イタリアが戦争を支援した。
 この戦争でオッペンハイマーは共和国側を支援し、共産党を通じて義援金を送っていた。

 なぜオッペンハイマーは共産主義側を支持していたのか?
 まずユダヤ人だった、というところが大きい。当時のヨーロッパでは極端な右翼思想がはびこり、ユダヤ人は目の敵とされていた(当時は「右翼」と「ファシスト」がセットだった。現代でも右翼とファシスト・軍国主義をセットにして語る人は多い。それはこの時代からそう)。ドイツのヒトラーは「ユダヤ陰謀論」を頭から信じ、ユダヤ人を地上から消し去ろうとした狂人である。そういったファシスト思想と対立思想といえば、当時はまず共産主義だった。
 それに、オッペンハイマーはこの時代最先端の潮流や文化を浴びて過ごしてきた。すでに書いたように、共産主義はこの時代は最先端の潮流だった。当時のインテリ若者らしく、「かぶれた」のだった。

 しかし、アーネスト・ローレンス教授からは「学内に政治を持ち込むな」と怒られてしまう。

 オッペンハイマーは弟フランクとともに共産党集会に参加する。そこで出会うのがハーコン・シュヴァリエ博士。オッペンハイマーと同じくバークレー校の先生で、フランス文学を教えていた。1950年代の赤狩りで教職を失い、フランスに渡った。そこで翻訳者として仕事を続けた。

 ここの対話シーンも流れが見事で、お互いの話からはじまり、政治の話、理論物理学の話へと流れ、それからジーンの登場へと繋がる。物語背景となる政治の話、オッペンハイマーの研究の話、それから次の重要人物登場まで流れ方がスムーズ。こんな脚本を書きたいものだ。

 こんなふうに共産党集会に頻繁に顔を出していたオッペンハイマーだったが、共産党に入党することはとうとうなかった。オッペンハイマーは資本論を原語で読んでおり、その内容に疑問を感じていたらしい。ただ、当時はファシストに抵抗してくれる勢力として、期待していた。

 この集会で出会ってしまうのがジーン・タトロック。ちょっと……いや、かなり厄介な女である。
 オッペンハイマーとジーンは出会ってすぐにお互いに惹かれ合って、恋仲になる。この後のシーンで、オッペンハイマーはジーンとセックスしながら、サンスクリット語の本を読む。その一節がこちら。
「今や我らは死なり。世界の破壊者なり」
 この一節を、セックスをしながら(しかも相手に主導権を取られた状態で)読まされる。こういうところでも「自分の人生を思い通りにコントロールできない」ところが出ている。

 Aパートが終わり、Bパートに入って行きます。その後もオッペンハイマーはジーンと会うけど、ジーンは拒絶します。実はジーンは精神的にかなり不安定。メンヘラ女だった。メンヘラだったから、オッペンハイマーをさんざん拒絶したと思ったら、「今すぐ来て欲しい」と急に電話したりする。
 それに、オッペンハイマーが結局のところ共産党に入らず、体制側に入ってしまったことへの失望もあったらしい。
 そんなメンヘラであっても、オッペンハイマーはどうにかしたい、と面倒を見ようとするのだった。

 ジーンとデートしていると、生徒であるアルバルズがレストランから飛び出す姿が見える。オッペンハイマーが追いかけていくと、アルバルズは新聞記事を見せてくれる。ドイツのオットー・ハーンとフリッツ・シュトラウスマンがウラン核の分裂に成功させた、という。昔はそんな話が新聞に載っていたのか……。

 果たして本当に核分裂なんてできるのか。それを再現してみせたのがこの場面。この場面、何をやっているところなのか?

 画面に描かれているのはオシロスコープ。核分裂の際に放出されるパルス(電気信号)を観測している。ウランに中性子を当てると、大量の核分裂が起きる。核分裂が起きると、分裂した原子核の破片が高速で飛び出し、周囲の物質と衝突して電化を持つ粒子(イオン)が発生する。これが電極に当たると、電気信号が発生し、オシロスコープに波形として表示される。その様子を描いて、「本当に核分裂が起きた!」という驚きを描いている。

 しかしこの実験の結果を見て、オッペンハイマーは深刻な顔を浮かべる。なぜなら真っ先に思い浮かんだのは「爆弾」としての使用。世界中の物理学者も同じように考えたはずだ……。
 その以前の「原子核物理学」は、核の構想や性質を解明するための研究だった。1930年代は核融合や核変換が恒星のエネルギー源だと考えられていたので、これを応用した新しい発電技術が作れるのではないか……という期待があった。
 ところが核分裂を起こすと、1回につき200Mev(2億電子ボルト)ものエネルギーが放出されることがわかった。従来のTNT爆弾の何十倍にもなるエネルギーである。これに連鎖反応を起こさせれば、途方もない巨大なエネルギーを持つ爆弾になる……。

 夢の新エネルギーを生み出すための研究が、悪夢の「最終兵器」を作る研究に変わる瞬間だった。

 またまたオッペンハイマーが共産党集会に参加します。この場面にチラッと出てくるこの人物。実は重要人物です。この映画、こういうところが多いんだ……。
 まず、この集会はFAECT。「建築家・技術者・科学者・技能者連合」略して「教職員連合」。
 この人物はジョージ・C・エルテントン。イギリスの物理学者で、物理学会のフェローだった。正体は共産主義のスパイで、アメリカに渡り、様々な組合活動を積極的に起こしていた。
 オッペンハイマーとも交流を持ち、オッペンハイマー主催の会議にも出席したし、自分の集会にもオッペンハイマーを招いていた。そこまでオッペンハイマーとつながりを持とうとしたのは、原爆の技術を手に入れるため。だいぶ後のシーンで、シュヴァリエを通じて原爆技術を得ようとするが、これは実際にあったこと。こうしたところで共産主義者と接点をもっていたし、ひょっとしてここで原爆技術が海外に漏れたんじゃないか……というところでオッペンハイマーが疑われることになる。
 エルテントンは1950年の赤狩りの時代にイギリスに帰国。その後もMI5に身辺調査され、能力はあったのに末端の仕事しかできなくなってしまった。
 でも登場するのはこの1シーンのみ。1シーンしか登場しない重要人物が多いから、把握が大変な映画なんだ。

 いよいよ第二次世界大戦が始まります。1939年、ナチス・ドイツがポーランド侵攻。せっかく新しい論文も出たのに、世間の話題は一気にそっちに振り切ってしまう。

 そんな最中、オッペンハイマーは二人目の女性と出会う。キャサリン・ヴィッセリング・プエニング。通称キティ。
 この人もまあなかなかの“厄介な女”で……。
 一人目の夫はフランク・ラムザイヤーといって、音楽の修士号を取得するために、ハーバード大学近くのアパートに住んでいた。しかし間もなくその夫は同性愛者でしかも麻薬中毒者だったことが発覚。離婚。
 2人目の夫はジョセフ・ダレッドといって、裕福な家庭の出身だったが、間もなく共産党の活動家になってしまう。夫婦ともに共産党に入り、安アパートに住んで、カツカツの生活の中で機関誌を作って配り歩いていた。きつい暮らしだったが、それでも惚れていたので、キティはこの生活を受け入れていた。
 そのうちにもダレッドはスペイン内戦に参戦し、1937年に戦死。
 その後、スチュワート・ハリソンで出会い、1938年に結婚した。この時に共産党とも離党。
 ハリソンとともにカリフォルニア州に移り、カリフォルニア大学の研究員の職を得る。そうした最中で、ようやくオッペンハイマーと出会う。1940年にハリソンと離婚し、オッペンハイマーと結婚。

 ここまでの内容をざーっと要約して書き出したけれども、いろいろ苦労を背負ってきた女で……。キティ単独の映画を作れるんじゃないかというくらい、この人の人生も濃い。
 しかしこういう厄介な女と接すると、どうもオッペンハイマーは「自分がなんとかしなきゃ」と思うタイプらしくて……。

 キティを選んでしまったので、ジーンとはお別れです。
 「どうして私を選んでくれなかったの」……みたいな感じになってるけど、さんざん拒絶しておきながら、「本当は構って欲しかったの」とか言われてもね……。メンヘラ女の気持ちを汲み取るのは難しい。
 オッペンハイマーはこの後も、ジーンとの関係を断ち切れない……というか、ジーンの方がオッペンハイマーを解放してくれない。厄介なことにオッペンハイマーもまだジーンへの気持ちがある。どっちつかずの状態で、ズルズルと関係が長引いてしまうのだった。

 さあレズリー・グローヴスが登場します。最初に映画を見たとき、「マット・デイモンによく似た誰か……」と思ったが、マット・ディモン本人だった。今回はまた太ったな……。

 太ったのは役作りのため。写真はトリニティ実験の時のオッペンハイマーとグローヴス。実際のグローヴスの体型に近づけるために、体重を増やしたようだ。

 1942年、グローヴスは「マンハッタン計画」のために、オッペンハイマーを尋ねてきている。オッペンハイマーをリーダーに立てて、物理学者のチームを作るためだった。
 グローヴス自身もマサチューセッツ工科大学卒業のインテリ。軍人と科学者と立場違うものの、オッペンハイマーとグローヴスは同じ目標を持った仲間として結束していくことになる。

 この時代、まだアメリカは本格的に参戦していなかった。当時の大統領であるルーズベルトは、他国との戦争とは関わらないモンロー主義に徹しており、「“他国から攻撃を受けない限り”戦争はしない」と宣言していた。
 しかし、それは表向きの話で、実際には武器援助や兵士の派遣などを行っていた。1940年代のアメリカは不況で、この不況を解決するために戦争を手段として考えていた。後に起きる対日戦にしても、日本に自ら攻撃を仕向けるように工作したのではないか……証拠は出てこないが、当時からそういう疑惑はある。
 マンハッタン計画を発足した1942年の時点ではそこまでの状況になっていないが、当時はナチスが原爆研究を始めている最中で、アメリカも危機感から「我が国も先んじて原爆を手に入れなければ」となっていた。

 そういう事情で、オッペンハイマーはグローヴスとともにアメリカ中の大学を巡って仲間集めを始める。
 オッペンハイマーは、こちら側に利があると見ていた。なぜならナチスは「反ユダヤ主義」。すでに書いたように、当時の物理学の世界は、教授も生徒もユダヤ人が中心。ドイツにも優秀な物理学者はいたものの、ユダヤ人排斥をしたために、致命的に人材不足を抱えている。この業界でもっとも有名なアインシュタインもユダヤ人で、すでに祖国を捨ててアメリカに亡命してきている……という状況にもなっていた。
 オッペンハイマーはこの戦いを、どこか「ユダヤ人とファシストの戦い」と見ているところがあった。妙にやる気になっているのは、そういうところも多分にあったんじゃないだろうか。

 最強兵器・原爆を作るにあたり、グローヴスは情報の分散化を考えていた。研究拠点を各地に作り、情報漏洩を防ごう、と。それに対してオッペンハイマーは、「いや一カ所に集約させよう」と提言する。
 その候補地として提案したのがニューメキシコ州ロスアラモス。周囲四方、人の気配が一切ない。陸の孤島のような場所だ。この場所に街を建造し、科学者を集めよう、という案だ。実際にはロスアラモスの他、数カ所に原爆研究所は作られたようである。

 それで、映画の中でも本当に街を作ってしまった。凄いことをする……。
 実際のロスアラモス研究所は民間人4000人、軍人2000人を抱える一大拠点となった。

 オッペンハイマーをリーダーに立てて、科学者たちが集まる。すると科学者の一人、エドワード・テラーが「水爆」の提案をする。テラーが書いた計算を見て、オッペンハイマーは顔色を変えて、ディスカッションを中止してアインシュタインの下へ向かう。

 エドワード・テラーというのは後に「水爆の父」と呼ばれる人物。ドイツ出身で、ハイゼンベルクの弟子に当たる。テラーは当初から水爆を提案しており、ロスアラモスの原爆実験を目にしても「なんだ、こんなちっぽけなものか」と皮肉っている。実際に性格に問題のある人だった。
 1954年ビキニ環礁で行われた「ブラボー実験」、ここで使用された水爆がエドワード・テラーの理論によって作られた。ビキニ環礁の水爆実験と言えば第五福竜丸被爆事件。そしてゴジラ誕生。実は日本とも因縁深い関係のある科学者だ。

 アインシュタインもテラーの書いた計算を見て、顔を険しくする。テラーの計算したものが現実になると、爆発が大気中の酸素を発火させ、無限の連鎖反応を引き起こし、起爆すると爆発が地球全体を覆う恐れがある……というものだった。
 実際にはこの計算は間違いで、よっぽど高い圧をかけない限り、酸素が誘爆されることはない。しかしそれでも水爆は原爆の1000倍の威力。原爆ですら危険な武器であるのに、さらに強力な武器を作るべきか……という懸念があった。

「食い止めるんだ。そしてその発見をナチスにも伝えるべきだ。互いに世界を滅亡させないために」

 物理学界の神からの託宣を受け、オッペンハイマーはこの言いつけを守ろうとする。

 ロスアラモスでのテラーは、「原爆なんかより水爆を作るべきだ」と主張し続け、周りの研究者たちと対立した。しかし優秀な科学者であったから、オッペンハイマーはテラーを離脱させず、なんとかロスアラモスに居続けるように説得する……という立ち回りをする。どっちにしろ、水爆を作るためには原爆を完成させねばならず、原爆開発を優先せねばならなかったわけだが。

 長くなってしまったので、ここから以降は有料!
 といっても解説の続きが書いてあるだけ。たぶん、他の人が書いた映画解説記事と同じ内容のはず。支払いは慎重にしましょう。

ここから先は

10,359字 / 29画像

今まで全ての記事を無料で公開してきましたが、限界が来ました。活動を続けていくためには資金が必要です。…

スタンダードプラン

¥500 / 月
1ヶ月無料

道楽者プラン

¥3,000 / 月

この記事が参加している募集

とらつぐみのnoteはすべて無料で公開しています。 しかし活動を続けていくためには皆様の支援が必要です。どうか支援をお願いします。